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職人の技と美しさを服づくりに生かす〈HaaT〉から、新作が登場

イッセイ ミヤケによるブランド〈HaaTの新作、「ドリルスティッチカビラ」シリーズの販売が始まった。その美しいテキスタイルは、インドの工房とイッセイ ミヤケが紡いできた手仕事の力に支えられている。

text: Masae Wako

〈イッセイ ミヤケ〉が心奪われたインドの手仕事「カビラ」とは?

インドには「カビラ」という刺し子の伝統技術がある。ひと針ひと針細かく刺し縫いをすることによって、生地に強さや温かさをもたらし、独特の風合いを生む手仕事だ。もともと薄い生地や弱った布を再生させるために生まれたものだそうで、かつては日本でも、東北地方の野良着に同じような手技が使われた。

インドの刺し子技術「カビラ」を施した生地
インドの刺し子技術「カビラ」を施した生地。丈夫な糸を使って細かく縫うことで、生地に立体感のある風合いを生む。

この刺し子技術を取り入れたのが、「ドリルスティッチカビラ」のジャケットやフード付きジャケット。〈イッセイ ミヤケ〉のブランド〈HaaT〉の新作シリーズだ。思わず触れたくなるふっくらしたテキスタイルは、インドの熟練職人が太番手の糸を使い、マシンステッチでカビラを施したもの。

生地はコットンドリルと呼ばれる太綾の綿で、丈夫で耐久性に優れているうえ、手触りも柔らかい。丁寧な仕事が生む美しい立体感と、肌に優しい着心地。袖を通すたび、羽織るたび、目でも肌でもクラフツマンシップを味わえる。

はじまりは80年代。インドの手仕事を受け継ぐ〈HaaT〉の服づくり

伝統的な技術も手仕事の文化も、それぞれ着る人の日常に取り入れられてこそ、生きたものになる。それが〈HaaT〉の根底に流れる哲学だ。トータルディレクターの皆川魔鬼子によってブランドがスタートしたのは2000年。以来、日本とインドそれぞれのクラフツマンシップを今のものづくりに落とし込み、手触りのあるテキスタイルと新しい生活に合う服を生み続けてきた。

そんな〈HaaT〉の服づくりを支えているのは、インド北西部の綿紡績の都市、アーメダバードにある工房だ。その場所は、風の音しか聞こえないほど静かな環境で、職人たちは日々真摯に仕事と向き合いながら、伝統技法を若い世代へ伝え継承し続けている。

実は、アーメダバードの工房と〈イッセイ ミヤケ〉の取り組みがスタートしたのは今から約40年前。1982年、インドを訪れた三宅一生とテキスタイルディレクター(当時)の皆川が目を見張ったのは、当時、手仕事をテーマに工房を立ち上げようとしていたアシャ・サラバイさんの服づくりへの姿勢。彼女のファミリーは、世界で一つしかないインドテキスタイルのミュージアムを所有していて、それらの展示衣装の技法を研究・継承し、再現しようとしていた。彼女は、人の手によるものとは思えないほど緻密で美しい刺繍や、手彫りの木版を使って模様をつけるプリントの技術を取り込みながらも、それらを新しいデザインとして昇華させようとしていた。そんな中でイッセイ ミヤケと出会い、協働制作がスタート。伝統布の美しさや機能性が、過去のものではなく、現代の布、生活の布として作られ使われていたのである。

職人たちの手の力を、現代の衣服に生かしたい

やがて、アシャさんと〈イッセイ ミヤケ〉は共同でものづくりを始め、1984年には協働プロジェクト「Asha by MDS(Miyake Design Studio)」もスタート。これが〈HaaT〉の前身で、今でもインドで作られた〈HaaT〉の服のタグには「HaaTH」というロゴが添えられている。HaaTHとはヒンドゥー語で手を表す言葉。職人たちの手の力を現代の暮らしに生かしたい――そんな想いが込められている。素材の原点ともいえる代表的なテキスタイルの一つが、カディと呼ばれる手紡ぎ・手織りの白いコットン地。カディは綿紡績大国であるインドが独立するために不可欠だった手仕事の象徴であり、手で綿を紡いで、手で織る自由の象徴である布としても愛されてきたテキスタイルだ。

HaaTHタグ
インドの工房で作られた服のタグには、〈HaaTH〉の文字が添えられている。

インドで作られる「ドリルスティッチカビラ」の服は、美しい伝統技をふんだんに用いてはいるけれど、とてもフレンドリーで軽やかだ。たとえばフード付きトップスの大きなポケットには、カビラをランダムに施した薄い中綿入りの生地が使われている。手を差し込むとふくふくした安心感のある触り心地。ジャケットはフリーサイズで、ジェンダーレスに楽しめるデザインもうれしい。

〈HaaT〉が考える手仕事は、「日常の中にあるべきもの」であり、「着る人にも作る人にも喜びをもたらすもの」なのだ。