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【珍奇の現場】もっと知りたい!幻の六本角カブトムシ、ディペリクス ゲリオン!〜後編〜

珍奇植物、珍奇昆虫、珍奇鉱物などの「珍奇シリーズ」の編集を担当する川端正吾さんが、そのビザールな現場からホットな情報を発信!第11回の今回は、本誌「珍奇昆虫」特集のトビラページで紹介しているカブトムシディペリクス ゲリオンについて深掘りしたインタビューの後編です。

artwork: Keiji Ito / photo: Kazuho Kobayashi / text: Shogo Kawabata

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その標本写真が世界で初めて、BRUTUS最新号「珍奇昆虫」で公開された、幻の6本角のカブトムシ〈ディペリクス ゲリオン〉。前編に引き続き、甲虫標本専門店〈花滝〉の小林一秀さんに、この魅力的な虫について深掘りインタビュー!

インドネシアに生息するカンターゴカクマルカブト

川端正吾

小林さんがゲリオンの存在を知ったのはいつ頃だったんですか?

小林一秀

ゲリオンの存在を知ったのは2019年。当時はイギリスの大学の3年生で、卒業論文を執筆するために資料集めを行っていた最中でした。卒論では17~18世紀の昆虫の分類学に関する資料が必要だったので、多くの歴史的資料を所蔵している大英図書館や、大英自然史博物館の図書部門へ何度も足を運び、片っ端から読み漁っていたんです。

そんな時、大英自然史博物館の図書資料室でドリュー・ドルーリーの『Illustrations of natural history』を読んでいたら、不意に見たこともない、奇妙ないでたちのカブトムシのイラストを見つけたんです。そこに描かれたカブトムシは、一見するとインドネシアに生息するカンターゴカクマルカブトに似た風貌なのですが、それとは明らかに異なる、長く発達した胸角を備えるものでした。今にして思えばこれが私とゲリオンの初めてのエンカウントでした。

川端

その後、ずっとこの幻のカブトムシを追い続けてきたんですか!?

小林

いや、正直に言うと、当時はこの種に対してそこまで気にとめることはなかったんです。というのも、この1700年代後半というのはスウェーデンの生物学者カール・フォン・リンネによる二名法がじわじわと普及してきたくらいの年代で、まだまだ分類学の黎明期&混沌期ともいえる頃。当時の図録で描かれている標本は本来欠けているパーツの部分を空想で補ったり、また博物画のスキルも現在ほど高くなかったので、実物よりも体の一部がだいぶ強調されて描かれていることがよくあって。

その時代はもちろん現在のように気軽に海外に採集に行けるほどインフラも発達しておらず、船で行くとなっても大きな帆船で疫病などに怯えながらの、命がけの航海でした。海外からヨーロッパに持ち込まれた標本の数もそこまで多いわけではなく、状態が悪いもの、欠けが多いものがほとんどだったはずです。なので、このゲリオンの博物画も、カンターゴカクマルカブト、あるいはその近縁種を誇張して描いたものだろうと無意識に思い込んでいたんです。

その後は卒論を執筆し、無事に受理されたおかげで大学を卒業。日本へ帰国し、標本商として本格的に活動を始めたりしているうちに、いつしかこのドルーリーの図録で見た奇妙な昆虫のことはすっかり意識の中から消えていましたね。

川端

〈誇張されて描かれた博物画〉という認識が〈実在する未知のカブトムシ〉という認識に変わったのは、どんなきっかけからですか?

小林

この虫を思い出すきっかけになったのは、昨年の2023年の春、親しくさせてもらっているドイツ人ディーラーから「こんな標本があるけどいるか?」と一枚の画像が送られてきたことです。今までに見たこともない異形のカブトムシが写っていたので。私は様々な昆虫を蒐集していますが、特に一番の蒐集対象といえるのがカブトムシです。なので、カブトムシに関する知識はこれまでそれなりに蓄えてきたと自負していましたが、脳内のデータベースを掘り起こしてもこんなカブトムシは一切ヒットしません。

それでも、カブトムシは現在世界で2000種ほどいるといわれていますし、私がまだ知らない種もたくさんいます。特にオーストラリアやアジアの小さなカブトムシは文献上で写真が報告されていない希少な種も多く、当然ですがインターネットで調べてもほとんど何もヒットしない種もザラです。なので写真で送られてきたこの種も、そういった類いのものではないか……そう思い込んでいました。

そこで彼に種名を聞いてみたところ、「ラベルに“Dipelicus geryon”と書いてある」との返答がありました。その名前にまったく聞き覚えがなかったので、詳細を知るべく検索欄に「Dipelicus geryon」と打ち込んでイメージ画像を検索しましたが、該当するそれらしき標本の画像は一枚もヒットしませんでした。その代わりにどこかで見たことのある、18世紀頃に描かれたであろう味のある、いかにも古そうな博物画の画像がヒットしました。

これこそが以前、学生時代にドルーリーの図録で見た、あの異様な風貌のカブトムシだったのです。そこに描かれていたのは、まさに先ほどディーラーが送ってきたカブトムシの写真とうり二つの形態。そう、このカブトムシはまったく知らないカブトムシではなかったんです。

【珍奇の現場】もっと知りたい!幻の六本角カブトムシ、ディペリクス ゲリオン!〜後編〜
脚は欠けも多く、かなり年代を感じるコンディションだった。

川端

そんな貴重なゲリオンの標本、どんな来歴のものだったんですか?

小林

もともとはドイツの大コレクター、ゲルハルド・プロス(Gerhard Pross)のコレクションでした。プロスといえば当代きっての名実ともに最強のコレクター。そんな彼も近年は高齢のため蒐集はストップし、その膨大なコレクションを売却し始めていました。

しかし、それだけの膨大なコレクションの売却には途方もない時間と体力を有するため、その仲介人として信頼のおけるディーラーが販売を行っています。付属していたラベルはゲリオンの学名と、「Java」とだけ書かれた簡単な手書きの情報のみ。これらのラベルは近年になってプロスが後付けしたもので、明らかにコピー紙の一部を適当に切りぬいただけだとわかる紙質で作成された、極めて簡単なもはや「メモ」といってもいいラフなものです。

プロスはこの標本を誰かから以前買い取ったと言っていました。プロスの膨大なコレクションはドイツの先人コレクターが残した標本を多く含んでいて、数代にわたって様々なコレクターの手を渡り歩いたのであろう、年季の入ったラベルや展足がほどこされている標本ばかりです。

この個体も例にもれず、脚はほとんどが欠けており、コンディションはボロボロ。採集年月日の記載されたオリジナルラベルがついていなかったので正確な採集時期は不明ですが、その状態やプロスが所持していたという来歴から、どう見ても近年に得られた新しい標本ではないと思います。

あの日ドルーリーの図録で見た異形のカブトムシが、まさか手元にあるなんて……。そんなことはあり得ないと思っていましたけど、あり得ないと思っていることは、案外簡単に起こってしまうものなんですね。

幻の六本角カブトムシ、ディペリクス ゲリオン。今回の巻頭の昆虫には、実はこんなロマン溢れるストーリーがあったのだった。

BRUTUS 1012号『珍奇昆虫』表紙

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