Wear

Wear

着る

ブルータス時計ブランド学 課外編 Vol.1 〈オーデマ ピゲ〉のホテル&ミュージアム

海より深い機械式腕時計の世界で、知るべき重要ブランドについて講義するこの連載。今回は課外編として、大人気ブランド〈オーデマ ピゲ〉が2022年6月、本拠地スイスのジュウ渓谷にオープンさせたホテルと、隣接のミュージアムを紹介。担当ウォッチジャーナリスト・高木教雄講師による実地体験レポートです。

text: Norio Takagi

連載一覧へ

あの〈オーデマ ピゲ〉が創業地に造ったホテルとは?

スイス、ジュウ渓谷の町ル・ブラッシュに位置する〈オーデマ ピゲ〉の本社を2005年に取材した際、宿泊先は、マニュファクチュール(工房)の隣に建つ「オテル デ オルロジェ」だった。前身は1857年創設の「オテル ド フランス」。いくつもの時計ブランドとその関連企業が集約する、スイス時計産業の中心地の一つ、ジュウ渓谷の歴史あるホテルだ。これを〈オーデマ ピゲ〉は2003年に買い取って改修し、「オテル デ オルロジェ」の名でリニューアルオープンさせたのだ。オルロジェ(HORLOGERS)とは、仏語で“時計師”。直訳すれば「時計師のホテル」である。

かつての建物は山小屋風で、客室に置かれる木製ベッドのヘッドボードにハートのマークがくり抜かれていたり、ちょっと気恥ずかしさもありつつ、素朴な温もりを感じるインテリアで、ジュウ渓谷を訪れる時計関係者やメディア関係者に愛されてきた。しかし老朽化が進んだため、2018年に建て替えを決意。2022年6月、「オテル デ オルロジェ」はモダンな高級4つ星ブティックホテルに生まれ変わった。

スイス・ジュウ渓谷に新装オープンした、その名も“時計師のホテル”

Hôtel des Horlogers
ジグザグのスロープが各フロアをつなぐ建物背面。隣り合う客室の高さが異なるため、プライバシーがより高く確保される。

ジュウ渓谷の大自然を満喫!

実際に訪ねてみると、設計を手掛けたデンマーク出身の建築家ビャルケ・インゲルス率いるBIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)は、「オテル ド フランス」の歴史を建物で継承しようと試みたことが分かる。道路に面したファサード側は、かつての建物とほぼ高さが変わらぬようボリュームを抑え、外装にも木材を使っているからだ。

しかし建物の裏側に回ると、印象は一変する。BIGは、ホテル裏側に広がる草原へと続く傾斜を利用し、地上4階・地下2階の巨大な躯体を構築した。そして各地上フロアを敷地の傾斜に合わせたジグザグのスロープでつなぎ合わせることで、周囲の景観に調和させた。5タイプ計50の客室を持つ建物内部もジグザクの回廊がつなぎ、地下にはスパも用意されている。

インテリアを担当したのは、フランス・リヨンを拠点とし、周囲の環境に溶け込むことを作品のコンセプトとするAUM。彼らの創造性は、エントランスに入った瞬間に実感できた。ロビーの天井から白木のオブジェが伸びる様子は、ジュウ湖の湖面に映るリズーの森のよう。さらに随所に木や石など地元の素材が使われて、渓谷の自然環境の中で寛いでいるかのような、快適な空間が創出されている。

客室もドラマティックであった。ドアを開けると、全面ガラス窓の外に広がる草原が、まず目に飛び込んでくるのだ。客室は、すべて草原に面したネイチャービュー。天井と壁にはジュウ渓谷の杉が使われ、コンクリートの壁とのコントラストが、モダンでクリーンな印象である。夜には、車の騒音も客室には届かず、静寂の中で快適な眠りにつける。

レストランとバーのメニューは、フランスのミシュラン3つ星シェフ、エマニュエル・ルノーが手掛け、地元の食材を使った洗練された料理が堪能できる。野菜がふんだんに使われているのはスイスのホテルでは珍しく、ジュウ渓谷の自然が舌でも楽しめる。

「オテル デ オルロジェ」は、ジュウ渓谷の時計製造と、世界中の時計ビジネスに携わる人々の出会う場所。自然や遺産をめぐる観光の発展と、地域産業のプロモーションにも寄与するだろう。

〈オーデマ ピゲ〉の真髄に迫る、新たなミュージアムもオープン

ロイヤル オークの展示スペース。初代から現在までに作られたロイヤル オークとロイヤル オーク オフショア、ロイヤル オーク コンセプトの全モデルが一堂に。

他にはない、体験型時計ミュージアム

「オテル デ オルロジェ」に隣接する〈オーデマ ピゲ〉のマニュファクチュール(工房)には、かつてオーデマ家の住居でもあった最初のアトリエが、1907年に改修された当時の姿のまま残っている。そのドアを開け、建物の裏へと抜けると、そこには一変してモダンな建造物が出迎える。

2020年7月に完成した「ミュゼ アトリエ オーデマ ピゲ」である。設計者は、ホテルと同じBIG。前衛的な作品を各地で築いている彼らは、草原から巨大なボーリングで掘り出したかのような二重スパイラル構造の躯体を造り上げた。その姿は、機械式時計を象徴するゼンマイにも似る。アバンギャルドな建物は、屋根を緑化したことで草原と見事に一体化していた。

ミュージアムを持つ時計ブランドはいくつもあり、その多くは自社の歴史的タイムピースを展示するだけに留まっている。「ミュゼ アトリエ オーデマ ピゲ」も、メゾンの歴史を彩ってきた300を超えるタイムピースが展示されるが、同時に機械式時計のしくみが分かる模型やペルラージュとヘアラインの仕上げが体験できるなど、他のミュージアムと一線を画する仕掛けが楽しい。

さらに“アトリエ”の名を冠する通り、複雑時計を組み立てるアトリエが組み込まれていたのは驚きだった。時計師がムーブメントを組み立てる様子が見学できるミュージアムは、他社にはない。見学には英語・独語・仏語によるガイドが付き、完全予約制。「オテル デ オルロジェ」に泊まり、ミュージアムを見学する。時計ファンならかなりそそられる体験が、ル・ブラッシュには待っている。

連載一覧へ