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稀代のヒットメーカー、川村元気が長編映画を初監督。『百花』が9月9日に公開

映画プロデューサーとして多数のヒット作を手がけ、小説家としてもベストセラーを生み出してきた川村元気が初の長編監督作を完成させた。『百花』は記憶を失っていく母と、母との思い出を蘇らせていく息子の、記憶にまつわる物語。極めて技巧的で、極めて感動的な作品が誕生した。

photo: Ayumi Yamamoto / text: Yusuke Monma

自身の小説を映画化した
川村元気の監督作『百花』が公開

今回はなぜ自ら監督したんですか?

川村元気

きっかけは2つあって、一つは佐藤雅彦さんと一緒に短編映画『どちらを』(2018年)を監督した時、手法から映画を作る経験をしたこと。それまで物語から映画を作ってきたんですが、数学的理論を映画で表現した『どちらを』がカンヌ国際映画祭の短編コンペティション部門に選出されて、ある種の手応えを感じたんです。

じゃあ長編映画を手法から作ったらどうなるだろうと思っていたところで、小説の『百花』を書き始めて。『百花』は僕のおばあちゃんが認知症になり、その脳の働きを知りたいと思って書き始めた小説ですが、認知症の人だけでなく、そもそも我々は記憶を改竄したり、唐突に思い出したりして生きてるんだと気づいた時、そういった脳の働きを表現する、手法的な映画が作れると思ったんですね。

それなら自分のおばあちゃんの話だし、手法で作る映画だから、自分が監督するしかないなと。

本作ではワンシーンワンカットという撮影手法が用いられています。

川村

ワンシーンワンカットにしたのは、それが人間の脳の働きに近いと思ったからです。例えばこうして話している今、僕はさっき食べた納豆のことを思い出してるんですが(笑)、そんな恣意的な記憶が現実と交錯しながら、まるでワンシーンワンカットのように脳のなかでは進行しているんじゃないか、そういった仮説で映画を作ろうと思いました。

結果的に考えさせられたのは、実は映画館で観ることの意味です。「視聴離脱」という言葉があって、動画配信ではカットがどんどん変わり、物語もどんどん進んでいかないと、視聴者に離脱されてしまう。でも映画館なら、途中でスマホを見られて離脱されることはありません。そこでワンカットの映像に没入することは、映画館ならではのユニークな体験になるはずです。

人物を背後から映すバックショットの多用も、没入感を感じさせるのに有効だと思いました。

川村

バックショットの多用が許されるのも、映画館だからだと思います。テレビなら、もっと顔を見せてほしいと大勢が思うはずですから。でも後頭部を観ながら、この人は今どんな顔をしてるのかと想像できるのがエンターテインメントだし、映画館のアドバンテージだと思うんです。

「百花」
©2022「百花」製作委員会

プロデューサーの僕が嫌がる映画を

本作は多彩な技巧を、表現したいもののために論理的に使用していますが、現在の日本映画を観ると、そうして論理的に作られた作品はそれほど多くありません。

川村

もちろんそうでないエンターテインメントがたくさんあってもいいけど、あまりに論理がない日本映画の状況にはずっとストレスを感じていたんです。そんななかプロデューサーとして、中島哲也さんや細田守さんみたいな論理的に映画を作る監督たちと、それでもエンターテインメントができることを示してきたつもりですが、それにしてもあまりに少ない。だから自分でやろうと思ったという部分もあるかもしれません。

川村さんはプロデューサーとしても、緻密な作品作りを行ってきましたよね。

川村

今回、監督をして思ったのは、僕は日本のどの監督よりも神経質で細かいから、通常の日本映画のバジェットでこの手法を成立させるのは難しいだろうなと。まあ、たまにはそういう映画があっていいし、今回はプロデューサーの自分なら絶対に許さないことをやろうと決めていたんです。

例えばワンカットで撮ると編集の余地がなくなるので、プロデューサーは嫌がるはずなんですね。手法と論理で映画を作ると言われたら、なにカッコつけてるのって(笑)。でも最後には感動させますからと、監督の自分がプロデューサーの自分を説得するやりとりが脳内でありました。

大事なのはそこですよね。本作はちゃんとエモーショナルな作品になっているという。

川村

物語のなかの記憶が観客一人一人の記憶と混じり合い、観ている人にとって、映画が自分事になっていく瞬間を作りたかったんですよね。それがエモーショナルになっていたら嬉しいです。