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色街写真家・紅子が案内。遊廓・赤線の姿を今に伝える宿と店

幻のように消えつつある遊廓・赤線跡。だが、当時の姿を残しながら旅館や飲食店などに形を変えて、その記憶を今に伝えている場所もある。足を運べば、陽の当たることのなかった日本の歴史と文化の一部分を垣間見ることができるはずだ。

photo: beniko / text: Tetsu Takasuka

紅子が選ぶ、遊廓・赤線の姿を今に伝える宿と店 3軒

1957年に売春防止法が施行され、1年の猶予の後、日本全国の赤線の灯が消えた。それから60年以上の歳月が過ぎ、その名残をとどめる建物はごくわずかとなっている。希少な建築ではあるものの、性産業の場であったという特殊な背景もあり、保存に向けた動きは少なく、残された建物も消えゆくのを待つばかりだ。

だが、そんな中、遊廓から転業して旅館として経営を続けている建物も残っている。また、遊廓・赤線建築に惚れ込み、リノベーションして店舗などとして後世に残そうとしている人々もいる。

元ソープ嬢で全国の遊廓・赤線跡を撮影している色街写真家の紅子さんは、各地に残るそうした旅館や店も訪ね歩いてきた。

「私は吉原のソープ街で風俗嬢として働いていました。しかし、そうした働き方しかできなかった過去を後悔しています。ですから、色街の名残を撮り歩くことで、自分が生きた場所がどういう場所だったのか歴史を紐解きながら考えていきたいと思っているんです」

ここでは、そう語る紅子さんが訪ねてきた元遊廓・赤線建築の宿と飲食店の中から3軒をピックアップ。彼女が撮影した写真とコメントとともにご紹介する。往時を偲ばせる空間に浸り、消えつつある歴史と文化に想いを馳せてみてはいかがだろう。

橋本の香

かつては600人もの娼妓がいて賑わいを見せた京都の橋本遊廓。そこに残る1935年築の建物に惚れ込んだ中国出身のオーナーが、私財を投じて旅館として甦らせた。タイル張りの玄関やステンドグラスの飾り窓、灯籠が置かれた坪庭など、遊廓建築の特徴をそのまま残した空間に宿泊できる。

紅子

「タイルや丸窓、ステンドグラスなど、西洋建築の要素を盛り込んだモダンな遊廓の残照が美しくも生々しく残っていた。オーナーである中国出身の政倉莉佳さんは負の歴史とされる遊廓を正しく管理し残していきたいという。私はその思いを、写真を通して伝えることができたらと心から願った」

中村旅館

売春防止法の施行にともない、遊廓から旅館に転業し、現在も営業を続ける〈中村旅館〉。遊廓時代は〈松月楼〉という屋号で営まれていた。1884年に建てられた貴重な建物をそのまま使い続けており、玄関部分の朱色の階段をはじめ、随所に遊廓建築ならではの豪奢な意匠が残る。

紅子

「玄関を入ると朱色の急勾配の階段が現れる。この階段は大正のころまでは、遊女の“顔見せ”に使われていたという。艶やかな遊女が階段に並ぶ姿を想像する。5代目となる女将さんに話しを伺った。『うちで働いていた女の子で病気にかかった娘はひとりもいない、週に一度は必ず病院の先生に診てもらったから。遊廓が廃止のときは、借金はすべてチャラにしてあげて、結婚相手まで面倒みてあげたのよ』と女将さんはお父様から聞いた話を生き生きと語ってくれた」

バーコマド

温泉観光地として知られる熱海には、“糸川べり”と呼ばれる旧赤線地帯があった。そこに残る赤線建築をバーとして甦らせたのが〈バーコマド〉。店内にはカストリ雑誌や遊廓・赤線関連の本が並ぶ。カウンターに座れば、戦後の温泉街の色街で呑んでいるようなタイムスリップ感を味わえる。

紅子

「長い年月空き家だったという築70年の建物の店内は、できるだけ当時の姿を変えないようにリノベーションされており、どこか退廃的で性の残り香を感じる。妖艶な明かりに照らされた1階のバーは、かつてこの店に通った性欲に満ちた男たちの姿を想像させる。そして細く急な階段を上がると畳敷きの小さな部屋が現れる。ほろ酔いの男と春を売る女の甘美な囁きが聞こえてきそうな湿った和室。夜、外から眺めると、店名の由来にもなった真っ赤な小窓の艶やかな灯が往時の姿を思わせた」