柴犬の御先祖様と山陰の仲間たちに会いに、来たぜ!島根
出雲大社、神楽殿の大しめ縄の前で、ちょこんと座り、お行儀良く、初めて訪れた出雲の地の神様に挨拶をする、柴犬だいふく。「まぁ、なんてお行儀がいいの〜!」「柴犬かわいい〜♡」と、あっという間に観光客に囲まれて、スマホで撮られまくり。
さすが、柴犬人気はどの土地でも健在。撮られるだいふくの表情も、なんとなく誇らしげ。いつも家族にたくさん写真を撮ってもらっているから、撮影には慣れているのだ。実はついさっきまで、目の前に現れた大きな鳥居に圧倒されて大興奮だったのだけど、境内に入った瞬間、その神聖な空気を嗅ぎ取ったのか、いつもの落ち着きを取り戻し、振り向きざまに自慢の“糸目”でハイ、チーズ。
6歳になるオスのだいふくは、飼い主の後藤隆之介さんいわく、「ツンデレ」。だからこっちにお尻を向けながらも、チラリ振り向いて流し目をくれる。そして良い写真が撮れた時には、めちゃんこ褒めて!と言わんばかりに突進してきて、顔をたくさん舐めてくれる。犬も人間も、大好き。そして旅も大好きなのだ。
「これまで、北海道、東北各県や信州、白川郷などへ旅をしてきましたが、今回は初の山陰旅行です。途中、京都や鳥取砂丘にも立ち寄ってきましたが、終始元気でご機嫌。初めて訪れた土地で、だいふくもワクワクしているのかもしれませんね」と、だいふくパパの後藤さん。
今回の旅の目的は、柴犬の祖先といわれている、石州犬「石号」の故郷を訪れること。神様へのご挨拶を済ませたら、柴犬生誕の地を目指し、一路日本海沿いを南下する。
島根県の山里に柴犬の祖あり。柴犬のルーツ石州犬とは⁉
一口に柴犬と言っても、実はそのルーツはさまざま。昔から日本の山間部の地犬として飼われ、狩りのお供をする狩猟犬の役割を果たしてきた。信州が発祥の川上犬や戸隠(とがくし)犬、美濃が発祥の美濃柴犬、山陰が発祥の石州犬や因幡犬など分布地域によっていくつかのグループに細分化されていたが、戦争や伝染病の流行などにより、その頭数は激減。
そこで昭和初期の保存運動の中で、石見(島根県西部を指す呼称)産の石州犬「石号」と四国産の「コロ号」を交配して産まれた「アカ号」の孫が長野県に移入し、多くの子孫を残し繁栄。現在柴犬として親しまれている大多数の犬種がその子孫を源流とする信州柴犬なのだ。
つまり石州犬「石号」はすべての柴犬の御先祖様にあたる。その石号の生まれ故郷が、ここ島根県石見地方。残念ながら、石州犬はすでに絶滅。けれど石州犬によく似た柴犬たちが今も元気に野山を駆け巡っているという。
精悍で心優しい。柴犬の祖先「石号」
出雲大社を出発して約2時間。日本海の大海原に別れを告げ、田園風景を抜け、くねくねと細い山道をひたすら登っていくと、高台にポツンと一軒家が現れる。ここが、かつて「石号」が飼われていた下山信市さん宅。現在は「石号の里」として一般公開され、訪れる子孫犬たちが後を絶たない。到着すると、個性豊かな3頭の柴犬がだいふくを出迎えてくれた。まずは3頭の自己紹介。
むくむくとした毛が愛くるしい3歳オスのコウイチ。大地をしっかりと踏みしめる肢体は雄々しく、精悍な顔立ちのなかに愛嬌たっぷりのどんぐりまなこ。彼は地元では有名なイケメンで、先祖返りといわれるほどかつての石州犬の姿によく似ているのだそう。
そして3歳のメス犬のサニー。スリムで引き締まった筋肉質で、細面(ほそおもて)の顔はとても涼しげ。一見すると柴犬とは思えぬ容姿だ。実は、サニーは絶滅に瀕した因幡犬と石州犬を交配して誕生した山陰柴犬という山陰地方固有の貴重な柴犬。飼い主の河部真弓さんいわく「彼女は女優」。家ではぐうたらなのに、外ではそれを感じさせない凜とした美しさを見せる。
そして最若手のケイジは生後わずか100日。広島県福山市で生まれ、最近近所に越してきたばかりだそう。絵に描いたように愛くるしい仔犬だが、初対面のだいふくには一歩も引かず、3頭の中で唯一ワンワンと立ち向かい、やんちゃな性格を窺わせた。「こりゃ、将来が楽しみだ」と、そこにいた一同が目を見張った。
強くて優しい柴犬は、ニッポン人の心そのもの
元来、柴犬はよそ者に対しては馴れ馴れしくせず、賢く勇敢。そして何より主人に忠実。強くて優しい犬なのだ。コウイチの飼い主である柳尾敦男さんは、日本犬保存会島根支部の支部長を務めており(取材当時)島根県では一番柴犬に詳しい人物。柴犬の魅力は?と尋ねると、「とっても可愛いじゃないですか」とニッコリ。
「丸っこい顔にピンと立った耳。愛くるしい表情のなかにも、筋の通った精悍さがある。侘(わ)び寂(さ)びを尊ぶ、日本人の心そのものじゃないでしょうか。古来人間に寄り添い、運命共同体として生きてきた素質が、どの柴犬にも受け継がれているのでしょうね」
初対面でしばらく互いの間合いを測っていた4頭だが、次第に距離が縮み始める。山陰の柴犬たちは、遠路はるばるやってきただいふくを受け入れ、だいふくもまた、自らに流れるDNAの中に、故郷を感じたのだろうか。祖犬石号の前において、彼らはみな家族なのだ。