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村上春樹の『続・古くて素敵なクラシック・レコードたち』:ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲 イ長調 作品81

村上さんが特に気に入っているクラシック・レコード486枚を紹介した書籍『古くて素敵なクラシック・レコードたち』は、2021年6月に刊行されるやまたたく間にベストセラーに。「こんな個人的な趣味嗜好の本が……」と不思議がりつつ、「本に収まらなかったけど、まだ語りたいレコードはたくさんある」という村上さんにお願いし、増補分を寄稿してもらいました。

初出:BRUTUS No.949村上春樹(下)「聴く。観る。集める。食べる。飲む。」編』(20211015日発売)

Photo: Keisuke Fukamizu

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ドヴォルザーク
ピアノ五重奏曲 イ長調 作品81

いかにもドヴォルザークらしい印象的なテーマから始まるピアノ五重奏曲。演奏者によって曲の印象が驚くほど違ってくるのが、この曲の特徴かもしれない。

ピーター・ゼルキンの演奏、原盤はアメリカのヴァンガード。ピーター、弱冠18歳のときの録音だが、実にフレッシュで上質な演奏を繰り広げている。弦パートをリードするのは、ブダペストSQ(SQ:弦楽四重奏団の略記。以下同)のヴェテラン、アレクサンダー・シュナイダーだが、ピーターは臆することなくのびのびと自分の音楽を弾き切っている。

お父さんはドヴォルザークの音楽をほとんど弾かないので、比較されることもなく、そのぶん気楽だったのかもしれない。偉大な父親を持つといろいろ苦労が多い。

ピーター・ゼルキンが演奏したドヴォルザーク「ピアノ五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
ピーター・ゼルキン(ピアノ) アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)ほか Amadeo AVRS 66008(1965年)

フィルクスニーはドヴォルザークと同郷、チェコのピアニストだが、共演するのはアメリカの雄、ジュリアードSQ。ずいぶん肌合いが違うので、どうなることかとちょっと心配になるが、結果的には異種配合というか、異なった文化のぶつかり合いというか、興味深い音楽に仕上がっている。

ジュリアードSQの例によって乱れなく求心的な音楽と、フィルクスニーの微妙な感傷性を含んだ音楽とが、上質にすんなりと噛み合っている。考えてみれば、形式性と自然な歌心の共立というのは、作曲者自身にとっても重要な課題であった。

ルドルフ・フィルクスニーが演奏したドヴォルザーク「ピアノ五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
ルドルフ・フィルクスニー(ピアノ) ジュリアードSQ CBS 76619(1975年)

ヴィリ・ボスコフスキーをリーダーとするウィーン・フィルSQは、冒頭から見事に美しくたおやかな音を出して、聴くものをはっとさせる。そこに名手カーゾンの端正な音が絡んでいく。スメタナSQとは対照的に、ドヴォルザークの土着性みたいなものはここにはほとんど感じられない。

カーゾンと弦楽四重奏団はあくまでそこにある純粋な音楽性を追求し、見事な達成を遂げている。演奏もぬきんでているが、その美質を的確に捉えて再現するデッカの録音技術も素晴らしい。

クリフォード・カーゾンが演奏したドヴォルザーク「ピアノ五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
クリフォード・カーゾン(ピアノ) ウィーン・フィルSQ 英Decca SDD 270(1962年)

ベルリン・フィルの弦の音はウィーン・フィルのそれとはがらりと違っている。室内楽になってもそれは同じことだ。どれほど穏やかな部分にさしかかっても、ベルリンの弦は常に「攻め」の姿勢を崩さない。コヴァセヴィッチのピアノもそれに合わせて、終始機敏に音を作っていく。ウィーンとベルリン、どちらをとるか。それは好みの問題でしかないだろう。

僕としては総合的にはカーゾン/ウィーン盤をとりたいが、楽章によってはコヴァセヴィッチ/ベルリンのきりっとした佇まいにも心を惹かれる。

ビショップ・コヴァセヴィッチが演奏したドヴォルザーク「ピアノ五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
ビショップ・コヴァセヴィッチ(ピアノ) ベルリン・フィル八重奏団 日Philips 13PC-60(1972年)

リヒテル/ボロディンSQの旧ソ連組はとても格調の高い演奏だ。緻密さが追求され、風通しみたいなことはほとんど考えられていない。ボヘミア的のんびり感は、スラブ的厳しさにとって代わられている。ライブ録音だが、リヒテルのピアノはそのような緊張感の中で自由闊達、きらりきらりと輝いている。しかしこの演奏を聴き終えたとき、いささかの疲労を覚えるのは僕だけだろうか?

スヴャトスラフ・リヒテルが演奏したドヴォルザーク「ピアノ五重奏曲 イ長調」レコードジャケット
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ) ボロディンSQ 日Melodia VIC-546(1983年)

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