伝説のボサノヴァピアニストの半生をアニメーションで描く
解説してもらった人・堀内隆志
『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』は、ブラジルでボサノヴァの草創期から活躍し、その後数奇な運命を辿った、ジャズサンバで名を馳せたピアニスト、テノーリオ・ジュニオルをめぐるアニメーション映画だ。監督は、『チコとリタ』でゴヤ賞の最優秀長編アニメーション映画賞も受賞したことのあるフェルナンド・トルエバとハビエル・マリスカル。そこで、この映画の見どころについて、鎌倉の〈カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ〉の店主であり、ブラジル音楽にも造詣の深い堀内隆志さんに聞いた。
まず、堀内さんとテノーリオの音楽との出会いについて話してもらった。
「1990年代に、サンバジャズがリバイバルで流行った時に知ったのが『ネブローザ』でした。その曲がきっかけで、収録されていた『エンバロ』というアルバムはよく聴きましたね。お店でもよく流していました。あの独特なピアノのフレーズやメロディラインがすごくキャッチーで、聴き飽きないんですよ。でも、ちょっと影を感じるというか。亡くなり方もセンセーショナルなものだったということを知っていたので、『ネブローザ』を聴くたびに彼の人生はどのようなものだったんだろうと思いを馳せていたんです。今回この映画を観て、それがよくわかりました」

テノーリオ・ジュニオルの唯一のリーダー作。『ボサノヴァ〜撃たれたピアニスト』の監督トルエバも、これを聴いてこの映画を作ろうと思い立ったそうだ。サンバジャズの名盤中の名盤。国内流通の輸入盤CD、LPで入手可能。
テノーリオは、76年、ヴィニシウス・ヂ・モライスとトッキーニョのツアーに同行し、滞在先のブエノスアイレスで、ある晩、突如姿を消すのだが、それは、アルゼンチンで軍事クーデターが起こる数日前のことだった。
「ブラジルも60年代の後半は軍事政権による弾圧が厳しくて、いろいろなミュージシャンがヨーロッパやメキシコに亡命するわけなんですけど、70年代前半になると、みんな国に戻って音楽活動を再開していたんですよね。もちろん、ジャケットや歌詞など検閲はあったわけですが。でも、アルゼンチンはこの時代、かなり激しかったんだなと感じました。この映画の中でも、中南米のいろいろな国で起こったクーデターやその背景について細かく語られていたんですが、僕が先日コーヒー豆の買い付けに行ったグアテマラとかも酷かったという話が出ていて興味深かったですね」
この映画では、テノーリオの家族だけでなく、彼とゆかりのある綺羅星のようなブラジルのレジェンド級のミュージシャンたちのインタビューが出てくるのだが、それがアニメとして描かれているのが新鮮である。
「実写だと、似たような作りの映画に『ジョアン・ジルベルトを探して』がありましたけど、最初アニメってどうなんだろうなと思って観始めたんです。ところが、どんどん惹きつけられていくのが不思議でした。テノーリオの珍しい音源を聴かせてくれたりもするんですけど、その演奏シーンがアニメになっていてもすんなりと入っていけるんですよね。テノーリオの未発表曲も聴けて嬉しかったです」
この映画を共同監督したマリスカルとは、92年のバルセロナ五輪のキャラクター、コビーでも知られるあのマリスカルだ。
「マリスカル、懐かしい。確か、日本でもちょっとしたブームになりましたね。また、この映画のタイトルは、フランソワ・トリュフォーの『ピアニストを撃て』のもじりなんですよね。実は、僕の店の名前もトリュフォーの遺作『日曜日が待ち遠しい!』から来ています。映画の中で、ミルトン・ナシメントが、やはりトリュフォーの『突然炎のごとく』を観た影響から曲を書いたという有名なエピソードも出てきますけど、テノーリオとは無関係なそういう話を映画の中でわざわざ持ち出すというのは、彼ら作り手側のバックグラウンドを示したかったのかなと思いました。でも、フランス人ではなくスペイン人だというオチがついているわけですが(笑)」
この映画は、テノーリオについての映画である一方で、タイトル通りボサノヴァの歴史を語るものでもある。
「ボサノヴァというと、太陽とか海とか花とか恋人みたいな題材で語られることが多いんですが、一方で軍事政権下を生き抜いてきた人たちが大変な目に遭いながらこうした音楽を生み出したということも、この映画を通して知ってもらえたらいいですね」
70年代にアルゼンチンで失踪したブラジルのピアニスト、テノーリオ・ジュニオルの人生に迫るアニメーション映画。その謎を追うジャーナリスト役の声はジェフ・ゴールドブラムが担当。ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国で公開中。