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社会に潜む暴力性と真摯に向き合う。アーティストのクレオン・ピーターソンが伝えたいこと

日本では約7年ぶりとなる個展「Under the Sun, the Moon, and the Stars」がKaikai Kiki Galleryで開催中のクレオン・ピーターソン。このために27点を制作して来日した彼に、作品のコンセプトやアーティストとして今の世界をどう見ているのかを聞いた。

photo: Shu Yamamoto / text: Toko Suzuki

作品の主題は、戦争、内紛、闘争、つまり「暴力と権力」。大きな刀で斬りつけられる人、生首を手に持つ人、虐待される人……。人々はフラットな線でシンプルに描かれているため、独裁者なのか平民なのか区別はつかない。白と黒を基調に精密にデザインされた構図によって、極めて原始的な人間の暴力性が描き出されたドローイングの数々は、その主題に反して、まるでギリシャの戦争陶器画のように美しくもあり、観る者に居心地の悪い揺さぶりをかける。

日本では約7年ぶりの個展です。その間にコロナパンデミック、ジョージ・フロイド事件、米国連邦議会議事堂襲撃事件、ウクライナとロシアの戦争など、さまざまな事件や出来事がありました。現実社会やメディアには既に暴力が溢れていますが、それでもあなたが「暴力と権力」を描き続けるのはなぜですか。

大変な時代になったと思う。日本の人たちがどう感じているかはわからないけど、僕はアメリカにいて、世界が大きく変化していることを日々感じているよ。残念ながら、よい方向ではなく、恐ろしい方向にね。政治の力がこれまでになくダイナミックに動いていて、ナショナリズムが台頭して、あちこちで社会が分断され、人々が対立している。

でも今、僕たちが経験している暴力性は、既に歴史の中で何度も繰り返されてきたものだ。だから問題に直面したら、常に歴史に立ち返ることが重要だと思っている。例えば、この作品は今回の個展のためにギャラリーのスペースに合わせて制作したものだけど、時代設定に古代の暗黒時代を想定して描いたのは、まさにそれが理由だよ。ただ特定の戦争や事件をモチーフにしたわけではなく、古代ギリシャや僕自身が生まれ育ったアメリカの歴史や植民地主義など、さまざまな複数の歴史的な事件を前景にしている。

The Four Horsemen(2023)
The Four Horsemen(2023)

この作品はアジア的というか、陰陽太極図のようですね。

そうとも言えるね、これは人間の性質を描こうとしたものだから。例えば、ニュースで暴力事件や戦争報道があると、僕らは「自分以外の誰か暴力的な人たちが起こした事件で自分には関係のないこと」と思いがちだ。でも、暴力性というものは常に人間の中にあるし、誰でも持っている性質なんだ。そのことを認識して自覚している人たちでも、自分は暴力をコントロールできると思い込んでいるんだ。

そうした負の側面があるから善の部分がある。善も悪も切り離せない、まるでコインの裏表の関係にあって、ふたつでひとつなのが人間だと思う。21世紀になって科学技術が進化しても、未だに人間は自らの暴力性をコントロールできず、戦争を止めることができない。そして歴史は繰り返される。

Brothers(2023)
Brothers(2023)

絵画を本格的にはじめたきっかけは?

最初に描いた絵画は、ピカソの『鏡の前の少女』の模写だったと思う。確か、10歳の頃だったかな。当時は毎日ずーっと絵を描いていて、15歳のときには初の個展を開いたんだ。風景画を50点も描いてね。なぜ風景画だったのかというと、母が「お花を描いたら、スケートボードを買ってあげる」と約束してくれたから(笑)。

それで何年間もまるで野獣派みたいに花ばかりを描き続けたんだけど、あるとき我に返って「僕は残りの人生を花を描くことに費やしたくないんだ」って母に伝えたんだ。もともと絵を描くことが大好きな少年だったけど、いまに繋がる原点という意味では、19歳で麻薬中毒になって刑務所と更生施設に入ったことだと思う。

まだ社会人にもなっていない10代の頃に道を踏み誤って社会的に抹殺された経験は、本当にキツかった。何年間も厳しい刑罰に耐え、出所した後は、その汚名と絶えず闘わなくてはならなかった。でも、このときの経験が社会的なスティグマになって自分自身に刻まれたことは大きかったよ。更生施設を出た後、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を読んで影響を受けて哲学を独学した。そして美大でデザインと美術史を学んだんだ。

クレオン・ピーターソン
真摯に語ってくれたクレオン・ピーターソン。

あなたの描く暴力性からは、人間の中にある暴力性、その暴力を発動させる装置になっているメディアや社会制度、その両方を感じます。

例えばこの作品(下写真の下段右から3枚目)は、SNSにコントロールされる人間がテーマだけど、SNSによって、これまでになく視覚イメージが最強の言語になっているという問題を描いている。例えば、SNSによって誰もが生産的で何者かでなければならないという圧力が広がったり、フェイクニュースや加工された映像がまき散らされるプロパガンダも珍しくなくなった。そのイメージには一体どんなメッセージが内包されているか、鑑賞者側はほとんど認識できずに受け取ってしまう。

こう言うと語弊があるかもしれないけど、戦争や凄惨な暴力もアートも、同じ力を持っていると思う。例えば、津波や地震などの自然災害が起きると、自分たち人間はなんて小さな存在なんだろうと感じることがあるよね。かつてギリシャ美術やミケランジェロの彫刻が、美しさによって、大衆にある種の脅威を感じさせ、一種のプロパガンダとして機能した仕組みと近い構造なのではないかと思うよ。

Under the Sun the Moon and the Stars (2023)
Under the Sun, the Moon, and the Stars (2023)

来日は2回目ですが、日本の印象は?

日本はアメリカや他の国のことをまったく気にせず、独自の文化で、独自の道を進んでいるように見える。でも社会にはたくさんのルールがあって、人々は絶えずお互いにルールから外れていないかをチェックし合って、互いに監視し合っている印象がある。どうかな、そうは感じない?(笑)

そうですね(苦笑)、まさにフーコーの言う「パノプティコン(全展望監視システム)」な社会かもしれません。ところで、“日本における暴力”とは、どんなものだと思いますか?

今回の展覧会を日本で開催するにあたって、滞在中「日本における暴力は何だろう?」と考えていたんだ。短い滞在だったし、日本人の持つ暴力性はわからないけど、「これまでに日本が経験した暴力」という点で言うと、広島と長崎の原爆やいくつかの大地震や津波、3.11の原発問題があるよね。

そうした歴史を、漫画や映画などのポップカルチャーによって表現し続けていることは、すごく興味深いよ。例えば、映画『ゴジラ』とかね。あまりに凄惨な事件だからダイレクトに語り継ぐとそれ自体が社会的なトラウマになってしまうからなのか、政治的もしくは文化的に難しいのかどうかはわからないけど……。日本は興味深いので、ぜひまた来日したいと思っています。

©︎Cleon Peterson
Courtesy of Cleon Peterson and Kaikai Kiki Gallery