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映像作家デレク・ジャーマンの咲き続ける庭〈プロスペクト・コテージ〉

作品集の出版や回顧展の巡回など、再評価が高まる映像作家のデレク・ジャーマン。時代を先駆けた反体制的な作風とともに、人々を魅了してやまないのが、彼が終の住処で花を育てながら暮らした様子だ。草花に癒やされながら、ジャーマンはパラダイスを作った。

Photo: Howard Sooley / Text: Megumi Yamashita

デレク・ジャーマンがイギリス南東の海辺の町、ダンジェネスにやってきたのは1987年のこと。原子力発電所もある最果ての地のような風景に魅せられ、彼は漁師の小屋を買い取り〈プロスペクト・コテージ〉と名づけた。

HIV感染で死と隣り合わせながら、ここで草花を育て暮らした様子は、没後に出版された写真やジャーナルで広く知られるところとなる。

ジャーマン亡き後はパートナーによって維持されてきたが、その彼も他界。売却の危機に瀕していたが、昨年クラウドファンディングによって保存される運びとなった。アート、文学、環境などジャンルを超えた創作の拠点になる計画だ。

時代を先駆けたジャーマンが亡くなって四半世紀。彼が丹精込めた庭では、今も花が咲き続ける。

映像作家のデレク・ジャーマン プロスペクト・コテージの裏側にて
Derek Jarman(映像作家、アーティスト)
デレク・ジャーマン/1942年ロンドン生まれ。スーパー8で撮影した『ザ・ガーデン』など同性愛への偏見をテーマにする前衛的な映像やステージデザインなどで知られる。晩年はダンジェネスで草花を育てながら5本の映画を製作。1994年エイズ合併症で逝去。昨年、絵やコラージュの作品集『Protest!』が出版になり、2021年に同タイトルの回顧展が世界を巡回中。

荒野に草花を育てることが、デレクを癒やした。

ハワードはキリンのよう。穏やかで優しい。蹄ではなくデリケートな手を持つ。草花を愛するその手を借り、私は楽園作りを続けた」。ジャーマンがそう描写した写真家のハワード・スーリー。共に庭仕事をしながら、最期までジャーマンを撮り続けたスーリーが、当時を回想する。

デレクとは雑誌用のポートレート撮影で出会った。そこでダンジェネスにも撮りに来てくれと頼まれ、1990年の春、初めて現地に向かった。ロンドンの南東にあるケント州は通称イングランドの庭。リンゴ園やホップ畑などが続く緑豊かなエリアだ。

が、海に近づくにつれ、次第に風景は変わり始める。イギリスの最南東にあるダンジェネスは、その昔は海水に覆われていたのだろう。小石に覆われた殺伐とした大地には質素な小屋が点在する。黒いタールの外壁と黄色い窓枠の〈プロスペクト・コテージ〉はすぐに見つかった。

イングランド ダンジェネス 映像作家デレク・ジャーマンが晩年過ごしたコテージ
〈プロスペクト・コテージ〉

近づくと朝靄に煙る原子力発電所を背景に、庭仕事をするデレクの姿が見えた。この世のものとは思えぬ不思議な光景。当時は4年にわたってここに通うとは思いもしなかった。

その日、英仏海峡を望むダンジェネスの海辺まで、デレクと歩いた。圧倒的な空と大地。足元をよく見ればハマナ、ポピー、ヒメフウロ、ハマエンドウなど、野の草が花を咲かせている。海風に晒された不毛の地で、なんという植物の生命力だろう。当時、HIV感染は死を意味していた。デレクがあえてこの地に居を移し、ガーデニングに没頭する気持ちがわかる気がした。

石だらけの荒野に咲く花。
それは奇跡でしかなかった。

間もなく、私は写真を撮ることより、庭仕事の手伝いのために、ロンドンとダンジェネスを往復するようになる。映画『ザ・ガーデン』はここで撮影されており、コテージの表側はすでにかなりガーデンらしくなっていた。海辺で拾った流木や石と共に円や楕円の花壇が作られ、ラベンダー、サントリナ、ポピー、ハマナなどが花を咲かせる。

裏側はもっとカジュアルだ。自生する野草の周りが自然発生的な花壇となり、地平線まで続く風景と庭の境界がない。ダンジェネスを除けば、この周辺は肥沃で緑が深く、有名なガーデンや種苗場も多い。車を運転しないデレクを乗せて草花の苗を仕入れては植えていった。

それにしてもこんな小石がぎっしり詰まった土地によく植物が育つものである。当時は掘っても掘っても石しか出てこなかった。ここに草木が根づき、花を咲かせることは奇跡でしかない。それを誰よりも実感しているのがデレクだった。実際、カナリア色のバラが最初の花を咲かせた時ほど、嬉しそうなデレクを見たことはない。

デレクは少年のような人だった。「子供の頃は庭師になりたかった」と幼い日にイタリアのマッジョーレ湖のほとりで赤いゼラニウムを摘んだ思い出などを話してくれたことがある。ミツバチのように花から花へと飛び回り、庭仕事に没頭する姿は、ほかのことは全く意に介さないふうだった。そんな彼の楽しげな様子を花と共にカメラで捉え、脳裏にも焼き付けた。

手を入れるに連れ、草木は青々と茂り、きれいな花を咲かせるようになった。それに反してデレクの病状は少しずつ悪化していった。ロンドンのエイズ病棟で過ごすようになっても、週に2回は車で迎えに行き、ダンジェネスに戻った。

草花を育てることが何よりの治療だった。デレクは命をつなぐように草花の世話を続け、私はその様子を最期まで撮り続けた。

映像作家デレク・ジャーマン自宅 プロスペクト・コテージ
プロスペクト・コテージの裏側で庭仕事をするジャーマン。海辺で拾った流木や錆びた棒や石もたくさん持ち込んだ。自生の植物と園芸場で買い求めた草花は自然に棲み分けながら育った。

デレクの死後もパートナーのキース(芸名ケヴィン・コリンズで映画にも出演)はここで暮らし、庭の世話もしてきた。私も時折行っては手伝ったりした。そのキースも今はデレクのところへ逝ってしまった。個人的にはセンチメンタルな思い出だが、かけがえのない日々だった。

写真を通して、その様子を残せたことはよかったと思う。デレクから教わったことは山ほどあるけど、ひとまず、自分も花だけは育て続けている。

映像作家のデレク・ジャーマン自宅 プロスペクト・コテージ2
水平線の向こうはフランス。ジャーマンが最後に海峡を渡って旅した先は、画家クロード・モネが亡くなるまで庭作りと絵の制作を続けた「モネの庭」だった。

”The word paradise is derived from the ancient Persian — ‘a green place’. Paradise haunts gardens, and some gardens are paradises. Mine is one of them” Derek Jarman

パラダイスという語は古代ペルシャ語の“グリーンな場所”に由来する。この世のパラダイスは庭となって現れる。実際、パラダイスのような庭もある。私の庭もその一つになった。デレク・ジャーマン