日本一のホップ生産地、岩手県遠野市へ
夏が終わっても、ビールは旨い!仕事終わりに、風呂上がりに、ごはんと一緒でも、家でも店でも屋外でも。渇いた喉にキューっと染み込み、気分は爽快。近年、クラフトビールも盛り上がりを見せ、味わいのバリエーションも豊かになり、シーンや料理に合わせて選ぶ楽しみもぐっと身近になった。
そんなビールの原料として欠かせないのが、ホップ。アサ科のつる性の多年草植物で、ビールに使用されるのは、雌株の毬花(まりばな)という部分だ。この毬花に含まれるルプリンという成分が心地よい苦みや爽やかな香りのもとになる。日本のビール製造の大部分は輸入ホップに頼っているが、じつは東北地方や北海道を中心に国内でも栽培されている。ホップの収穫が最盛期を迎える8月の終わり、日本随一の生産地の岩手県遠野市を訪ねた。
東北新幹線の北上駅から車で約40分、岩手県の内陸部に位置する遠野市。朝から降り続いた雨がやんだ昼下がり、集落を囲む山々に霞のような雲がたなびく景色は、昔話の絵本の挿絵のようだ。日本随一の生産地と聞き、頭の中で一面のホップ畑をイメージしていたが、実際は広大な田畑のところどころに、棚仕立てのホップ畑がぽつぽつと点在する。
東北地方でホップ栽培が始まったのは約60年前。日本が高度経済成長期の真っただ中にあった当時、北国の農村に冷害に強い作物を、と導入されたのが始まりだ。新しい作物に意欲を示した農家が、田畑の一部をホップ畑にし、栽培を開始。飛び地の畑の風景は、そんな成り立ちに由来する。
日本の大手ビールメーカーも、産地の発展に貢献してきた。遠野ではホップ栽培が始まった昭和38(1963)年から、麒麟麦酒(現キリンビール株式会社)が栽培農家と契約を結び、生産者とともに畑から始まるビール造りを進めてきた。現在、日本産ホップの7割をキリンが購入。商品を通じた地域づくりに貢献している。取材には、農学博士でキリンホールディングス株式会社の飲料未来研究所主務の杉村哲さんも同行してくれた。
ベテラン生産者の、良質なホップ栽培
まずは遠野ホップ農業協同組合の代表・宮澤利光さんの畑を訪ねる。先駆者であった父の下でホップ栽培を始めた二代目で、キャリア57年を誇る大ベテランだ。収穫間近のホップが鈴なりに連なる様子は、グリーンのカーテンさながら。
「この畑、今年はすごくいいですね」と、杉村さんが言うと、「だよ。今年の“とれ生”(「一番搾り とれたてホップ生ビール」)は旨いよ~」と、宮澤さん。自身も晩酌は欠かさず、のビール好きでもある。
ホップに病気がつくと毬花が茶色に変色するのだが、畑は鮮やかなライトグリーン一色。畝の間に雑草はなく、隅々まで手入れが行き届いていることがうかがえる。
「毬花の付きも本当に“たわわ”でしょう」と、説明しながら杉村さんも嬉しそう。基礎研究から育種まで、遠野産ホップの品質向上に努めてきた自負がある。現在、遠野では「IBUKI」と「MURAKAMI SEVEN」、2種のホップを栽培している。かつては「苦み」のもととされてきたホップだが、近年は「香り」重視。品質に加え、寒冷地での栽培適性や収量など、地域産業としてのサステナビリティも見据え、たどりついた現在地だ。
2021年はホップ優秀栽培者選定会で最優秀栽培者になった宮澤さん。成分分析に加え、ブラインド(生産者名を隠して)の厳しい官能検査の末に選ばれる栄誉ある賞だ。そんな宮澤さんに、よいホップ作りの秘訣を尋ねると「基本に忠実に、ごまかさず栽培管理する。これに尽きる」との答えが。おいしさに近道なし。匠と呼ばれる生産者の言葉は、ずしりと重みがある。
収穫されたホップの選花・乾燥の現場
収穫されたホップは、処理場に集められる。つるから毬花を外し、葉や小枝を取りのぞく一連の作業が、巨大な機械で行われる様は圧巻。建物内は、かぐわしいホップの香りで満たされる。最終的には手作業で、小さな汚れや腐敗花を取りのぞく厳しい選花が行われる。選ばれし毬花を、巨大な乾燥機にかけたものが、ブリュワーたちが使う原料としてのホップになる。
新人生産者の、これからのホップ生産とクラフトビール
量だけでなく、品質も日本一を目指して作られている遠野産ホップだが、生産量や従事者の数はゆるやかに減り続けている。労働人口の減少と高齢化。全国の農村に同じだ。
が、新たにホップ栽培を志して遠野に移住する新規就農者も増えている。中村友隆さんもその一人。岩手県出身、かつては名古屋で会社勤めをしていた中村さん。何か違う仕事にチャレンジしたいと考えたとき、単なる転職ではなく、一生続けられる仕事がいいと、遠野でのホップ栽培の道を選んだ。クラフトビールが好きで飲んでいたことに加え、震災以降、故郷に何かしたいと考え続けた思いが重なった。2018年に地域おこし協力隊制度を利用して移住。先輩農家のもとで研修を続け、2022年から引退する農家から引き継いだ畑でホップを栽培している。
「ホップの栽培は、例えばつる一本ずつをワイヤーで誘引する細かな手作業から、危険を伴う高所での収穫作業まで広範囲にわたる。なんでもできるタフな人間じゃないと続けられない」と、中村さん。まだまだ駆け出し、試行錯誤の日々だと言うが、いつかは品質を誇れる生産者になりたいと、志は高い。
「日本産ホップはとても希少で、手間暇かけて栽培されている。一杯のビールを飲むとき、そのことに少しでも思いをはせてくれたらうれしいな、と思います。そのためにも脇役でなく主役になる、ビール選びの基準になるような高品質で個性のあるホップを作れるよう、経験を重ねていきたいです」
遠野産のホップには、冷涼で寒暖差のある気候と、人の手からなる、テロワールが詰まっている。