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BIKEPACKING DIARY in Alaska Vol.10:あとひとつだけ選ぶなら?

ちょっといい自転車を手に入れてから、どっぷりと自転車にハマってしまった編集者が、北海道やニュージーランドへの一人旅を経て、次なる地へと旅立った。漕いで、撮って、書いて、を繰り返した42日間のバイクパッキング。これは、大自然アラスカの中でペダルを漕ぎ続けた冒険女子の記録である。

photo & text: Satomi Yamada

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Day 21
2023.09.06 wed
Tenderfoot Creek - Cooper Landing

移動を終え、キャンプ場で野営の支度をしていると、ひとりの男性がわたしのサイトまで歩いてきて言った。

「今日サーモンを釣ったから、これから捌いて調理をするんだ。たくさんあるから、よかったらあとで食べにこない?」

サーモン!自転車で旅をする身にとって、それはなかなか手に入らないごちそうだ。ドライフード中心の生活では、体が動物性タンパク質を欲している。釣りたてをいただけるなんて、そんな贅沢はない。わたしは二つ返事で「ぜひ行きたい」と答えた。

〈Cooper Creek Campground〉のキャンプサイトは、ひとつひとつが離れて、独立している。

「じゃあ、1時間半くらいで準備ができるから、29番で待ってるよ」

彼は自分のいる場所と、名前はブライアンだと言い残し、来た道を戻っていった。

寝床を整え、自転車のメンテナンスなどをしているうちに、約束の時間がやってきた。29番のサイトまで歩いて向かう。さほど距離はないけれど、わたしの選んだ奥の静かな林の中とは対照的に、川に面して景色のひらけた場所だった。

車の停まっている場所が、ブライアンのいる29番サイト。
サーモンで知られるキーナイ川が流れており、ここからボートで釣りに出る人も多い。

ブライアンはわたしの姿を見つけると、テーブルにつくようすすめ、すぐに調理を始めてくれた。袋から取り出されたひと切れのサーモンは、鮮やかなピンク色を帯び、ほのかに輝いて見える。

卓上コンロに火をつけ、フライパンに油をひいて温める。サーモンをまな板にのせ、包丁で半分に切る。温めたフライパンに切ったサーモンをそっと移す。塩コショウをふり、蓋をして蒸すように焼いていく。

空腹のせいか、焼き上がるまでの時間がやけに長く感じられる。待っているあいだ、ブライアンは醤油やレモンなど、いくつかの調味料をテーブルに用意した。いつも味気ない食事ばかりだから、それだけで特別に思えた。

サーモンを切るブライアン。
捌いたサーモンが、〈ジップロック〉にたっぷりと詰められている。

しばらくして、よく焼けたサーモンがわたしの前に置かれる。

「冷める前に、食べ始めてね」

ブライアンはそう言って、自分の分を焼き始めた。その言葉に甘えて、わたしは先にいただくことにした。

塩コショウだけで、素材そのままを味わおうと思っていたけれど、やっぱりせっかくだからとレモンと醤油もかけてみた。それ以外には、なんの飾り気もない。でも、これ以上ないくらい贅沢な味だった。

厚みがあるので、じっくり焼き上げる。
小さなフライパンで、ひと切れずつ焼いていく。

夕暮れが近づき、徐々に気温が下がってくる。ブライアンも食べ終えると、デザートにチョコレートと、温かいお茶を淹れてくれた。

焚き火をするため薪を集めるも、前日の雨で​湿っていてなかなか火が育たず、しばらく苦戦した。暗くなるころようやく熾火になり、それからわたしたちは暖を取りながら、代わる代わるに自分の話をした。

ブライアンはニュー・ジャージー州の出身で、いまはコロラド州に暮らしている。南北にロッキー山脈が貫き、州全体の平均標高はアメリカで最も高いという。彼の住む町も、標高2500メートルを超えるらしい。

高地では水の沸点が下がり、お米をおいしく炊き上げるのが難しい。日本食が好きなブライアンは、アメリカの家庭ではめずらしく炊飯器を使っている。この日のサーモンには卵がついていたから、イクラをつくってごはんと食べるつもりだと笑った。

趣味はトレイルランニングとウルトラマラソン。これまでに、ゴビ砂漠を400キロ走る「Ultra Gobi」に出場したこともある。わたしが「Silk Road Mountain Race」に関心があると話すと、友人が出たことがあるらしく、そのレースにも詳しかった。

それもそのはず、彼の活動は趣味に留まらない。トレイルランや超長距離レースに特化したウェブマガジン『iRunFar』を立ち上げ、記事の執筆や運営も手がけているという。奇しくも、わたしと同じ「編集者」だった。

いまの彼は釣りに夢中だ。キャンプ場のすぐそばを流れるキーナイ川は格別で、それを目当てにコロラドから車で5000キロをかけてやって来た。この旅では2か月ほど、アラスカで釣りをしながら過ごす予定だそうだ。

カスタムされたトヨタのTAKOMA
トヨタのTACOMAを、荷台部分はキャンプや釣りなどに使う荷物を積めるように、上部は横になって寝られるようにカスタムしている。

移動手段は、ピックアップトラックを改造したミニマルなキャンピングカー。ひとりが寝られるだけのスペースと、必要最低限の荷物を積んでいる。アラスカを旅する人たちのなかでは、かなり小さな部類に入るのだろう。けれど、冷蔵庫も発電機も載っていて、わたしには十分すぎるほど大きな“家”に見えた。

そんな話をしていると、ブライアンがふいに尋ねてきた。

「きみは、あとひとつだけ荷物を載せられるとしたら、なにを選ぶ?」

これまでずっと、自転車旅は荷物があまり積めないものだと思っていた。でも、そう聞かれると、なにも思い浮かばなかった。

暖かく眠るためのテントや寝袋、服。食事をつくるためのガスバーナーや鍋。文庫本だって持っている。数か月かけてアラスカを旅するのに必要なものは、すべてそろっている。

じゃあ、それ以上に欲しいものって、なんだろう。

全然思い浮かばなかった。むしろ、あまり出番のない荷物の方が思い当たる。それらを手放して、もっと身軽になりたい。そんな気持ちさえ湧いてきた。

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