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ヒコロヒー「直感的社会論」:薄れゆく理性、危機感...。ポケットの中の無法空間に吸い込まれないために

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第8回。前回の「確信犯か、無邪気な歓喜か。「かわいがって頂いている」発言にひどく警戒する理由。」も読む。

Text: Hiccorohee / Illustration: Rina Yoshioka

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薄れゆく理性、危機感…。

ポケットの中の無法空間に

吸い込まれないために。

オランダのとある心理学者が、サッカーの観戦客の顔に“筋電計”なるものを付け、表情筋の動きを観察する研究をしたという。味方チームが得点したとき、サポーターの表情は当然喜びを示す。
が、しかし、敵のチームが失点すると彼らの表情筋は遥かに高い喜びを示したというのだ。これはアメリカのHBO制作のドキュメンタリー『SNS中傷の犠牲者たち / 15 MINUTES OF SHAME』(U−NEXTで配信中)で紹介されていたエピソードで、作品のナビゲーターは「これは人間が自分の成功より他人の失敗を喜ぶ端的な例」だとめていた。

自分の成功より他人の失敗を喜んだ経験は、あなたにはあるだろうか。よほど高尚で徳の高いご立派な人間でない限り、私自身を含め皆誰しもが一度は思い当たる節はあるのではないかと思う。

それはもしかすると人間という生物として避けられない反応なのかもしれないが、長い歴史の中で私たちは理性や品性を獲得してきたはずである。本能的に避けられないとしても、他人の失敗に嬉々として群がることを愚かなことであると判断して避けることはでき、浅ましくめなそれは社会を生きていく上では剥き出しにしないのが当然だろう。しかしそういった配慮を唯一しなくても良い場所というのが、インターネットの中なのかもしれない。

匿名性が発展させたものは何であろうか。人間としての尊厳や理性をかなぐり捨てたようなおどろおどろしい思想や言葉の数々がく無法地帯を、現代では皆が当然のように1デバイスずつ所持している。

引用元も書き手も明示されていない言葉が真実のように毎日拡散されていき、切り取られたネットニュースを疑わず鵜呑みにし、誰かの失敗を喜ぶような言葉に多くの共感がいいねという形で可視化される。

この先に待つ社会は一体どんなものなのだろうか。本能的な快感に負けることのない理性と品格を持ち続けられる人間はどのくらい残っていくのだろうか。充電式の小さな無法地帯と共に歩んでいくであろうこの先の人生を想像し、常に画面に吸い込まれないよう人間としての尊厳と危機感を持ち続けたいと、借金140万円ある身で一人前に考えてみるのである。

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