「“沁みる”という言葉を調べてみると、いろいろな意味があるんですよね。色が移り込む、液体が入り込む、しみじみ感じ入る、痛みを感じるとか、全部、人間の感情に似てますよね。誰かの色に染まる、思わず涙する、しみじみとは、悦びや辛さを嚙み締める感じで、人の痛みも自分に響いてくれば共感だし。沁みるということが、人間の心を潤しているんだと思います」
丁寧に、言葉を選びながらそう話してくれた俳優の本木雅弘さんが、沁みる映画の一つとして挙げたのが、『潜水服は蝶の夢を見る』。ファッション誌の編集長という華々しい人生から一転、脳梗塞に倒れた主人公が、絶望しながらも周囲の人々に支えられ、唯一動かせる左目の瞬きだけでコミュニケーションしながら、自分の人生を本に綴っていくという、驚くべき実話に基づく映画だ。
「すごい設定だけど、これが実話だということと、また映画の撮影現場を想像すると、さらに圧倒されました。言語療法士が、“はい”は1回、“いいえ”は2回瞬きするというシンプルなルールを教えて、主人公は言葉を綴っていく。
ある時彼が死を意味するアルファベットを指すんですが、主人公の主観の画面の中で、言語療法士の役者が、ハッと胸を突かれ、涙声で“死にたいの?”とつぶやく、その繊細な芝居もカメラに向かってしているんです。その集中力の高さと、創り手の、この物語を真摯に届けたいという信念と温かみを感じて、そこに沁み入りました」
想像を絶するような絶望の中にいた主人公に、彼の父親がかけた言葉が印象的だという。
「“自分の中に残された人間性にしがみつけば生き抜ける”。とても強い言葉ですよね。一見キツく聞こえるけれど、本人の業か否かにかかわらず、ある過酷な状況に追いやられて、自暴自棄になり、それでも生きていかないといけないという立場の人は、今の日本にも、世界にもたくさんいる。そういう人たちにも寄り添うリアルな言葉だと思います」
そしてその言葉は、本木さんの主演最新作『海の沈黙』の主人公の生きざまにも通じるようだ。本木さん演じる孤高の画家、津山竜次とかつての恋人、そしてある贋作事件をめぐる物語だが、その真髄は「美とは何か」を問う作品だと本木さんは考えている。美の本当の価値とは何なのか、その基準は誰が決めるのか。
「竜次は純粋に自分にとっての美を追求しましたが、人間ってなかなかそんな境地には辿り着けないから誰かが決めた基準に乗っかってしまう。でも美の価値はその人の心の中で作るもの。人間って本能ではない部分で何かを感じることができる生き物だと思う。そこが人間の美徳だし、残すべき人間性なんじゃないかな。それを最後の砦にしないと、真の感動は生まれないのではと思います」
『海の沈黙』は、それなりに年齢を重ね、人生の酸いも甘いも嚙み分けてきた人には、より沁みる部分があるのでは、と本木さん。そしてもう一つ、本木さんが「沁みる」ということを考える時に思い浮かべたのは、故・小澤征爾さんの「心を打つ美しさというのは、少し悲しみの味がする」という言葉だ。
「もちろん光り輝くようなポジティブな美しさもあると思いますが、じわじわと浸透してきてしまう“沁みる”という感情は、どこか悲しみに共鳴するものだと思います。うまくいかないとか、わかっているけどやるせないとか、どこか虚しさにも通じるような。そういう矛盾や陰と陽の両面があってこそ、沁みる、心が震えるという世界を感じるんじゃないかな。
先ほど紹介した映画の瞬きの主人公が“僕には自由な想像力がある”と言っていたのが救いだと思うのですが、何かに共鳴、共感するのも、やっぱり想像力なんですよね。似たような経験をした人の心に響くのは当たり前だけど、そうではなくても沁みるという感情は、想像力から生まれてくるもの。それが人間に与えられた“伝わる”という苦しみであり、ご褒美なんだと思います」