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腰のくびれに民藝の大家も惚れた?日本固有のルアー、薩摩烏賊餌木の魅力

僕らはある日、鹿児島県の宮大工が作る薩摩烏賊餌木に出会ってしまった。そのセクシーな腰つきには、先人の経験と知恵が凝縮されている。民藝の大家、濱田庄司も魅了されたという和製ルアーの魅力に迫る。

photo: Shu Yamamoto, Tomohiro Soeno / text: Chiaki Kato / cooperation: UCHIDA ROKAKUHO

イカとエギの怪しげな誘い

イワナやヤマメを対象とする本州における渓流釣りは概ね3月に解禁され、秋の訪れを告げる9月末には禁漁期間を迎える。この10月から2月の禁漁期間中に何をしようかというのが2021年当時の僕ら〈WAZAO-IPPON〉メンバーの課題であった。

海辺の堤防に立って始めたのがアオリイカ釣り、いわゆるエギングである。“エギ(餌木)”と呼ばれるエビのような形をした特殊なルアーをキャストし、しゃくりあげる動作でイカを誘う独特な釣法で、近年盛り上がりを見せている。カラフルで様々な幾何学模様が入っている。奇抜でサイケデリックさが溢れるアイテムに、僕はどことなく原宿感を感じた。

奇抜でサイケなアイテム
釣具店に売っている現行の商品は、とにかく派手なものが多い。

秋の夕暮れ時に始めたエギング。夕日が沈み赤く染まる空と海に向かってエギをキャストし、何回かしゃくりあげて、待つ。この基本動作を繰り返しているうちに数時間は優に過ぎ去り、あたりは一面真っ暗である。月の動きと連動する潮の満ち引きを観察し始めるようになると、いよいよ自分と宇宙との距離が近くなる。

もはや釣りをしているという感覚すらなくなり、なにか神秘的な儀式を行っているような気分になってきて高揚感すら覚え始めた刹那、突如エギが重くなり、月夜の海にアオリイカが現れた。

イカという存在に対してはなぜかタレント性を感じていたが、闇夜に竿を振りエギでイカを導くプロセスと、月明かりをバックに登場するイカの様子にはもう神秘性を感じざるを得ない。こうなってくるとこの不思議な体験を与える釣りのルーツが知りたくなる。そもそも“エギ”ってなんだよ、と。

その美しい腰つき、餌木との出会い

作業道具に囲まれる親方。
作業道具に囲まれる親方。

てっきりその見た目と語感から、語源はエビにあるのかと思っていたが、それは全くの検討違い。エギは漢字で“餌木”。読んで字の如く、木を餌に見立てた疑似餌のことである。江戸時代に鹿児島で隆盛を極め、その後全国に広がっていったと言われている、いわば日本発祥のルアーだ。

残念ながら、今では餌木を製作する職人はほとんど見られなくなってしまったが、それでも今もなお、宮大工を営む傍ら、昔ながらの製法で餌木を製作し続けている「山神益郎工房」の存在を知り、早速訪問した。

神秘的なイカ釣りのルーツとの邂逅である。見せていただいた餌木は、古い儀式用具を感じさせるような貫禄に、妖艶さをまとっていた。一般的に市販されるエギに対して、そのシェイプがさらに独特である。腰のくびれがはっきりしていて艶めかしい。

腰つきが最高にセクシーな枕崎烏賊餌木。
腰つきが最高にセクシーな枕崎烏賊餌木。

釣り界隈ではイカがエギにかかることを「イカがエギを抱く」と言うが、言い得て妙だと思った。イカは捕食対象の急所(エビであれば腰)がわかるからくびれをはっきりと見せるのが肝心であり、長年の研究の結果このシェイプに行き着いたということ。月夜の海、妖艶な腰つきでゆったりと海を漂いながらイカを誘い、抱きつかせる。

最も美しい腰つきに到達するための研鑽の歴史を親方に尋ねると、数多くの餌木の型を取り出してきてくれた。型の形状は様々あり、よく見ると一つ一つに人名の記載がある。

枕崎では古くからイカ釣り(正確にはイカ曳きという漁法になる)が日常的に行われており、元々は各家といっていいほどに皆がそれぞれこだわりの餌木を製作していたそうだ。なるほど、手先の器用な山神さんは餌木作りを代行していたため、地域全体の経験や知恵を反映した結果、圧倒的な妖艶さを放つ餌木を作るようになったと言える。

商業的に製作されてきたわけではない、人々の日々の営み、その集合知としての餌木。それが奇しくも人間すらもセクシーさを感じてしまう形に帰結するのは、面白い。

数多くの餌木の型
餌木には作る人それぞれのテンプレートがある。

ある文献との出会い。『薩摩烏賊餌木考』

山神さん一家もあくまでこれまでの暮らしの延長として餌木を作り続けているのみであって、むしろ失われた歴史を紐解きたいと考えているという。僕たちも枕崎の郷土資料館なども訪れはしたがそれらしい文献も見当たらず、そんなときに山神さんが紹介してくれた一冊の文献が『薩摩烏賊餌木考』理学博士 岡田喜一 著(昭和53年発行)であった。

自分と同じように餌木に魅せられてしまったのが、理学博士の故・岡田喜一だ。『薩摩烏賊餌木考』(1978年刊)は著者の2000にもおよぶ餌木のコレクションをベースに餌木の発展の系譜を考察する。同書を執筆する時点でこれといった過去の文献は存在しなく、数々のヒアリングと残存する現物をもとにいわばリバースエンジニアリング的な手法で過去を紐解いている。

興味深いのは、岡田博士は長崎の民芸協会の支部理事でもあり、その縁からか、あの濱田庄司も前書きに文章を寄せているということ。工芸的な価値を認め、高く評価されるべきだと訴えているのだ。

同書は日本の歴史的なイカ釣り、餌木に関する唯一の体系だった解明になると考えられるが、それでもなおここにはカバーしきれていないような内容は存在するはずである。例えば地域を別にすればまた餌木の違った景色が見えてくるのではないか。餌木の解明のヒントを探るべく、八重山諸島に眠る石垣島の餌木職人の元へ訪問した。

石垣島の餌木は、通称「島餌木」。近代の薩摩餌木に比べて布も巻いておらず、削りっぱなしで無骨さが残る。またどれも共通して、餌木の腹に暗号のような文言が記載されているが、これは素材となる木の種類や採取した場所を本人のみわかる形で残しているのだという。島の釣具屋にもいくつか島餌木が売っていたので、これは誰が作っているのかと尋ねると「海人」と回答が帰ってきた。島餌木は匿名の工芸なのである。

一説によると餌木はどこかのタイミングでフィリピンにまで伝播しており、これまた独自の発展と継承の歴史があるとの話も聞いたのでいつか調査しに行ってみたい。僕たちはイカとエギに感じた神秘性から薩摩餌木のセクシーさに魅せられ、ついに餌木の歴史そのものに想いを馳せるようになってしまった。