伝統を現代に翻訳する椅子づくり
毎年4月、イタリア・ミラノで開催される「ミラノサローネ国際家具見本市」。世界有数の家具の祭典に訪れたのは、デザインスタジオ〈ドリルデザイン〉を主宰する林裕輔さん。自身がデザインした新作のお披露目の場に、今年も足を運んだ。
会期中、日本の家具ブランド、Time & Styleのミラノの店舗で発表されたのが、林さんがデザインした新作「TLSB Chair」。フレームにタモ材を、座面にラタンを使ったとても軽い椅子はしっかりした座り心地と佇まいで、小さいながら、存在感を示している。
TLSB Chairは17世紀後半、イギリスの街、ウィンザーとその周辺地域で誕生した「ウィンザーチェア」をリデザインしたもの。ウィンザーチェアとは、厚い無垢の座面に木材でできた背や脚を差し込んだ伝統的な椅子のスタイルで、大きく6つに分類される。今回のTLSB Chairは6つのうちのひとつ、「スクロールバック」がベース。小さな座面や高い背もたれ、コンパクトなサイズ感に由来する軽さを特徴とするのがスクロールバックだ。
「この椅子はウィンザーチェアの中でもおもしろくて、座面が小さくて奥行きが狭くて、でも座ると窮屈に感じない。その独特の座り心地を残しながらどれだけ軽くできるかが今回のチャレンジでした」と林さん。さらに、「TLSB Chairは、新しく三角形に組んだフレームを採用し、座面はもともとスクロールバックで使われていた無垢の木材からラタン張りに変更。それによって軽さを突き詰めました」と解説する。
構造や素材使いを洗練させる一方で、背もたれ中央に入った木のパーツなどの要素をアイコニックに継承。クラッシックとモダンの融合が、独特の存在感につながっている。
シトロエンが受け継ぐ「魔法の絨毯」
2025年春、日本での発売が始まったシトロエンの新作「C4ハイブリッド」もまた、継承と革新を備えた新モデル。シトロエン特有ののびやかなシルエット、なだらかなスタイリングのハッチバックスタイルはそのままに、ブランド初となるハイブリッドシステムを採用。1.2リッターターボエンジンと電動モーターを搭載することで、ガソリン1リットルあたり23.2km(WLTCモード)走行可能。輸入車の同クラスでは、優れた燃費性能を備えている。
そのほか、C4ハイブリッドが継承したものの一つに快適な乗り心地がある。1919年にフランスで創業したシトロエンの乗り心地は、しばしば、「魔法の絨毯」や「雲の上」と表現されてきた。
例えば、1948年に発売し1990年まで販売したアイコニックなフランスの国民車「2CV」の開発条件には、「カゴに卵をいっぱいに積んで時速50kmで農道を走っても、卵が割れないこと」が含まれていたとか。1955年発売の「DS」など、半世紀に渡って採用し続けた独自のサスペンション技術「ハイドロニューマチック・サスペンション」も広く知られている。
今回、C4ハイブリッドが新たに採用したのは、新開発の「アドバンストコンフォートシート」。たっぷりした膨らみのあるシートは、中央の高密度フォームと分割された表面のパッド構造による柔らかな座り心地で、運転中に使用できるマッサージ機能付き。ホワイトとグレーを組み合わせたモダンなカラーリングと相まって、ゆったりとした移動体験を提供する。

複雑な構造が生む、奥行きを感じさせる座り心地
運転席に座った林さんは、「最初に気づいたことが、単一な座り心地ではないということ。複数の素材を組み合わせるなど、シート内部で相当複雑なことをやっていると感じました」と指摘。「多少身体が沈み込むような素材で、深めのシートポジションは確かに快適。腰辺りのホールド感もいいですね」と続ける。
さらに、C4ハイブリッドが搭載しているのが、「プログレッシブ・ハイドローリック・クッション(PHC)」と名付けたサスペンション。従来は吸収しきれなかったショックも抑制するサスペンションとシートの組み合わせで、伝統の座り心地を進化させている。
真似るのではなく、進化させる
「ここ15年以上、ウィンザーチェアへの興味は尽きないですね」と語る林さん。きっかけは、2010年にデザインしたアーム付きの「BEETLE(ビートル)」にある。それまで、新しいアイデア、新しいデザインを追い求めてきたものの行き詰まりを感じ、古いものから学ぼうと方向転換。そこで、「昔作られて今も使われている椅子や、自分も含めて誰かの記憶に引っかかっている椅子のように、普遍的な存在を作ろうと考えたのが、ウィンザーチェアに興味を持ったきっかけ」と続ける。
BEETLEは、成型合板を使って作り方をリデザイン。ウィンザーチェアが持つ雰囲気はそのままに、素材や作り方を削ぎ落とした。
2011年には、ドリルデザインを含む3組のデザイナーで「Windsor Department(ウィンザーデパートメント)」を設立。この研究会では、ウィンザーチェアについてリサーチするだけではなく、それぞれが毎年のペースで新作を発表し、ウィンザーチェアの可能性を形として表現。ギャラリーを借りて、新作の発表会も開催してきた。
その後、ラタン素材を用いた「WRシリーズ」や、背もたれの構造を3次局面的に工夫した「Argyle(アーガイル)」、今回のTLSB Chairなど、ウィンザーチェアをベースに約10脚をデザインしてきた。
その先に目指すのは、ウィンザーチェアを真似るのではなく、進化させること。
「外見を似せるのではなく、例えば、軽さの追求や座り心地の向上、スタッキングできるといった機能的な部分を付け加えること。雰囲気や存在感を継承しながら、その構造や機能をリデザインすることを目指しています」と林さんは言う。
こうした継承と革新への姿勢は、シトロエンのクルマづくりにも通じるものがある。今回のC4ハイブリッドもまた、シトロエンが長年培ってきた乗り心地の良さという本質的な価値を受け継ぎながら、新しいハイブリッドシステムや先進のシート技術で現代に適応させているからだ。
「椅子でもクルマでも、歴史を受け継いで確立した個性というのは純粋にいいなって思いますね」と林さん。
C4ハイブリッドは、ブランドとしての大きな進化を体現した一台だ。というのも、これまで、先代のC4を含めてシトロエンが長く使用してきた、「ダブルシェブロン」から左右のヘッドライトへと伸びる2本のラインを特徴とするデザインアイデンティティの代わりに新エンブレムを採用。左右の3本の独立したシグネチャーライトによって独自性を印象付けるなど、新世代のデザイン表現を強く打ち出している。
新エンブレムは、1919年にデザインした楕円形のロゴを再解釈したもの。シトロエンが2019年に100周年を迎え、クルマの動力源がガソリンから電気へと置き換わろうとしている今、ブランドアイデンティティの刷新が、新たなブランドへの進化を示している。
運転して感じた、継承と革新の実力
実際にC4ハイブリッドの運転席に座った林さん。ステアリングを握ってアクセルを踏み込むと、まず驚いたのが、ハイブリッドシステムによるスタートの静かさだったとか。さらに、しばらく運転して驚いたというのがその小回りのよさ。「見た目以上に小回りが効いて、運転しやすいですね」と続ける。
ハイブリッドシステムやサスペンションに加えて、アクティブセーフティブレーキや車線内の走行位置を維持するレーンポジショニングアシストなどの先進運転支援システム、前走者との車間距離を自動的に保ってくれるアクティブクルーズコントロールなど、安全機能も多く備えたC4ハイブリッド。
「伊勢神宮で有名な三重県伊勢市の先に鳥羽市というところがあって、最近仕事で行くんですが、電車だとローカル線も含めた乗り継ぎがあって行きにくい。これなら、そこまで運転できそうな気がしました」と普段あまりしないロングドライブにも興味を持ったとか。
乗り心地や個性的なデザインを継承しながら、革新を重ね、ブランドとしての魅力が色褪せないシトロエン。新たなデザイン表現やテクノロジーの採用によって、常に現代のモビリティへと進化を続けている。