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シェフが野菜を育てる温泉オーベルジュ。伊豆〈bekka izu〉

一組貸し切りという、リラックスがある。温泉オーベルジュ〈bekka izu(ベッカ イズ)〉は、もう一つの家=別家。心許せる人と、あるいは子どもと一緒にゆるゆると。そこにあるのはホスピタリティの完成形、畑から生まれるクリエイティブな料理の世界。

photo: Kazuharu Igarashi / text: Naoko Ikawa

一棟の家をまるごと、さあどうぞと渡される。美しい建物だ。そこにはなみなみと湛えられた温泉が用意され、リビングにはフリーフローのミニバー、寝室には寝心地のいいベッド。

そしてキッチンにはドイツ帰りの料理人。シェフは1日1組のゲストのために、日々畑に立ち、自然栽培で野菜を育ててもいるのである。なんという贅沢だろう。

畑作業をする〈bekka izu〉シェフの大塚一樹さん
〈bekka izu〉シェフの大塚一樹さん。

〈bekka izu〉は、伊豆高原の閑静な別荘地に立つ一軒家、一棟貸しの温泉オーベルジュである。宇建築設計事務所(SORA ARCHITECTS)による建物は、背後に望む大室山のなだらかな稜線に沿うような屋根の形、日本の木材を多用した質感が土地と馴染み、なんだかほっとする。

「この辺りは、星を見に来られるエリアなんですよ」

到着すると、シェフの大塚一樹さんとマネージャーの大塚愛子さんが出迎え、教えてくれた。

夫妻は昨年、10年近く暮らしたドイツから帰国したばかりだ。デュッセルドルフのホテルでレストランの料理長を務めていた一樹さんと、コンシェルジュだった愛子さん。

いわば料理と宿のプロフェッショナルが結婚したわけで、二人の夢が「オーベルジュ」に設定されたのは、必然だったのかもしれない。しかも彼らだから叶えられる、高い水準で。

「僕らは人を“もてなす”ことがしたいと。料理だけでなく、ディナーの切り取られた時間だけでもない、それを総合的にできるのはオーベルジュだと考えました」

BIO大国のドイツで鍛えられた二人だから、館内で触れるものはすべてにおいてセンスよく、環境への配慮が利いている。

オーガニックのアメニティはもちろん、糸から選定した天然素材のルームウエア、伊豆の森で採取した黒文字のアロマオイル、日本の木工作家による家具。部屋の冷蔵庫には天城の深層水が冷え、地元のみかんを搾るのはスロージューサー。

自宅でもオーガニックを選ぶ私たちにとって、これらはリラックスのためにとても重要だ。早めにチェック・インしたら、一回温泉。ハイボールでも作って昼飲みしながら、あちこちに置かれた本をつまみ食いするみたいに読んだり、お昼寝もいい。

そうして迎えるクライマックス、ディナーの時間。シェフを独占するカウンターに着くと、現れるのは、めくるめくイノベーティブな皿の数々だ。

蕪とトンカ豆、葉の雫が畑の緑や雨を思わせる詩的なポタージュ。伊豆牛は牡蠣のタルタルに合わせて赤身の甘味を引き上げ、伊豆鹿はイタリアの詰め物パスタ「アニョロッティ」に忍ばせたヤギのチーズと、シルキーな食感でつながる。

伊豆の漁港に揚がった金目鯛には、天日干しで旨味の凝縮した山の茸、それらをつなぐ西京味噌。静岡県産牛のサーロインは、修善寺の古代米と伊豆大島の白バターのリゾットで野性味とエレガンスを。
ワインはフランスもあるけれど、今注目のドイツから、愛子さんにペアリングをお願いして大正解だった。

まさに、「ご馳走」だ。彼の料理は、種を撒くところから始まっている。農薬や化学肥料を使わず、微生物が健やかに働く畑。少量ずつ、多くの野菜を混植することで、植物は土の中に張った根から、お互いに栄養分を補い合い共生する。

そんな畑の世界では、虫に食われた葉も、まだ青くて小さな実も、雨上がりの土の匂いもインスピレーションの源泉だ。

さらにこの伊豆高原には、山も海もある。シェフは早朝から港へ車を走らせ、定置網漁で捕れた地魚を仕入れに行き、豆腐や加工肉、ドイツパン、コーヒーは地元の専門店へ。そうして漁師や職人らと顔を合わせ、土地を知り人を知ってつくる料理だ。

都心のレストランならばドレスアップして臨むコースが、ここでは湯上がりの部屋着で可能、という背徳感に似た贅沢感。

でも、誰に遠慮することもないのだ。なにせゲストは私たちしかいないのだから。ゆっくり、のびのびと過ごしながら、自分たちだけのために注がれる“もてなし”を享受する。たしかにこれは、ホスピタリティの完成形だ。

bekka izu シェフの大塚一樹さんとマネージャーの大塚愛子さん