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バナナハウスボーイズと考える、エキゾの現在地

福生の米軍ハウス内にあり、民謡クルセイダーズの練習拠点となっていることでも知られる「バナナハウス」に夜な夜な集う3人が、エキゾ感満点なパーティーDJチームを結成。その名もBANANA HOUSE BOYS。メンバーは、民謡クルセイダーズのリーダー・田中克海、DJサモハンキンポー(思い出野郎Aチームのパーカッショニスト・松下源)、フォトグラファーの小川尚寛。異なるバックグラウンドを持ちながら、エキゾという感覚に惹かれ合う3人が考える、「2023年アップデート版、エキゾ・ミュージックの現在地、いや番外地とは?」鼎談。

photo: Mikako Kozai / text: Ryohei Matsunaga

はみ出していざなう音楽

──まず、バナナハウスボーイズのみなさんが考える「エキゾ」とは?

田中克海

僕のなかで、ここが最初だったのかなと思うのは、まずアイアン・メイデンですね。

──意外な回答ですね。

田中

メタルって、今思えば、あの音楽にまつわる神話のイメージとか、異世界にいざなって、引きずり込もうとする感じ?そこから音楽をいろいろ聴いていくなかで、ブルースとかジャズとかニューオリンズの黒人音楽と出合って。そういう古い音楽に、何曲かに一曲は異国情緒を感じさせる、ジャンルから“はみ出している”曲があった。

直球のブルースも好きだけど、ラテン・ビートとかルンバ・ブルースとか、そういうものに惹かれる。わりとそういう曲を探して、自分でも演奏したりする。結局そういう行動が僕のエキゾの原点だったんじゃないかなと思うんです。

──まさに民謡クルセイダーズに通じる道。

田中

見たことのない場所に行けるという観光の妄想と、自分たちに根付いた音楽と、時代の勢いとかが結びついて、日本でも「ラテン民謡」などが古くからあったんじゃないかな。僕もそういうなかで、民クルをやってるのかなと。

──ワードとして「はみ出す」「いざなう」などが重要に思えます。

サモハンキンポー

俺のエキゾ的な感覚のきっかけというと、マルコム・マクラーレンの「Madame Butterfly」(1984年)。12インチがおじの家にあったんですが、10代でそれを聴いて、グラウンドビートに昔のヨーロッパ風の荘厳なメロディが鳴っている“ズレ”に面白さを感じました。

──マルコムが元ネタにしたオペラ「蝶々夫人」は日本人女性がテーマですしね。それは不思議に感じたと思います。

サモハン

大学に入って、いろんな音楽を漁りはじめた頃に、DOOPEESや、ウォーターメロン・グループ、GROUP OF GODSを知り、これは肌に合うかもと思って聴いてたんです。

──それぞれヤン富田さん、元PLASTICSの中西俊夫さんたちが80年代に関わっていたユニットですね。

サモハン

そういう人たちが作っていた異国情緒あふれる作品に、メインストリームから外れた面白さを感じてビビビときた。自分のDJでも、スタイルの根幹として「エキゾチック」と「サイケデリック」の両方でやっています。

──ちなみにエキゾをメインにしているDJは多い?

サモハン

なかなかいないですけど、そういうニッチなものをあえて真ん中にとらえて、どういう表現ができるかを模索しているDJはいますね。たとえば、一緒に〈Noche Tropical〉というイベント&ミックスレーベルをやってるAIWABEATZくんは、スクリューのDJなんですよ。

──スクリューは、レコードの回転数を大胆に落とし、音源をスロー再生する手法ですね。

サモハン

彼のスクリューで、俺の世界観が結構くつがえったんです。黒人のドゥーワップをスクリューすることで、楽曲自体のムードが変わって湿度がむうんと上がったり。発想を転換することで世界が変わる。

それってエキゾ音楽のズラし方とすごく似てるなと思う。僕が1年くらい前にこの米軍ハウスに引っ越してきたのも発想の転換で、そういうムードに自分を置きたいという気持ちがあったからなんです。今は「エキゾって何なんだろう」と生活を通して求道してるところがある。

──「日本のなかのアメリカ」というズレが、ここにもありますよね。

田中

すごい志でここに越してきたんだね!(笑)

コントロールできない生々しさ

──小川さんは、バナナハウスボーイズでは、DJではなく司会を担当されてましたね。普段は写真家で、ここバナナハウスで田中さんとルームシェア中です。

小川尚寛

僕は2人みたいにエキゾチックな音楽をたくさんは知らないんです。エキゾって、視覚でも想像させるものだと思っているので、自分の仕事のなかでそれが表現できているかといえば難しい。むしろ僕にとって「エキゾとは何か」を体現してる存在は、彼ら2人なんです。いろんな曲をこの家で流して、ライブに連れて行ってくれて、そこで感じたり想像したりする全てが僕にとってのエキゾかなと。

サモハン

旅をしたり、移動をしたりして、その先で音楽を体験するということは、エキゾともリンクするよね。

田中

最初は小川ちゃんには手品をやってほしかったんだよ(笑)。でも、それはできないということで、司会を頼んだ。やっぱり、音楽を聴きに来てくれたお客さんを別次元にいざなう役目として司会がいたらいいなと思ったし、僕らとしてはDJチームにMCがいたり、それをカメラマンの小川ちゃんがやってる感じがいい。ある筋から脱線している感覚というか。自由になりたいじゃない?なるべくフォーマットから外れて面白くしたい。

マーティン・デニーの「Quiet Village」(1959年)もさ、最初はジャングルをカヌーで漕いで行って、やがて大海原が広がってゆくヴィジョンが浮かぶ感じがするし……。見たことないところにひたすら向かうような感覚には、そういう自由さ、別天地を目指す欲求があると思う。

サモハン

エキゾってきっと、その場所に実際に辿りつくんじゃなくて、イマジナリーな境地として思いを馳せたり、目指したりするという行動そのものなんじゃないですか?絵葉書を見て、その地を想像するのと似てるから。だから俺らは東京でこういう活動をしてるんだと思うし。

田中

あくまで想像としてね。いい趣味じゃないか!

サモハン

ヒマってことなんじゃないかな(笑)。

田中

ただ、いつも思うんだけど、趣味がいい、センスがいいってところで終わりたくない。なんとなく脱線して、こんがらがっているというか、コントロールできない部分の生々しさに僕は魅力を感じる。

サモハン

俺らはセンスがいいというより“胡散臭い”のほうが強い感じがあるよね。(田中)克海さんが言ってるのは、エキゾという実体がないイマジナリーなものに対して、生々しさを求めていくということだよね。

田中

だからバナナハウスボーイズでDJしたときも、小川ちゃんにMCしてもらって。当日本人はめちゃめちゃ緊張してたけど、そういうエモーショナルなところがいいわけ(笑)。ヘラヘラしてないのが大事だし、フレッシュさ、誠実さに“生”を感じて、いいなって。それがこの3人でやることの醍醐味だよね。

エキゾな眼差しの応酬

──ちょっとシリアスな話をしておくと、今の時代は情報の解像度も上がったし、コンプライアンス意識も高まっていて、昔の無邪気なエキゾ表現をそのまま使うのが難しいところもあります。

サモハン

蔑視や差別表現として受け取られることもある。もともとそういう要素はないあくまで想像上の音楽ではあるんだけど、確かに“あっち”と“こっち”を区別しているわけだから、誤解されたり、誰かを傷つける危険性をはらんでいると思うな。

細野晴臣さんも、そういう第三世界的な文化に対して安易に面白がることへの警鐘は、結構早い段階からエッセイなどで取り上げていたし。

──「知らないものを発見した!」という感情は素朴な喜びだけど、カルチャーに対する視線の在り方は、意識しておくべき部分も大きい。

サモハン

たとえば今のレコード・ブームで、海外からジャパニーズ・シティポップが注目されたのも、世界中のディガーの最後の“発見”として「極東にある島国で何やら不思議な音楽をやっていた」というエキゾな視点もあると思うんですよね。我々もエキゾな眼差しの対象になっている。だけどこっちはこっちで、向こうをずっと夢見てきた。夢見ることの応酬みたいなところもある。

田中

1970~80年代のシティポップ自体、誰も見たことのないアイランドや理想の都市が描かれていることが多い。当時はその夢にめちゃめちゃみんな乗っかって、ああいう音楽を作ったわけじゃない?それが今の感覚だと、気になるクセだらけ。英語圏じゃないアジアの国の人が作り上げた唯一無二の音楽だったことに、世界が気づいたみたいな。

僕はそういうクセを、未来の再評価じゃなく、今の面白いものとして世界のマーケットに届けたいとすごく思ってる。

サモハン

民クルは今、実際に届いているじゃないですか。ヨーロッパツアーも好調だし。ネットでタイムラグもなくなったから、どこにいても聴き手にフラットに届く時代になりましたからね。

田中

クンビアがアメリカのマーケットで個性のあるビートとして認められているように、クセが価値を持って、発信したそばからバンバン世界に響いていくことになったら、従来のエキゾ観も変わっていく気がするね。

夢は夢のままで

サモハン

ちなみに、これからのエキゾ観、どう変わっていくと思いますか?

田中

うーん、そこが難しいところ。ロックンロールとかも1950年代に登場したときは「なんじゃこりゃ!」ってみんなが衝撃を受けたわけだけど、だんだんマーケットの価値観に取り込まれて記号化していったよね。エキゾとかのクセも、やがて記号になってしまうような。そうなると、もともとの表現に価値を置いていた人たちは、それが商品になることで失望する、みたいになるのかな。

──確かに60年代半ば以降のエキゾ音楽は記号化したし、“変わったムード音楽”くらいの陳腐な作品がどんどん増えていきました。オリジナルにあった価値を甦らせたのは、作る側ではなく、細野さんやヤン富田さん、さらにそのバトンを受け取った世代と、後から追いかけた側だった。

サモハン

僕らは普段、こうやって夜な夜なここに3人集まって、いろんな音楽の話をしているんですよ。普段はそれぞれ別の活動をしているけど、少しずついろんなものを持ち寄って、積み重ねていく。近くに住んでるから寝食を共にしてる感じがあるのもいい。

──夜な夜なエキゾ会議。参加してみたいかも。

バナナハウスの中庭に集まる3人
バナナハウスの中庭で音楽談義。

田中

そういえば前に、源ちゃん(サモハンキンポー)がソロ・アルバムをもし作るとしたら、みたいな話をしてたじゃん。

サモハン

タイトルは『イマジナリー・アイランド』がいいんじゃないか、とかね(笑)。

──“想像上の島”!それこそエキゾ。最高じゃないですか。

サモハン

ここまで出てきた話をまとめると……僕らにとってのエキゾというと、キーワードになるのは「メインから外れたり、横道にちょっとそれたもの」と「イマジナリー・アイランド(想像上の島)」かな。あとは「いざなう」。誘われてはいるけれど、実際には行かない、というのがいい。

小川

それは大事。夢のままにしておくというのは、特別な面白みがありますよね。

サモハン

見たことないものをでっち上げてるだけだからね。事実とは異なる。

田中

つまり“何かを想像してワクワクしていること”を、エキゾというのかも。音楽スタイルやジャンルではなく、そういう状態そのものなのかもしれない!(勢いよく膝を打つ)

サモハン

そうそう。そもそもエキゾって、いろんなメインストリームのジャンルの横にくっついてるもののような気もするし。

田中

わかるなあ。だから、エキゾの本質はエキゾのなかにはない。カテゴライズされた「エキゾ」の“外側”にあるのかもしれないね。

サモハン

しかし、こうやって話せば話すほど、キツネにつままれたような感じになってくる。「いったい何の話してたんだっけ?」と(笑)。

田中

本質をつかもうとするけど、つかめません!

サモハン

「っていう夢なんです」的なね。

──感覚的には、「蜃気楼で見える島に船を漕いで行こうとするんだけど、本当の島はいつもその先に浮かんでいる」という感じでしょうか。

田中

え!?「トイレ行こうとするんだけど」って何ですか?

──「“漕いで”行こうとするんだけど」です!

一同

(爆笑)

サモハン

キツネにつままれた顔してる(笑)。

バナナハウスボーイズ サモハンキンポー、田中克海、小川尚寛
我らバナナハウスボーイズ!