BIKEPACKING DIARY in Alaska Vol.07:嵐の中の主人公

ちょっといい自転車を手に入れてから、どっぷりと自転車にハマってしまった編集者が、北海道やニュージーランドへの一人旅を経て、次なる地へと旅立った。漕いで、撮って、書いて、を繰り返した42日間のバイクパッキング。これは、大自然アラスカの中でペダルを漕ぎ続けた冒険女子の記録である。

photo & text: Satomi Yamada

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Day 15
2023.08.31 thu.
Blueberry Lake

ババババババー!バサバサ!バババババー!

なんだなんだ?ものすごい轟音がする。

ババババ!バサバサバサバサー!

なにがなんだかわからない。ぼんやりする頭で現実を把握しようと努める。目の焦点が合ってくると、テントが大きく左に傾いているのがわかった。

どうやらこの轟音は、外から雨風が吹きつけている音のようだ。そこでようやく、それまで自分が寝ていたことに気が付いた。

バサバサ、バンバン、ババババババー!

自転車にかけておいたカバーが風にはためき、叩きつける音も聞こえてくる。自転車は壊れていないか、テントは吹き飛ばされてしまわないか。考えるほどに不安が増していく。

時計を見ると午前2時。あたりは真っ暗で、気温は一桁台にちがいない。外へ出て、状況を確認すべきなのはわかっている。それでも眠くて寒くてしんどくて、どうしたって起き上がる気力が湧いてこない。どの選択肢をとっても憂鬱だ。

もうなるようになればいい……とヤケになって、再び眠りにつくため目を閉じた。

バンバンバン!バサバサ、ババババババー!

午前6時、さらに雨脚は強くなってきた。何度も何度も目が覚め、まったく寝た気がしない。たまに吹く突風がテントを右から左へ大きく揺さぶる。そのたびに胸がドキドキする。

突風が吹くと、体感としてはテントの中の空間が半分になるくらい圧迫される。

一昨日から携帯電話の電波の入らないエリアにいるから、しばらく天気予報を見ていない。これから雨風は弱まるのか、それともしばらく続くのか。まったくわからない。

どちらにしても、このままずっと寝ているわけにはいかない。観念して、外の様子を見にいく覚悟を決めた。

寝袋から出てレインパンツを穿き、ゴアテックスのシェルジャケットを羽織っていちばん上までチャックを締める。靴を履いて、パンツの裾を上から被せる。フードを深く被り、よし、と気合いを入れてテントの入口を素早く開く。

外へ出ると、これがアラスカだと言わんばかりに雨風が暴力的に吹き荒れていた。テントを一周すると、いくつかのペグが地面から浮き上がって抜けそうになっていた。

どんな日も、テントは慎重に固定する。でも、ここの土は硬くてペグが深く刺さらないうえ、いつもは絶対にする置き石も、近くに手頃な石がなくてしていなかった。

昨日は一日中、過酷な山道を走り続けた。ようやくたどり着いたキャンプ場は、山の中にある美しい湖“ブルーベリーレイク”のほとりだった。静かで穏やかな夕暮れに、ようやく最悪な状況から脱したと思い込み、テントを立てたら倒れ込むようにして眠ってしまったのだ。

ババババババ!バンバン、バサバサバサー!

無慈悲にも、自然は自分の甘さを容赦なく指摘する。ずぶ濡れになりながらペグを打ち直し、置き石を探してまわる。作業を終えて、テントの中へ戻る。

さて、次の問題は食事をどうするか。アラスカでは、テント内やその近くで調理や食事をすることは御法度だ。食べ物の匂いがすれば、クマが嗅ぎつけて来てしまう。

とはいえ、外へ出て食事をするのも危険極まりないし、移動することもできない。雨風が弱まるのが先か、空腹の限界を迎えるのが先か、自然との我慢比べをするしかなさそうだ。

そうとなれば、本を読む以外にできることも、やることもなくなった。バッグから『アラスカ物語』の文庫本を取り出し、寝袋に入って寝っ転がりながら表紙をめくる。

実在した人物、フランク安田の実話に基づいて書かれた小説。アラスカの自然や歴史、イヌイットたちの当時の暮らしがリアルに描かれている。この文庫版の表紙写真は、星野道夫が撮影したもの。

この本は、1890年代にアラスカへ渡った日本人、フランク安田の一生を描いた物語だ。真冬の北極海で氷に阻まれ遭難した船から、ひとり歩いてアラスカ最北端のポイントバローまで助けを求めにいくシーンから始まる。

氷に覆われた極北の地。太陽がのぼることのない季節のなか、限られた食糧とわずかなマッチと燃料を手に、星の明かりを頼りに方角を確かめながら歩く。

フランク安田はあたりの氷を拾い、火をおこし溶かして飲み水を作る。水分補給として、雪や氷をそのまま口にしてはならない。それらを体内で水に変換するには多くのエネルギーを要するため、さらに喉が渇いて体力を消耗してしまうのだ。

マッチと燃料はその火をおこすためにも、磁石で方角を確かめる際の明かりとしても、暖をとるためにも必要になる。限られた資材をどう消費するかで、その後の運命が変わっていく。

テントに吹き付ける雨風は、そんな極限状況を演出する最高のBGMになった。フランク安田が助かるかどうかが、わたしの身の行く末を占うかのような心持ちで読み進める。

かくいうわたしは水の濾過器もガスバーナーも持っている。外の嵐は激しいけれど、湖の水を汲みさえすれば飲料水が手に入る。テントの中にいれば雨風に晒されることもないし、羽毛の寝袋の中では凍えることだってない。

そもそも時代が大きく異なれば、同じアラスカといえど、ここはポイントバローよりもだいぶ南に位置する温暖な地域で、季節は晩夏だ。

なにもかもが比べるまでもないのは自明だけれど、そんなことをいうのは野暮というものだ。ひとり嵐の中で耐えているときくらい、悲劇の主人公にならせてもらおうではないか。

そうして、気が付けば夕方まで本を読み耽っていた。しかし、外の様子はさほど変わっていない。今後いつ落ち着くかもわからないので、意を決して食事をとることにした。

再び完全防備に身を包み、表へ出る。この天候下で、拠点から遠く離れるのは懸命ではなさそうだ。匂いが流れていく風向きを強く意識しながら、テントが視界に入る範囲で可能な限りの距離をとり、調理場所をつくる。

風防になるものは持っておらず、自分の体を風上に、ガスバーナーを風下に配置する。クッカーに水を入れて点火し、着ているジャケットを広げて強風に揺られる火を覆うようにして守る。

しばらくするとなんとかお湯が沸いた。ドライフードにお湯を注げば、かんたんに食事ができあがる。味わう余裕もなく急いでかきこみ、手早く片付ける。念のためテントのまわりをもう一度見てまわり、問題ないことを確かめて中へ戻った。

これで今日の任務は完璧に遂行した。少なくとも明日の朝までは生き延びられるはずだ。この嵐の中の主人公であるからには、いかなる厳しい試練も厭わない。

そんな大仰な自分の振る舞いにすっかり酔いしれながら、再び本を開き、嵐が過ぎ去るのをひたすら待った。

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