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豊かになるために資本主義を脱する。斎藤幸平が選んだ読むべき本

気候変動や食糧危機、コロナ禍。今、私たちが直面している危機の多くは、「資本主義」に起因していると経済思想家の斎藤幸平は指摘する。際限なく利潤を追求する資本主義のシステムが限界を迎えているとすれば、いかなる社会へと転換することで私たちは環境破壊を食い止め、豊かな生活を送れるようになるのだろうか。

Photo: Takahiro Idenoshita / Text: Moteslim

人新世=人類が地球を破壊し尽くす時代をどう生きるか。

「人新世」とは、人間の経済活動が地球環境を破壊し尽くす、現在の時代のこと。グローバル資本主義は経済を加速させる一方で環境負荷を高め、気候変動やコロナ禍などの文明危機を招いています。

最近私が上梓した『人新世の「資本論」』は、こうした危機を乗り越えるために、マルクスの『資本論』を足がかりに資本主義社会を脱して脱成長主義社会へと進んでいく可能性を考えたものです。歴史を振り返ると、冷戦終結後、アメリカ主導のグローバル化が地球を席捲し、経済格差、金融危機、気候変動など「人新世」の危機が深まっています。

『人新世の「資本論」』斎藤幸平/著
『人新世の「資本論」』斎藤幸平/著
「人新世」の危機を放置すれば、私たちの文明生活は崩壊してしまう。著者は『資本論』で知られるマルクスの再読を通じて「脱成長コミュニズム」という新たな社会像を構想し、経済成長ばかりを追求する資本主義の“貧しさ”を暴き出す。画一的な分業の廃止や労働時間の短縮、生産過程の民主化、エッセンシャルワークの重視など、これまでとは異なる原理からなるこの新たな社会像は、私たちが忘れていた「豊かさ」を浮かび上がらせる。集英社新書/¥1,020。

産業革命以降、資本主義はおおむね人々を豊かにすると思われてきましたが、現代人は日々何かに追い立てられ、ただ消費と労働を繰り返すだけの存在になってしまった。もはや個人も社会も豊かでもないし、幸せでもない、と感じませんか?
資本主義に必須の成長が困難な時代だからこそ、99%の私たちはますます成長のために働かされているのです。

この本では、新たな社会像として「脱成長コミュニズム」という考え方を提唱しています。従来のようにやみくもに無限の経済成長を目指すのではなく、経済をスローダウンさせ、水道をはじめとするインフラや公共空間など〈コモン〉(共有財産)の民主的な管理を中心に社会を再設計する。

コロナ禍を経て、これまでの生活や働き方を見直す人が増えた今こそ、家族との時間や、家事、趣味、読書のためにスローダウンしませんか。その際、〈コモン〉によってさまざまなモノやサービスをシェアする協同型経済に移行することで別の形の豊かさに気づけるかもしれません。

経済思想家・斎藤幸平

資本主義のシステムは当たり前の前提になりすぎていて、そこから脱することは難しいと思われるかもしれません。しかし、ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスの研究によれば、共同体の中で3.5%の人々が動けばシステムや社会は変化し得るといわれています。
ニューヨークのウォール街占拠運動やグレタ・トゥーンベリの学校ストライキなど、少数の人々の大胆な行動やデモが大きな変革を起こしました。

行動を変えるためには、まず意識を変えねばならない。大量生産、大量消費に駆り立てられ、富の独占を目指したりするのではなく、私たちは自然の限界の範囲内で、シェアに依拠した豊かさを構想していくべきでしょう。

SDGsでは気候変動は止められない。

新しい豊かさへの道:1
経済成長と環境保全はもはや両立できない。

経済成長を優先する今の社会システムが続けば、80年後には地球の平均気温が産業革命前と比較して4℃上がるといわれています。デイビッド・ウォレス・ウェルズ『地球に住めなくなる日』を読むと、この“4℃”がどれほど破壊的な上昇なのかがわかります。

『地球に住めなくなる日』デイビッド・ウォレス・ウェルズ/著
『地球に住めなくなる日』デイビッド・ウォレス・ウェルズ/著
気候変動が加速し「最悪の未来」が訪れたら果たして世界はどう変わるのか?海面上昇や食糧危機、経済破綻、気候戦争など、脅威に満ちた未来に向かいつつある現代社会に警鐘を鳴らす一冊。藤井留美/訳。NHK出版/¥1,900。

食糧の生産性が半減し、地球規模の食糧危機が毎年発生し、海面は2m上昇、億単位の環境難民が生じます。日本でも、東京の東半分が高潮で浸水するリスクがあるともいわれています。

今、喧伝されているSDGs(持続可能な開発目標)はどうかといえば、経済成長に対する免罪符になっていて、これでは危機は回避できません。例えば二酸化炭素の排出量。上位1%の超富裕層による二酸化炭素排出量は、全人類の排出量の15%をも占めています。

人類の大多数が環境保全の努力をしても、自己満足と見栄のために行動する超富裕層が変わらなければ環境破壊は続き、大多数の人々は苦しむだけ。「1%の人々が豊かな生活を続けてほかの99%が苦しむ」か、「1%の人々の豪奢な生活をやめさせ、皆が普通の暮らしをする」のかの二択を世界は迫られているのです。

では、どうやって気候変動を食い止めるのか?それにはこれまでのように「生産」や「消費」から社会や経済を捉えるだけでなく、その先の「廃棄」や「分解」も意識することが重要です。

本来はゴミが微生物によって分解され自然に戻るサイクルがありますが、今は海洋プラスチックゴミなど自然が分解できないものが増えています。商品の「計画的陳腐化」といわれるように数年でモデルチェンジし買い替えを煽られることで、廃棄量も増えている。
藤原辰史『分解の哲学』は、こうした「分解」や「廃棄」に焦点を当てて、自然と資本の論理のバランスを捉え直した一冊です。

『分解の哲学』藤原辰史/著
『分解の哲学』藤原辰史/著
私たちが生きる世界は、生産と消費、生と死の間にある「腐敗」や「発酵」と不可分にある。歴史学や文学、生態学など多様な領域を横断し「分解」の視点から“あわい”の豊かさを見出す新たな哲学。青土社/¥2,400。

分解の過程から生産を捉え直すような
発想の転換を起こさなければ、
時代は“ゴミ”の世界となる。

例えば自然の論理やサイクルでは微生物だけでなく、ゴミ収集や修理加工業のような人々によって分解や再利用が生まれていましたが、生産と消費の加速を是とする「資本の論理」は大量廃棄を生み、環境破壊をもたらします。分解のペースから生産を捉え直さなければ、人新世がゴミの時代になってしまうでしょう。

こうした状況を脱し、別のシステムを模索すべく、例えば欧米では「グリーン・ニューディール」や「グリーン・リカバリー」という考えが広がっています。
これは脱炭素社会を目指しながら、従来とは別のベクトルの経済成長を起こそうというもの。具体的には“金融”資本主義を“緑”の資本主義、つまりエコに留意した生産や環境保護のインフラ事業などに転換することで、経済成長を起こそうというものです。

「環境にいい」と言うと確かに聞こえがいいのですが、これは「絵に描いた餅」というか、実現可能性は低いと思っています。たしかに脱炭素社会の実現に向け、発電所やモビリティなどインフラを更新すれば新たな消費や雇用も生まれて経済成長は起きるかもしれませんが、膨大な電力を賄うためには太陽光パネルを大量に増やさないといけない。

そのために今度はアフリカなどのレアアースが掘り尽くされ、新たな環境破壊が生まれてしまうでしょう。経済成長というアクセルと環境保護というブレーキを同時に踏むことはできないのです。私がSDGsに懐疑的な理由もそこにあります。

ナオミ・クライン『地球が燃えている』は、こうしたグリーン・ニューディールを支持しつつもはっきりとスローダウンやスケールダウンの重要性を説いているのが面白い。さらに、この本では彼女がこれまで決して使ってこなかった「ソーシャリズム」という言葉を使っていて、グリーン・ニューディールを通じて「エコソーシャリズム」(エコ社会主義)を目指すべきだと書かれています。

『地球が燃えている』ナオミ・クライン/著
『地球が燃えている』ナオミ・クライン/著
気候変動に歯止めをかけ略奪型資本主義から脱出するには「グリーン・ニューディール」を採用するしかない。具体的な政策ビジョンとともに人類へ価値転換を迫る提言の書。中野真紀子、関房江/訳。大月書店/¥2,600。

近年、アメリカでは多くのZ世代(1990年代中盤、または2000年代序盤以降に生まれた世代)が資本主義そのものに問題があると考え、大胆なシステムの転換を求めていて、クラインもその変化を感じ取っている。
新たなビジネスのアイデアではなく、世界を変えるビジョンとしてのグリーン・ニューディールが今後重要になってくるでしょう。