VISAの推薦人にもなってくれ、
「自分の殻が一番の問題」と叱ってくれた
ウーマンラッシュアワーのボケを担当し、社会風刺を取り入れた漫才などで人気を博したお笑い芸人の村本大輔さん。現在は拠点をNYへと移し、スタンダップコメディアンとして活躍している。お笑い芸人と音楽家、一見不思議な関係にも思えるが、実は村本さんのVISAの推薦人が坂本龍一だという。その出会いや印象的なエピソードについて話を聞いてみた。
——初めて坂本龍一の世界に触れたのはいつですか?
村本大輔
突然『RADIO SAKAMOTO』からオファーが来たんです。坂本さんの作品はおろか、YMOのことすら知らなかったので、何を話したらいいか分からなくて断ろうと思ったくらいです。
『戦場のメリークリスマス』は聴いたことがありましたけど、坂本さんの印象は、「品のある、白髪が似合う眼鏡男」でした(笑)。
けど、実際に番組で会って話してみたら、初めて会ったとは思えないくらい心地よかったんですよね。収録の前に楽屋に来てくださって、「いつも通り、普通でいいからね」って言ってくれて。自分でもびっくりするくらい、自然体で話せました。それ以来、食事に誘ってもらったり、連絡を取るようになりました。
直接言われたわけじゃないけど、僕が政治や社会問題を漫才に取り入れていたことを知って、興味を持ってくれたのかもしれません。坂本さんは、日本で、アクティビスト的な一面を持って活動することの孤独さを知っていて、気にかけてくれたのかなと。
あと、坂本さんはコメディもお好きなようで、アメリカの超一流コメディアンのアリー・ウォンの話などもしてくれましたね。めちゃくちゃダーディなネタをする芸人なんですけど、「彼女は、ネタは下品だけど、品があるよね」って。
——坂本との思い出の中で、一番心に残っている瞬間は?
村本
ある大晦日の日に食事に誘っていただいて、坂本さんとパートナーの方と3人でご飯を食べました。その夜もすごく楽しくて。
僕の癖なんですけど、すごく好きな人の頭に噛みつきたくなるんです。食事の終わり頃に「頭を噛んでもいいですか?」って聞いたら快くOKをくれて、思いっきり噛みつきました。そしたら、坂本さんの頭がめちゃくちゃいい匂いで(笑)。シャンプー何使ってたんだろう……。
村本
坂本さんとは色々な話をしました。「マイルス・デイビスって知ってますか?」なんて聞いちゃうくらい音楽やカルチャーに疎くて、坂本さんはそれが楽だったのかもしれません。仕事のこと、政治のこと、環境問題のこと、たくさん話してくれました。
NYでスタンダップコメディアンとして活動するにはVISAが必要になるんですが、坂本さんにその推薦人を依頼すると快く引き受けてくれて。NYのことで相談をする中でこんなことがありました。
ある時、坂本さんに知り合いの不動産屋を紹介してもらったんです。僕は彼に、マンハッタンで一番安い部屋を探していると連絡をしたけどレスは来ませんでした。そこで坂本さんにちょっと嫌味っぽく「返事もないなんて非常識じゃないですか?」って言ったんです。
すると「そういう日本の常識は、世界では通用しないよ。君は自分の常識を壊すためにNYに来るんじゃないのか?自分がもっている殻が一番問題なんだよ。自分の“正しさ”を疑う目がなければ何事も批判はできないよ」って叱ってくれたんです。その言葉は今も僕の中に大切にしまってあります。
坂本さんの言葉と教えを思い出して
自分のチューニングを合わせる
——坂本の作品の中で、特に心に響くものは?
村本
坂本さんの難しい作品はまだ分からないのですが、映画のサントラは好きです。よく聞くのは、映画『怪物』のサントラにも入っている「hibari」。日本にいた時、ライブの帰り道に聞いていたのが懐かしいです。悲しそうなメロディなんだけど悲しくない。「あたたかい黒色」みたいなイメージで、落ち着くんですよね。
——あなたにとって「坂本龍一」とはどのような存在ですか?
村本
悩んだ時や立ち止まった時は、坂本さんの言葉や考えに立ち返るんです。そうすることで、自分のコメディに対する姿勢をチューニングする。坂本さんの教えが、精神的な支えになっていると思います。
ある時、自分のネタについて、社会風刺的な漫才は昭和っぽいというか時代遅れなのかなって悩んだことがあって、坂本さんに相談したんです。
すると坂本さんは「時代は巡るんだよ。今の時代の最後尾にいると思っていたら、いつの間にか新しい時代の最前線にいることだってあるから、自分のやっていることに自信を持っていい」と言ってくれて。肩が軽くなったというか、自分の進む道が晴れたような気がしました。
『Opus』でも見られるように、闘病中でも好きなことにひたむきになる姿勢は本当にかっこよかった。“何でも屋”が多い現代において、愛した音楽に生きた坂本さんの姿は僕の道標です。