BIKEPACKING DIARY in Alaska Vol.08:リチャードソン・ハイウェイに現れた国道246号線

ちょっといい自転車を手に入れてから、どっぷりと自転車にハマってしまった編集者が、北海道やニュージーランドへの一人旅を経て、次なる地へと旅立った。漕いで、撮って、書いて、を繰り返した42日間のバイクパッキング。これは、大自然アラスカの中でペダルを漕ぎ続けた冒険女子の記録である。

photo & text: Satomi Yamada

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Day 16
2023.09.01 fri
Blueberry Lake - Valdez

もうここにはいたくない。

同じ場所に留まる意味があるなら耐えられる。でも、今のこの状況が、雨を凌ぐ以上に価値のある時間になるとは思えない。風はだいぶおさまったから、自転車で走れないことはなさそうだ。

フランク安田ごっこ(Vol.7より)は楽しかったけれど、もう終わりにしよう。残りの食料は心許ない量にまで減ってきたし、今日はなにがなんでも町まで行きたい。

宿泊した〈Blueberry Lake State Recreation Site〉
宿泊した〈Blueberry Lake State Recreation Site〉へは、グレナレンから約146km、累計標高1000mの道のりを超えて走ってきた。次の町、バルディーズまでは約45km。

とはいえ、冷たい雨の中でキャンプの撤収作業をするのは非常に気が重い。相変わらず外界の情報は一切入ってこないから気温はわからないが、手の感覚がじんわり鈍くなるくらいに寒い。それに、穴だらけのタイヤはすぐに空気が抜けるから、前後ともにベコベコだ。また直すのは面倒だな……。

なんてグズグズ考えている方が面倒だ。こういうのは、無心でさっさと片付けるのがいちばん。どうせやらなくちゃならないんだから。

パンクしてしまった自転車
パンクしたものの、タイヤチューブを切らしたまま交換できず、応急処置ではすぐこの有り様に。

いつだって、目覚めはこうした逡巡から始まる。そして、覚悟を決めたら朝ごはんを作って食べ、顔を洗い、テントをたたみ、タイヤを修理し、荷物を積み込む。すべての支度を淡々と済ませた午前9時頃、ブルーベリーレイクを出発した。

今日の道のりは、ほとんどが下り坂。これまでひたすら登ってきた分だけ下る。肌に当たる雨は冷たいが、走りは軽快だ。スピードが出過ぎてタイヤがスリップしないよう、気を付けながら進んでいく。

雲と霧、気嵐が織りなす神秘的な景色
雲と霧、気嵐が織りなす神秘的な景色を、ただただ進んでいく。

リチャードソン・ハイウェイに出てしばらく漕いでいると、左右を巨大な岩壁に囲まれた。空から岩にかけて、雲とも霧とも区別のつかない白いヴェールが覆っている。しばらく降り続いた大雨は、ところどころで滝となって噴き出し、地面を叩きつけている。嵐が地上に残した水たちは、見渡す限りの世界を神々しく演出する。

その影響で、あたりは数メートル先までしか見えない。ひとりだけ別の世界に閉じ込められてしまったような幻想的な景色は、どこか現実離れして見える。いや、自然の猛威が魅せるこの景色こそが、地球本来の姿なのかもしれない。

お昼を過ぎた頃、3日ぶりに携帯電話の電波が繋がった。路肩に停まり、久しぶりにメールを開くと、受信ボックスにはメルマガや仕事のやりとりが並んでいた。

顔を上げると、静かなアラスカのハイウェイがどこまでも続いている。それなのに、脳裏には東京での雑事が去来し、ふいに国道246号線の光景が浮かんできた。朝の渋滞、信号の列、駅へ向かって足早に歩く人たち。

わたしがここにいても、世界はなにも変わらず回っている。そう思った瞬間、目の前の景色がかすみ、まるで都会の喧騒へ連れ戻されたような気持ちになった。

道は雲の上へと続き、空まで届きそう
道は雲の上へと続き、空まで届きそうな気持ちになる。

目的地のバルディーズに到着したのは、午後2時。町の外れにあるキャンプ場〈Valdez RV Park〉へ向かった。受付で空きを尋ねると、今日は予約でいっぱいだという。3連休を迎える前日の金曜日。小さな観光地には、大勢の人が訪れていた。

自転車とソロテントだけなので、狭いスペースでも構わないから、泊めてもらえないかと相談したところ、快く融通を利かせてくれた。アラスカには、困った旅人に優しくしてくれる人が本当にたくさんいる。

工面してもらった区画にテントを張る。3日ぶりにシャワーを浴び、汚れた服を洗濯し、濡れた持ち物をすべて乾かす。これらを済ませると、「人間に戻った」という感覚が湧いてきた。

自然界と人間界。その間には、目には見えないけれど、確かに感じられる境界線がある。リチャードソン・ハイウェイに浮かび上がった、国道246号線の風景。冷えた体に当たる、シャワーの温もり。その狭間に広がるグラデーションは、どちらにも完全に属さない微妙な感覚となって、自分の内側に存在している。

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