〈CELINE〉のエディ・スリマンは語る。服と音楽はインディーズの新時代へ 〜前編〜

text & edit: Shoichi Kajino

2022年末に公開されたニューヨークの2000年代初頭のインディーズ・シーンを捉えたフィルム『Meet Me in the Bathroom』。そのポスターにはエディ・スリマンが撮影した写真が使用されたことでも注目を集めた。同作監督のリジー・グッドマンとの対談が実現したのは〈CELINE〉 2023年秋冬コレクションとなる「Age of Indieness」が発表されたタイミングだった。

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——「Age of Indieness」への扉

リジー・グッドマン(以下L)

まず最初、どのような『シーン』に惹きつけられましたか?

エディ・スリマン(以下H)

’90年代後半、私が〈イヴ・サンローラン〉でデザインの仕事を始めて、写真を撮るようになった時代、パリにエールとか、ダフト・パンクとか、フェニックスといったバンドが登場してきた時期です。ものすごいエネルギーとスピリットを感じたんです。誰もがいろんなアイデアを試して、さまざまな角度でパリを描こうとしていて、みんなが繋がっていました。私もそのシーンの一員でした。

当時、東ベルリンにも関心がありました。2000年、私はクンストヴェルケ・アート・インスティテュートのレジデントで、日夜ベルリンのアンダーグラウンドのシーンを映し出そうと模索していました。ニューヨークにいることも多く、ウィリアムズバーグに住んでいたのですが、東ベルリンと同じエネルギー、クリエイティヴなヴァイブレーションを感じました。アーティストのスタジオやクラブに毎晩通っては、東ベルリンで見かけたのと同種の人たちに会っていたんです。ミレニアムの初期は、アーティストとミュージシャンの新たな時代の始まりで、新しいデジタル・エイジの輪郭が定まっていく時期でした。

2001年の9月にすべてが変わりました。嘆きと絶望の瞬間に、クリエイティヴなエネルギーとサウンドの中心にあった、ある種のデジタルユートピアへの信仰は失われました。私は写真もデザインもアナログに戻って、DIYでスタイルを築き上げるようになりました。

L

仮想なんかじゃない現実の恐怖を突きつけられた9.11のあとには、テクノロジーが世の中をもっといい場所に変えてくれるという概念そのものが、突然、鬱陶しいものになりましたね。誰もエレクトロミュージックを聴きたがらなくなり、誰もがこの世界にしがみつくようにしてリアルで、原初的で、大音量にしようとしましたね。突然、ロックンロールがまた耳なじみがよくなり、見た目もそういったものが好まれました。

H

まったくその通りです。本当のシフトでした。このカオスが「Age of Indieness(インディーズの時代)」への扉を開いてくれました。私は方向性を変えて、ロンドンにフォーカスするようになりました。

HEDI SLIMANE DIARIES AU PALACE

——デヴィッド・ボウイ、ステージ衣装へのオブセッション

L

ステージ衣装があなたのデザイン・コード発展のきっかけだったということに、とても魅力を感じます。ミュージシャンからツアーに向けての衣装で、どんな依頼に対してあなたの中で火花が弾けたのか、少し話していただけますか?

H

ステージ衣装は、私のメンズ・ファッションへの入り口でした。アルバムのカヴァー写真を通してです。最初に夢中になったのは『デヴィッド・ボウイ・ライヴ・イン・フィラデルフィア1974』です。あのカヴァーを穴が開くほど見つめ、レコードは100万回は聴いたと思います。

衣装のプロポーション、セクシーさ、中性的なエネルギーは、私に大きな影響を及ぼしました。ボウイのアルバムのカバーのほかに、エルヴィス・プレスリーの1968年のダブルレザーのナンバー(「68カムバック・スペシャル」)、オジー・クラークがミック・ジャガーのためにデザインしたボディスーツもまた、可能性を広げてくれました。ステージ衣装がなかったら、私はファッションそのものに特に魅力を感じていなかったでしょう。

大切なのはいつも音楽で、ファッションは音楽を引き立てるものでした。ミュージシャンなら、私が音楽出身で、ステージ視点でデザインしていることが分かるのだと思います。おそらく私のデザインのなかに自分自身を見つけ、それで私に連絡してきたのだと思います。彼らが私のつくった衣装に身を包んでステージでパフォーマンスしてくれているのを見て、私はいつも興奮していました。

L

デヴィッド・ボウイがあなたの服を着るようになったのは、いつからですか?

H

本当に不思議なんですが、ボウイと初めて会ったのがいつなのか、まったく思い出せないんです。たしか彼の2002年のツアーだったと思うんですが、デヴィッドは、昔のシャープでクラシックな装いに戻りたがっていました。シン・ホワイト・デュークの時代の。彼には、最初に丈の短いタキシード・ジャケットをデザインしました。のちにそのジャケットは私の〈ディオール〉のショーに出しました。

それから、シルクのスリーピースのスーツの注文を受けました。どうしても鮮やかなブルーの細いタイを締めたいと言っていました。私はそれは誤った判断だと彼を説得しようとしました。オールブラックでかためて、プロポーションのシャープさを強調するべきだと。言うまでもなく勝ったのは彼で、私は降伏しましたが。

——ミック・ジャガーからのオーダー

L

ミック・ジャガーとはどんな関係でしたか?彼との仕事も、あなたのクリエイティヴな進化に重要な意味をもつと思うのですが。

H

ミックはボウイよりも前の早い段階で〈ディオール〉に来ました。2001年の初め頃でしょうか。私がデザインしたフリンジ付きコートのいくつかのカラーバリエーションを依頼されました。そしてスキニーなサテンのパンツとシャツです。ミックはステージで激しく動き回る必要があったので、衣装もその要求に合わせて作らなければなりませんでした。

彼のフィッティングはすごく楽しかったですよ。ミックはいつもアトリエの鏡の前で、ステージでの一連の動きをやってみて、衣装が合うかどうか確かめるんです。

L

あなたの言われていることが今わかりました。常にそこには「ステージ衣装」があった、という意味が。

H

はい。ボウイからジャック・ホワイト、ザ・リバティーンズまで、それはちょうど私のやってきたことの有機的な一部でした。

『Meet Me in the Bathroom』トレイラー
ORIGINAL SOUNDTRACK FOR CELINE
EXTENDED VERSION OF “ GIRL ” PERFORMED BY SUICIDE
CO-PRODUCED BY JARED ARTAUD
WRITTEN BY ALAN VEGA AND MARTIN REV
PUBLISHERS: SATURN STRIP LTD / REVEGA MUSIC
(P) 1998 REVEGA MUSIC COMPANY UNDER EXCLUSIVE LICENSE TO MUTE RECORDS LTD, A BMG COMPANY
COMMISSIONED & CO-PRODUCED BY HEDI SLIMANE

CASTING, STYLING AND SET DESIGN
HEDI SLIMANE

MAKE-UP ARTIST
AARON DE MEY

HAIR STYLIST
ESTHER LANGHAM