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いとうせいこうの大学講義に密着。「雑誌の編集」とはなにか

テレビ、雑誌、ウェブとさまざまなメディアで活躍するクリエイター、いとうせいこう。そんな「メディアの仕掛け人」ともいえる彼が、2009年の特集『ブルータス大学開講』に合わせ、「笑いとメディアリテラシー」というテーマで講義を行った。一見難しそうな響きがあるこの授業、実際には数々の現場を経験した彼がメディア全般の話をするといった趣。体験談をふんだんに盛り込み、軽妙に話は進む……。

初出:BRUTUS No.655 ブルータス大学開講(2009年1月15日発売)

photo: Kazuya Morishima

さて、まず最初に雑誌っていうものがどういうものか考えてみようと思います。見れば分かることだけど、まず表紙があるよね。そして、中のページ。ひっくり返すと裏表紙というものがある。すごく還元的に言ってしまうと、雑誌って表紙と裏表紙に情報が挟まれたものだと言える。さらに極論すれば、何でも挟んでしまえば雑誌の体裁になる。この「挟む」ということが、雑誌にとっては非常に重要な要素と言えます。

でも、それだけだと、書籍と一緒。雑誌になるには、どんな要素が必要か。そのことを考える時に重要な言葉を、僕が雑誌の編集者として働いている時に先輩から聞きました。僕は大学を卒業した後に講談社という出版社に就職して、『Hot-Dog PRESS』という雑誌を作ることになりました。講談社には2年半ほどいたのだけど、新米の僕に、先輩たちが言うんだよ、「雑誌は雑じゃなきゃダメだ」って。それは正しいと思う。雑多な情報が挟まれたものが雑誌。

いとうせいこうによる近畿大学での授業の様子
話す調子にも自然と力が入る模様。いつもテレビで見るようないとうせいこうとは違った表情が見られる。そんな一種の「ライブ感」も大学講義に出席する醍醐味のひとつと言える。

16時間を30秒にする。それが編集作業の本質

そうなると、始まりと終わりがある限られたスペースの中に挟まれる情報の選定が大事になってくる。その作業が雑誌における編集と呼ばれるもの。編集というプロセスに関しては、偉大な編集者のひとり、松岡正剛(*1)さんっていう人の言葉が印象的だったので紹介します。ある日、松岡さんにお目にかかった時に「いとうさん、編集って何だと思う?」って言われました。

僕は「DJみたいに、情報を集めてくる作業じゃないですか」って答えた。すると、松岡さんは新たな質問をしてきました。「いとうさん、昨日は何してた?」って。例えば、僕の昨日のことを話すと、「好きなブランドのセールに10時頃に顔を出して、その後新幹線で近畿大学に来た。そして、ゼミの授業をやって、アシスタントと焼き肉屋へ。ホテルに帰った後にメールの整理をして寝た」。

これが僕の昨日なんだけど、当時も同じような返答をした時に、松岡さんが「それが編集なんだよ」って言ったんだよね。24時間のうち、16時間活動していたとする。でも、さっきの僕の答えは、伝えるのに30秒もかかってないでしょ。16時間の中から、重要で印象的な30秒分の出来事を選ぶ。その作業が編集だっていうんだよね。これを聞いてなるほどって思ったことを覚えてる。

無数にある情報の中から、自分たちが面白いから紹介したいというひと握りのトピックスを厳選する。それが雑誌の編集です。

編集長になって気がついた。「自粛しなさ」の重要性

知っている人もいるかと思いますが、今、僕は『PLANTED』(*2)という雑誌の編集長をやっています。だからよく分かるんだけど、編集作業は本当に難しい。

雑誌が雑でなくてはならないという言葉の通り、なるべく「振れ幅の大きい、たくさんのもの」を入れようとするのだけど、雑誌のアイデンティティーになるような「ぶれない何か」を大事にする必要がある。このふたつの矛盾した要素を考えていくことが、切り口となるんだよね。『PLANTED』に関しては、植物という軸をもとに、幅広いページ作りを心がけてる。

この雑誌のクリエイティブディレクターはルーカスB.B.という日本在住のアメリカ人が務めているのだけど、彼はすごく優秀で、僕自身も勉強になることが多い。この人、『TOKION』とか『PAPERSKY』なんて雑誌を作っています。彼から学んで、ぜひとも君たちに伝えたいことは、「自粛しなさが大事」だということ。今って本当に自粛社会になってるから気をつけてほしい。

だって、ちょっとでも冒険しようとすると「それ、やばいでしょ……」って言ってる社会だから。そんなの素人が決める話じゃないって。ある程度、常識を超えることが大事なんだよ。例えば、ルーカスと一緒に高知の牧野植物園っていうところに取材に行った時、そこに牧野富太郎っていう学者の蝋人形が置いてあった。彼の最終学歴は小学校中退なんだけど、毎日植物を見てた。その結果、最終的に東大で授業を持つまでになったすごい人。

植物園には、植物を見ながら書き物をしている牧野さんの人形があって、もちろん貴重なものなので人が入れないように鎖が張ってある。それを見て、ルーカスは言うわけ。「いとうさん、彼の下に僕たちの雑誌と色鉛筆を置きたいね」って。そうすると『PLANTED』の表紙を塗っているような牧野像が撮影できて、それに連動するかたちで塗り絵風の表紙が出来るって言うんだよね。

牧野さんを讃えて出来た植物園でもあるし、人が入れないわけだから無理だと思ったんだけど、ルーカスが職員に頼みだした。係の人が30分しても帰ってこないから、怒らせちゃったかな……なんて思った矢先、「OKです」って言われてびっくり。

そのおかげで、雑誌に素晴らしい写真と仕掛けが出来た。ルーカスの自粛のしなさが生み出した結果だと思います。そうそう、後日談になるんだけど、ラジオか何かの仕事で牧野植物園の人とご一緒する機会があった時、その人が「あの時はありがとうございました」って言うわけ。僕としては「あの時はごめんなさい」なんだけど(笑)。

実は牧野さんってお茶目な人だったらしいんだよ。でも、「スタッフ全員で、そんな牧野さんのことを鎖で閉じ込めていた」なんて言われた。最後は「あのおかげでスタッフ全員が牧野さんという人を再認識しました」って感謝された。これもルーカスの自粛しなさの成果だと思っています。

みんなも自粛しなさの重要性を認識してほしい。そして、このエピソードを聞いてもらって分かったと思うけど、編集という作業にはその人の個性が大きく関係するので、自ずと誌面にも個性が反映されることを付け加えておきます。

いとうせいこうによる近畿大学での授業の様子
出席は取らない講義なのに教室が8割方埋まるのは、授業内容が学生にも魅力的に映っている証拠。中には、学年や学部を超えて、この講義に出席している学生もいるとのこと。

ぜひとも覚えておきたい、エディターのビッグ3

授業で編集のことを話そうと思った時に、みんなに知っておいてもらいたいという名編集者を3人ほど思いつきました。

まずひとり目。蔦屋重三郎(*3)。18世紀江戸時代に活躍した人です。通称「蔦重」なんて呼ばれていて、日本で最初の超優秀な編集者だと思います。写楽とかの浮世絵をお上の弾圧をかいくぐりながら出版しつづけていたんだよ。

山東京伝(*4)も彼の協力で本を出版しています。そして、蔦重を有名にしたのが日本で初のカタログ雑誌『吉原細見』。タイトルの通り吉原に関する雑誌なのだけど、遊郭内のどの店にどんな遊女がいるのかをまとめた1冊。現在もあるような風俗情報誌は江戸時代にもあったっていうことだよね(笑)。

これが爆発的にヒットして、その儲けでさらに多くの出版物を出す。浮世絵が全面的に禁止されると、役者の絵で勝負したことも知られています。あ、そうだ、レンタルショップのTSUTAYAって、彼と関係があるからね。TSUTAYAの創業者はなかなか教養人だなって思うのだけど、「20世紀の蔦重になりたい」という意味を込めてこの店名にしたようです。江戸時代の優秀な編集者が今もなお影響を与えているわけです。

19世紀、明治時代になると現れたのが宮武外骨(*5)。自由民権運動が盛んな時に現れた人で、彼の姿勢は反権力でした。彼がどうやって権力と闘ったのかというと、一流のパロディーという手法を使った。何か法案が可決されると、似た名前の法案を作ってイラスト入りで発行する。

彼の作品で有名なのが、『滑稽新聞』(*6)と『スコブル』。この感覚がすごい。すこぶるおいしいとかって言うでしょ。この時代に、「スコブル」なんていう言葉をタイトルに、それもカタカナにして出版している。センス抜群だよね。

20世紀になると、たくさんの雑誌が発行されていろいろな編集者が登場します。その中で僕がひとり挙げるとするなら、もう亡くなってしまった方だけど、花森安治(*7)という編集者です。今も本屋で買うことができる『暮しの手帖』の初代編集長になります。

この雑誌のすごいところは、ずっと企業広告を取らずに雑誌を作っているということ。松浦弥太郎さんという方が現在の編集長だけど、今も広告は入れていない。この雑誌も、唯一無二の優れたセンスが感じられる雑誌です。

いとうせいこう的視点から忘れられない、もうひとり

客観的に見ると、このメンバーがベスト3。でも、主観的な視点だと、もうひとり忘れられない人がいます。今年(2008年)亡くなりましたが、講談社時代にお世話になった内田勝。この人も化け物だったな。『少年マガジン』の編集長をしていて、『巨人の星』を大ヒットさせ、『あしたのジョー』も当てた。すごいのは、作中で力石徹っていうボクサーが死ぬんだけど、この作品が好きだった寺山修司たちと実際に力石の葬儀を行う。その後、彼は『Hot-Dog PRESS』を立ち上げます。

僕は社員でありながら、テレビやラジオに出ていたんだけど、その時は会社から怒られなかった。いろいろな場で人脈を広げて、自分たちの雑誌に引っ張ってこられるのだからいいことだし許されているのだろうと思っていた。でも、辞めてから言われたよ。

僕の3つ上に、みんなもテレビで見たことがあるだろう山田五郎がいたんだけど、彼に「いとうは幸せだったなあ、全部内田さんが裏で世話してくれてたもんなあ」なんて言われた。観音様の手のひらの上に僕はいたんだなあ、なんて思ったよ。

その後、内田さんは講談社を辞めてソニーに移った。十数年前の当時、会って話をしたことがあるんだけど、彼が携帯電話のコンテンツ事業をやるっていうのを聞いて、正直「鈍ったな」って思った。でも、今やコンテンツ事業って盛り上がっている。今になってやっぱりすごいって思ったね。僕は内田さんから「社会を編集する」視点を学んだ気がします。

最後は個人的な思い出話になりましたが、雑誌の編集から、自由な発想をした名編集者の話までしたところで、今日はここまで。

いとうせいこう
講義に入る前には、iPodを使用して音楽を流すのが決まり。

授業概要

●近畿大学 映像・芸術基礎2
●スケジュール/隔週水曜 5限・6限
●聴講人数/56人(08年10月22日の講義にて)
●成績評価基準/レポート
●授業概要/文芸学部1年生が対象の授業。テーマは「笑いとメディアリテラシー」となっているが、基本的には、メディアの話題を中心に、いとうせいこう教授がその時々に伝えたいトピックスについて講義する形式。特定のテキストはない。なお、前期のレポート課題の内容は「メディアリテラシーに配慮しつつ、テレビや舞台、または民俗芸能がどのように発信され、また受容されるべきだと考えるかを述べよ(また、「偶然」の利用について考察しても可)」というもの。