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夏は冒険の季節。BIKERAFTINGで水路を進み、自転車旅の可能性を拡張する

アラスカを旅していたときに出合った小さな艇、パックラフト。この夏、それは自転車とわたしを乗せて、初めての川旅へと連れ出してくれた。

photo & text: Satomi Yamada

旅人のジレンマ

数年前から、時間をつくっては世界を自転車で旅している。毎日どこへ行っても、どれだけ走ってもいい。テントを張れる場所ならば、いつでもどこでも寝泊まりできる。それはそれは自由な旅だ。

昨年の夏は、6週間かけてアラスカを旅した。来る日も来る日も自転車に乗って、何百kmも走った。何度もパンクをして、替えのタイヤチューブが足りなくなって、目指していた場所を諦めなくてはならなくなった。そのときにふと思った。

そうか、自転車は道の上しか走れないんだ。

至極当然のことだけれど、舗装路はもちろん、オフロードといえど人間の手が入っているわけだし、獣道だって動物たちが開拓したのだ。すっかり自由を謳歌している気になっていたけれど、わたしは誰かに敷いてもらった道しか進んでいなかったなんて。

そんなことを考えながら過ごしていたとき、キャンプ場でひとりの男性と出会った。彼は釣りをするために旅をしているという。川の近くに拠点を構えたら、“パックラフト”という折りたたみのゴムボードを使って釣りへ繰り出すそうだ。

パックラフト?

そのとき初めて聞いた乗り物だった。それは軽くてコンパクトで、携行性に優れたゴム製のボート。必要なときにサッと取り出し、水路へ出る。小さく折りたためるから、陸路では持ち歩いたり、自転車に積んで走ったりもできる。

そうか、その手があったのか。

これがあれば、“道の上しか走れない”という制約から抜け出せる。水路を進む選択肢はアクセスできる場所を増やして、旅の可能性をもっと広げてくれるにちがいない。パックラフトは自転車を載せて川を下ること(通称「Bikerafting」と呼ばれる)もできるのだ。

バックラフトのイラスト
1840年代に、イギリス海軍中尉ピーター・ハルケットにより作られたパックラフト。「ハルケット・ボート」と呼ばれる。

その歴史を遡れば、かのフランクリン遠征隊(1845年に北極海遠征を試みたイギリスの一団)が小さなパックラフトを使用したという記録が残っている。それは伝説的な軽量ボートの製作者であり、北極探検家でもあったピーター・ハルケットが設計したものだった。

第二次世界大戦では、航空機の救命装備としてインフレータブルなゴム製ボートが使われていたという話もある。戦後に、その余剰品が市場で売られ一般人の手に渡るようになり、1950年代から旅人たちによって荒野を渡るために使われるようになっていった。

パックラフトは、果敢に旅をする者がたどり着く道具なのだと知って、わたしもそんな先人たちと同じ趣向に至ったことを、なんだかうれしく思った。きっとこれまでも、ジレンマを抱えた多くの旅人たちに新しい道を与えてきたのだろう。

パックラフトの選び方

パックラフトは国内外でさまざまなメーカーが手掛けている。アラスカで誕生した〈Alpacka Raft〉は、いまのパックラフト界のパイオニア的存在。ラインナップの幅広さは群を抜いていて、“Bikerafting”に適したモデルも展開している。

それは「Caribou」というモデルで、バウと呼ばれる船首に角度があり自転車を積載しやすく、船尾にはカーゴジップを付けられるため、ほかの荷物を本体内部に収納できる。そんな仕様がわたしの旅に合いそうだ。

〈Alpacka Raft〉社が展開するパックラフトのラインナップ
〈Alpacka Raft〉社が展開するパックラフトのラインナップ。種類が豊富なので、自分の目的に合った艇が見つかる。

ウェブサイトを開いてみると、創業者であるSheri Tingeyが、〈Alpacka Raft〉を立ち上げるまでのドキュメンタリーフィルムが公開されていた。

裁縫が得意だったSheriは、1967年にアメリカはワイオミング州北西部に位置するジャクソンホールへ引っ越す。そこでスキーに傾倒し、スキーウエアブランドを始める。その後、カヤックに出合ってのめり込み、息子が行った無謀な旅をきっかけにパックラフトの研究開発をすることになった、というストーリーだ。

28分間のそのフィルムを観て、勇敢で聡明な彼女の生き様にすっかり魅せられてしまい、そのまま迷うことなく「Caribou」の購入ボタンをクリックした。

ドキュメンタリーフィルム『Sheri』は、〈Alpacka Raft〉の公式ウェブサイトにて無料で公開されている。

川旅に選ぶべき場所

それからほどなくして、遥々アメリカから我が家へパックラフトがやってきた。職人によって、ひとつひとつハンドメイドで作られる艇には、手書きでシリアルナンバーが入れられている。わたしだけの一艇の証だ。

早くこの艇に乗って川を下ってみたい。けれど、そのために旅へ出ては本末転倒だ。わたしにとって自転車がそうであるように、パックラフトもあくまで移動手段として活用したい。旅は、手段と目的をまちがえてはおもしろくない。

はじめてのパックラフト A to Z』(山と渓谷社)
川旅には多くの危険がはらむ。はじめは勉強と練習が肝心だ。基礎的な情報は、昨年発売された『はじめてのパックラフト A to Z』(山と溪谷社)に詳しい。

そうしてわたしが最初に選んだ行き先は、奈良県、和歌山県、三重県にまたがる熊野川。古くから舟運があり、平安時代から上皇や貴族たちによって熊野詣のために利用されてきた川だ。その一部の区間は「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されている。

1000年も昔から昭和40年代に車道ができるまで、人々の交通手段として使われてきた。原始のまま残る風光明媚な景観も望める。そんな美しくも由緒ある川で実践を積むことは、理想的なスタートに思えた。

初夏の熊野川へ

初夏を迎えたころ、パックラフトと自転車とキャンプ道具を持って、熊野川へ向け出発した。熊野市駅までは電車に乗って、そこからは山道を自転車で越えていく。熊野の景色が、香りが、音が、熱が、湿度が、風に乗ってわたしの体を通り過ぎていく。やっぱり自転車の旅は、ほかには代え難い充足感に満ちている。

紀和町小川口にかかる、瀞大橋の下に広がる川原に着いた。人が少なくゆったり準備ができそうで、ここを出艇地に決めた。自転車から降りて、大きな砂利の上を押して進む。川の際までやってきて、すべての荷物を下ろし、車体も横に倒して地面に置く。

組み立て前のバックラフト
いったん川原にすべての荷物を置く。このとき、こまかなパーツを失くしやすいので要注意。

あとは艇を膨らませて、川に浮かべるだけだ。いよいよという段になり、川原に腰をおろす。水筒を手に取りお茶を飲み、逸る気持ちを落ち着かせる。焦らず、冷静に。自分の心に言い聞かせる。

一息ついたらカーゴジップを開いて荷物を入れ、練習した通りに船体を膨らませる。自転車の前輪と後輪を外してバウに載せ、落下しないよう念入りにくくりつける。

重たくなったパックラフトは引きずるようにして移動させ、川面に浮かべる。姿勢を低くして、片足を艇に入れる。シートにお尻を下ろし、もう片方の足も入れる。すると、それまで感じていた重力が浮力に代わり、ゆらりと艇が動き出す。

バックラフト
準備をして体温の上がった体に、澄んだ川の冷たい水が気持ちよい。

初出艇

川の流れは上から下に向かっているだけでなく、横や逆向きの流れがあったり、渦を巻いていたり、障害物にぶつかったりして複雑に分かれている。パックラフトは直進性がないから、なにもしなければそれらに流されるままクルクルとまわり続ける。右を漕げば右に、左を漕げば左に傾いて、前進するには無駄な運動が多く、思っていたほど休む暇がない。

自分の行きたい方向を見据えてパドルを漕ぎ、どの流れに乗るか判断する。漕ぐたびに、冷たい水が肌に跳ね返る。瀬(川の流れが速くなっている箇所)が近づくと、水がサワサワと音を立てているのが聞こえてくる。目の前に広がる景色は、道路から見るそれよりずっと視点が低い。自転車で走るときとはちがう種類の感覚が刺激される。

初日の川下りは、3km程度にとどめた。川からあがり、適切な場所にテントを張ってキャンプをする。そして朝がきたら、また川を下り始める。

ゴール地として、新宮の河口まで向かうつもりだった。けれど予定していた最終日は風が強く、漕いでも漕いでも押し戻されてしまう。パックラフトは風にめっぽう弱い。進みが遅いと時間も体力も削られるし、流れによっては沈(艇が転覆すること)する可能性もあるから、無理をせずに15kmほど手前の熊野川町田長で艇を降りて、自転車移動へ切り替えることにした。

旅を拡張する乗り物

今回の旅で下った川の距離は約20km。決して長くはないし、目指していた地点までは到達できなかったけれど、たくさんの気付きがあった。いちばん大きな収穫は、川に対する意識が変わったこと。これまで避けるべき存在だった川が、新しい道として捉えられるようになった。地図を見る目が変わり、行ける場所がグンと増え、土地に対する興味がより一層広がっていく。

これからの旅では、誰かが敷いてくれた道だけが道じゃない。自転車にパックラフトが加わって、わたしの旅はこれからもっと拡張していく。