孤高のデザイナーの
美しくも切ない記憶
服の背中に表れた白い4本のステッチ、爪先の割れた足袋ブーツ、白ペンキで塗り込められた空間……数々のアイコンで知られるマルタン・マルジェラは、キャリアを通して公の場に姿を一切現さず、取材も受けず、匿名性を貫いたデザイナー。
この映画ではマルジェラ本人が自らのヒストリーとクリエイションについて語り、プライベートな記録を公開している。穏やかな声と語り口、武骨ながら繊細な手元が、観る者の想像力を掻き立てる。脚本・撮影も務めたライナー・ホルツェマー監督にオンラインで話を聞いた。
「2016年に発表したドリス・ヴァン・ノッテンのドキュメンタリーが企画を実現する説得材料の一つになった。マルタンは僕についてドリスと話をしたそうです。実際に会ってみると、年齢も近いし、クリエイティブな仕事をしている者同士のシンパシーもあって、すぐに打ち解けることができた。
彼は決して複雑な人ではなく、会話も率直で回りくどいこともない。服装もTシャツにジーンズにジャケットとカジュアル。だから一緒にいてとても楽でした。徐々に心を開いてくれて、最初のコレクションのスケッチブックを見せてくれた時は興奮しましたね。足袋ブーツ、顔を隠す布など、以降のアイコンとなるアイデアが詰まったものでしたから」
長い時間を共に過ごし、撮影した映像は200時間に及んだ。だが、編集作業中の4ヵ月間は一切連絡を取らなかったという。
「一人の作家としてビジョンを持って編集したかったので。彼はナーバスになって周りにこぼしていたらしいけど(笑)。その後ミュンヘンに来てもらい、彼の大好きなイタリアンディナーを一緒に食べて。モニターの前では緊張した学生みたいに背筋をピンと伸ばして座り、一言もコメントせず、顔にも体にも全くリアクションを出さず静かに観ていました。
そして終わった時、無言でハグしてくれた。僕にとって美しい瞬間でした。心を動かしてくれたと感じたから。でも完璧主義者だから、もう一度細かく観返した後は、服や映像、カットした部分についての130ものコメントが僕を待っていました。ほとんど全編だね(笑)。でも“僕を満足させるために変える必要はない、どうするかは君次第だ”と言ってくれたんです」
撮影が進む中で思いがけない出来事があった。
「幼少期に触れることについては断られていました。ところが、マルタンが母親と話したら、ドローイングやスケッチブック、バービー人形まですべて取ってあることがわかり、それについて語ってくれたのです。子供時代のものがあれだけ出てきたのには彼自身も驚いたんじゃないかな。
美しい思い出は同時に悲しい記憶でもあって、劇中で触れていますが、デザイナーという夢を他人に話すことを両親に諫められていた。心からの憧れを口にできないことは、とても苦しいことだったそうです」
監督はマルジェラという人物をどう見たのか。
「とても礼儀正しくナイスな人柄。全く妥協をしないのがマルジェラという人のエッセンス。でもそのことが彼自身の道を厳しいものにしたり、自分の内面だけに耳を傾けることが孤立に繋がってしまうこともある。キャリアにおいては、そうだったのではないかなと僕は思います。
常に誰も見たことのないものを作りたいと望み、ステートメントとして打ち出せる強い人でもある。ラジカルなアートとデザインに対する姿勢には敬服しています。僕には彼のような強さは持てないだろうな」