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YES!と言わせる進化系「ハーバード流交渉術」岩瀬大輔 〜前編〜

ライフネット生命保険の共同創業者で、近年、拠点を香港に移し起業、日本でも、外資のWeb3企業のCEOを務める岩瀬大輔さん。12年前、『必ず「望む結果」を引き出せる!ハーバード流交渉術』の日本語訳を手がけた後も、熾烈なビジネスの現場を駆け上がりながら、洗練させ続けてきた交渉術。ハーバード流×岩瀬流とも言えるその極意について語る。

photo: Megumi Seki / text: Junya Hirokawa / illustration: Takashi Koshii

ハーバード流交渉術の本の日本語翻訳を手がけたのは2011年。当時は、共同創業したライフネット生命保険の副社長でした。10年以上経過した今、自分の経験も交えながら、ハーバード流経営術の進化系とも言える交渉術を紹介していきます。まずは、「交渉とは何か?」を正しく捉えるためのイントロダクションから。

日常における交渉を例に挙げると、大家さんとの家賃交渉だったり、会社と社員の賃金交渉だったりがありますよね。しかし、これらの交渉は、普通に生活しているとレアケース。まあ、何年かに1回あるかどうかという「狭義の交渉」です。

対して、ハーバード流交渉術が役立つのは、「広義の交渉」において。他人とわかり合うことでより良い結論を導くプロセスの会得は、普段の生活や仕事において、未来を大きく変えてくれる強い助けになる。交渉を大きく広く捉え、異なる立場の人と一緒に利益の最大化を目指すのが、ハーバード流交渉術の本懐です。

従来型交渉と、交渉における大前提

ハーバード流交渉術を知る前にいくつかインプットしておくべき知識があり、最も大切なのが「従来型交渉」です。映画などで目にする、引きの姿勢の「ソフト型交渉」と、押しの姿勢の「ハード型交渉」がありますが、どちらもいい交渉ではありません。交渉を駆け引きと捉える従来型交渉から抜け出すのがハーバード流交渉術で、交渉上手の第一歩。

その他、3つの大前提があります。

1つ目は、何のために交渉するかを正しく理解すること。両者で共通解を見出し、合意形成するという認識を持つことから始まります。

2つ目は、相手と継続的な信頼関係にあること。その場限りの交渉には当てはまりません。ハーバード流交渉術が役立つ広義の交渉は、良好な間柄でのみ成立します。

私には、こんな失敗談があります。20代の頃、米国のプライベートエクイティファンドで働いていた時、ある名門企業を買収しようと米国の銀行10行から350億円の融資を取り付けたものの、契約締結当日、いくら待っても相手はやってこなかった。最後の最後で、日和(ひよ)ったんですね。

その相手はその後、より有利な条件で、別の投資会社に買収されたと聞きます。今後も銀行との取引が続くならそんなことはできませんが、相手はオーナー企業の社長で、会社を売ってしまえば銀行との付き合いはなく、捨て身だったんです。

3つ目は、広義の交渉は、双方が100を取り合うために話し合う「ゼロサムゲームではない」ということ。切った張ったの駆け引きから抜け出して、一緒にアイデアを出し合い、創意工夫を凝らす。誰も気づかなかったような、互いの共通解を模索する姿勢が求められます。

なぜこれら3つの大前提が必要なのか。例えば、家賃交渉では、交渉により相場より大幅に家賃を下げてもらうよりも、その物件に住み続けることを考えると良好な関係を築いていた方が明らかに得策だからです。会社との賃金交渉も同様で、交渉後も雇用関係は続いていきます。

どちらか一方に有利な契約は現実的ではないし、そのような交渉を勝ち取ったところで、誰も幸せになりません。ハーバード流交渉術は、対立関係の相手との交渉ではなく、同じ方向に向かう仲間や同士との合意形成のやり方だと理解してください。

ハーバード流交渉術の4つの行動指針

マインドセットが終わったところで、友好的かつ効率的に、いい結果に至るための4原則を紹介します。

まず「人と問題を切り離す」。例えば、株式を保有しているオーナー社長は、「自分の報酬はゼロ円でいい」と主張する場合が時々あるものですが、そんな時、重要なのは社長個人の報酬ではないということです。本質は、その企業の社長というポジションの適正な報酬水準を決めること。つまり、もし後に外部から社長を雇うことになった際に、報酬をいくらにするのが妥当かという話です。人と問題を切り離し、広くみんなに当てはまるようにすることです。

2つ目の「条件ではなく利益に注目する」と3つ目の「お互いの利益に配慮した複数の選択肢を考える」は、近しい内容なのでまとめます。この原則の解説には、私のライフネット生命保険時代の、あるエピソードがわかりやすいと思います。

ある日、「子育て中のため群馬県にある実家に戻って東京まで通勤したい」とスタッフに相談されました。その時、もし新幹線で通勤するとして、「定期券だったら何ヵ月まで認める」とか、「交通費の何割まで会社が負担する」という答えではなく、相手のより本質的な利益に着目した提案をしました。

それは、子育て期間中「3ヵ月間だけリモートで働いてもいい」や、「その場合、リモート環境を整備する費用を負担する」「出社回数を週2回に減らす」といったアイデアです。10年以上前の話で、コロナ禍を経たリモートワークが当たり前の時代ではありません。

つまり、スタッフが望んでいたのは、新幹線で通勤することではなく、実家で子供を育てたいということ。目の前にある課題に対して、本質となる答えを出すという考え方なら、互いにとってより良い結論を導くことができるのです。

こういう場合の思考法は、「高い通勤費は払えないけど、しかし」と考えてみるのがオススメです。家賃交渉の場合でも、自分が大家の場合「家賃は下げられないけど、更新料を0円にすることはできる」といった具合に考えます。

そして4つ目の原則が、「客観的基準に基づく解決」です。賃金交渉をする場合、漠然と、「もうちょっと上げてもらいたい」「下げたい」というのはダメな交渉の典型です。例えば、競合企業数社の同様のポジションの給料を調べてそれらの平均値を求め、比較を示す、ロジカルに説明することが何よりも重要です。提示する数字の根拠を示し、客観的な決定を促す交渉をするべきです。

これら4つの原則に基づいて交渉するのが、ソフト型交渉でもハード型交渉でもない、ハーバード流の原則立脚型交渉です。忘れないでもらいたいのは、この枠組みに従うことが大切というわけではなくて、あらゆる点において双方にベストな選択かどうかというマインド。継続性を持って、Win-Winな関係になれる方法を共に見つけていくことです。

岩瀬さんが解説!“ハーバード流”原則立脚型交渉の4原則ケーススタディ

ハーバード流交渉術は、ソフト型交渉とハード型交渉とも違う「原則立脚型交渉」。「人」「利益」「選択肢」「基準」の4領域それぞれにルールを設けることで、不毛な駆け引きから抜け出して、友好的かつ効率的に、優れた合意形成に至ることができる。岩瀬さんが具体例を挙げて解説する。