〈CELINE〉のエディ・スリマンは語る。服と音楽はインディーズの新時代へ 〜後編〜
——ロンドン、インディーミュージックの黄金時代
リジー・グッドマン(以下L)
私はニューヨークにいて、ニューヨークのバンドを見つめながら、作家としてのキャリアをスタートさせ、あなたはヨーロッパで、ミュージシャンたちと相互にインスピレーションを共有していたと思うのですが——たとえば、ザ・リバティーンズのメンバーとは最初どういう形で出会ったんですか?
エディ・スリマン(以下H)
2002年頃、私はほとんどの時間をロンドンで過ごすようになりました。ライヴに通って、ロンドンのミュージックシーンが台頭するのを見ていました。そのエネルギー、エキサイティングなバンドの豊富さ、コミュニティの感覚が、UKのインディーミュージックの黄金時代をかたちづくっていました。実は、カールとピートの2人には一緒には会っていないんです。2人はすでにいわゆるリバティーンズの危機に突入していましたから——ピートはコンサートに姿を見せず、カールが1人でプレイしなくてはならなくなり……結果的に彼らは解散しました。
L
この時代のUKの雰囲気は、’90年代末のパリの雰囲気と比べて、どうでしたか?
H
’90年代末のパリのシーンのほうが頭で考えている感じでしたね。ロンドンのバンドは、まったく新しくて、温もりのある真摯な印象でした。芸術的センスのある忠実で若いファンの前で演奏することがすべてだったんです。誰もが顔見知りのような小さなハコを回るんです。少なくとも最初は、音楽業界の外で完璧に守られていて、生々しく存在していました。私はそのクリエイティヴィティ、自然発生的なところ、そして商業的成功に対する欲望の欠如に心底惹かれていました。とことんピュアだったのです。
——シーンからコレクションへの影響
L
そうしたシーンが、フォトグラファーとして、デザイナーとしてあなたの仕事に与えた影響についてはどうでしたでしょうか?どのようにして自分の経験を取り込み、自分のものにしましたか?
H
仕事への影響は、非常に大きかったです。私はロンドンのバンドやファンを幅広く記録していました。ピート・ドハーティの書籍を手がけ、そのあと数多くのミュージシャンの衣装に関わってきました。〈ディオール〉で早くからスキニー・ジーンズを発表していましたが、そういうルック、私のシルエットはすでにこの世代に受け入れられていました。写真を撮りながら、自分のショーのためのキャストも探していましたので、当時のファッションショーは、ロンドンのシーンそのものがランウェイを乗っ取ったような形になったと思います。服は、ミュージシャンたちに捧げるものでした。私はただ、彼らならステージでどんなものを着たがるだろうということを考えていて、それが有機的にコレクションそのものになりました。
——「Indie Sleaze 新しいインディーズの時代へ」
L
今「インディー・スリーズ(Indie Sleaze)」と呼ばれている時代にあなたが惹かれるのはなぜですか?
H
この2〜3年、ソーシャルメディア、特にTikTokでこの時代が顧みられるようになり、デザインとロック写真で私の〈ディオール オム〉時代が見返されています。この世代は、音楽もファッションも文学も写真も、私たちがすでに定義し、体系化してしまった時代に生まれました。いつもそうですが、それらはサイクルであり、おそらく新しい世代にとっては、振り返ってそこから刺激を受け、それを自分に取り込むのに今がよいタイミングだったのでしょう。この「新しいインディーズの時代」に関わっていくのはとても興奮します。愚直に自分の言葉を引用し、20年前を振り返り、それらが今でも自分を形づくっていることを認め、新しい古典主義を受け入れる、永続性と反復の感覚もあります。
L
この「新しいインディーズの時代」で私がとても面白いと思うのは、それが明らかな懐古主義と真のコンテンポラリーな感覚を見事に融合しているところです。インターネットによって時間の隔たりが消されたことで、今、単なるノスタルジーではなく昔のものがまったく新しく感じられます。これについてはどう思われますか?それと、今回の新作コレクションの美学で、どのあたりに、あなた自身が映し出されていますか?
H
ある意味で、反復と一貫性は、自分自身を引用することで、スタイルを純化して、それを長続きさせる条件を作り出すカギなのです。人は、常に同じ自分を映し出しつつ、シンタックスを完成させていって、粘り強さと決意を自分のものにしていきたいものです。時代によってボキャブラリーは変わっても、シンタックスとスタイルは変わりません。
人は他人から、自分のデザインも、写真も、いつも同じだと思ってもらいたいと密かに思っています。そこが肝心で、人は、自分が情熱をもって、憑りつかれたように追いかけているスタイルを体現していくのです。ファッション、写真、文学、建築、ファインアート、そしてもちろん音楽のすべてに、それが当てはまります。音楽の場合、最初の一音でそれが分かるんですよ。無理に時流を映し出すものでも、人気を競い合うものでもない。人は一つのものにしかなれないし、1つの姿しか持てません。そのスタイルが持てれば十分幸せなんです。それが自分の姿になり自分の「サウンド」になっていく。それが浮き彫りになればなるほど、スタイルが色濃くなります。最終的に私は、写真とともに、おそらくファッションにおいてもパンクやインディネスの代名詞なのでしょう——あるいは中性的なモデルでも知られていますが。ファッションでは20年以上、ずっとこの姿勢できました。このカリカチュアを私は喜んで受け入れます。
これはまた、今の若者でもあり、ロンドン、ニューヨーク、ロサンジェルスに登場しているバンドの姿にもあります。サウンドも、アティチュードも新しい。でも基本は変わらず、姿勢に同じコードが受け継がれ、残っています。過去と現在の影響を受け、世代を超えて受け継がれてゆくコミュニティであり、常に今生きている時代の影響を受けて生み出される作品、コレクションなのです。書くこともおそらく、同じプロセスを辿っているのではないですか?
L
そうです!文章創作でも同じストーリーを繰り返し語っていくというのが、その核心にあります。いつも、新しく感じる場所から発想は生まれるのですが、結局は過去に戻っていて、同じテーマを繰り返しています。私はそれでいいのだ、それは闘うべきものではなくてむしろ受け入れるべきものなのだと思ったアイデアにインスパイアされます。アーティストは、常に進化していることを証明しなければならないという大変なプレッシャーに晒されています。でも、あなたの言われるように、本当の進化とは、何度でも自分のコアセルフに戻ることを意味することもよくありますね。
H
はい。ボウイからジャック・ホワイト、ザ・リバティーンズまで、それはちょうど私のやってきたことの有機的な一部でした。