祖母の創作を支えたのは「面白がる力」でした
宮脇綾子(1905~1995年)が、アプリケの手法で作品を作り始めたのは40歳の時。夫で洋画家の宮脇晴(はる)と暮らしながら、魚や野菜や草花などをさまざまな布で表現していました。
タコでもメロンでもアジサイでも、モチーフとなるものを「モデル」と呼び、徹底的に観察するのが彼女の手法。時には切ったり分解したりして構造を確かめ、あの布とこの布を組み合わせて……と考え続けていたのでしょう。よく「布に作らせてもらっている」というようなことを口にして、切り抜いた後のハギレも絶対に捨てなかった。自ら古裂(こぎれ)屋へも探しに出かけていたし、「いい布があるから」と持ってきてくださる方も大勢いたようです。
彼女は真剣に面白がる力と探求心と、怖いくらいのデザインセンスを持っていた。例えば、藍色の絣(かすり)とザクザクした朱色の織り地で新巻きザケを表現したり、木綿のコーヒーフィルターに紐で目鼻を入れたり。その発想には驚かされっぱなしです。傍らにいる夫が美の師匠というのも大きいでしょう。作品は、常に最愛の夫に向けて作られていたように感じます。
ところで、綾子は常々「誰もやっていないことをやってみたかった」と言っていたそうです。森永さんもそんなふうに思うことはありますか?(談)
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圧倒的な手の表現はまさにオートクチュール
「美は乱調にあり/諧調はもはや美ではない(破調の美を求む)」。綾子さんが書いた一文を会場で読みました。刺し身を切り取った後のカレイの形や、枯れていく枝豆の姿など、普通は見過ごしてしまう日常が、綾子さんによって発見され、美しい非日常に変換されている。みんなが思う美ではなく、自分だけが見出した美を表現したい。僭越ですが、僕もそう思っています。
作品を見てオートクチュールのようだと感じていたのですが、創作の根底にご主人への愛があったと聞いて得心しました。綾子さんが作品を作り始めた当時、パリでは数々のメゾンが生まれ、一人のために手を尽くした服が作られていた。そういう仕事を凌駕するほどに美しい手の表現が、日本にあったことを誇らしく思います。僕は今まで、布には絵のように繊細な描写は難しいと思っていたのです。ところが綾子さんの布は、絵よりも強い感動や力を与えてくれた。こんな表現ができるのかと、心からワクワクしました。
さまざまな国や時代の布が一つに繋ぎ合わされ、その境界がデザインになる。作品の中に、出会い、縁、偶然が詰まっている。そんなことを想像しながら観るのは豊かな体験でしたし、ユーモアのあるお人柄も感じられました。一度お話ししてみたかったです。(談)
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