「私だけに見えた唯一の色を表す」遠藤文香の写真の話
色を引き出すことは、モノの感情をすくい上げること
白昼夢のような光景に見入ってしまう鑑賞者もいれば、中世の宗教画に似た神秘性を感じる人も、あるいは色彩の美しさにただただ心惹かれる人もいるだろう。山や動物、石などの対象物にストロボの光を当てて撮影し、色や質感をデジタル加工する。遠藤文香は、自然と人為が溶け合うような創作で、ファッションやカルチャーの界隈でも注目される写真家だ。
本格的な活動を始めたのは、グラフィックデザインを学んでいた大学院在学中の2020年。それまでは日常を切り取るスナップ的な写真を撮っていたが、作家としての強い覚悟を持って制作に臨もうと決めた頃、世の中が一変した。コロナ禍でさまざまなことが制限される中、自分が撮るべき写真は何かと限界まで向き合い続けた結果、ある日ほとんど突発的に、一眼レフのデジタルカメラを持って北海道の道東へと赴いていた。
「北海道に行って自然を撮らなければ!みたいな謎の使命感に駆られたんです。もともと自然や動物が好きなこともありますが、家に閉じ込もる日常の中で、それらに救いを求めていたのでしょう。一方で、すべての自然が純粋な自然として存在しているのではないことにも思いを巡らせました。“手つかずの”と形容されるような大自然も、人間がこういう景色を保とうと考えたから現前するし、牧場で草を食(は)む動物にだって人為が介入しているんですよね」
アイロニカルなこの視点が、ストロボの光を使うことで自然と人為を行き来するスタイルの出発点にもなった。もちろん、光を当てた明るい色やグラフィカルな構図が好きだという純粋な理由もある。
「例えば石の写真は、アイヌ語でアトサヌプリと呼ばれる硫黄山で撮影したもの。山肌にある石の鮮やかな色に感動してシャッターを切ったけれど、プリントしたら記憶よりも濁って見えたんです。それで、記憶を頼りにしつつ、石の中に潜んでいる色を引き出したり質感を強調したりという加工を施しました。レタッチの延長線上にある“絵作り”に近い工程です。実際はここまで鮮やかではなかったかもしれないけれど、私の目は確かにこの色彩を感じ取った。その色に近づけるためにイメージを調整している感覚です」
とはいえ、調整する際のガイドラインは自身の記憶だけではない。
「矛盾するようですが、現実からは離れたもの……みんなが共感できる普遍的な存在に見せたいという欲求も持っています」
記憶とすり合わせながら対象の色を引き出す作業は、対象の中にある声や情感や意志をすくい上げる行為でもある。それを見出し、写真を観る人たちと共有したい。遠藤はそう考えている。
光が生み出すイメージにカメラを通して没入する喜び
神話を描いた絵画や中世のタペストリーのようだとも称される遠藤の作品は、写真という技術が生まれる以前の、記憶や感覚や伝承による表現だけが生むリアルさに近い魅力をも放っている。
「ストロボの光を当てることで、すべてを等価に写し出そうとしているのかもしれません。おそらくアニミズムという言葉が近いと思うのですが、山にも動物にも一粒の石にも天候にも、精霊や神様のようなものが宿っている———みたいなことを、北海道では感じる瞬間が多い。私はそこに光を当てたいのだと思います」
ちなみに、シャッターを切る時や光を当てる時の心持ちを尋ねると、「何も考えてないことがほとんどです」ときっぱり。
「対象に光を当てた時に現れるイメージに、カメラを通して完全に没入しているので。周りの時間が消えてしまうような、私の意識も自然の一部に溶け込んでいるような、だからこそ対象ともちゃんとつながっているような、そういう感覚があります。あの感覚の中に潜っていられる時間が、どうしようもなく大切で、だからまた北海道に向かってしまうんです」
毎日鬱々としていた3年前、自然に救いを求めたことが、作品を作り始める原動力になった。
「自然に救われたから、自然に光を当てているような気持ちもある。私にとっては写真を撮る営みそのものが、切実な救いであり光みたいなものでもあるんです」