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「インターネットは大きい田舎」浅野いにおと大森時生が語る、憂鬱と希望 【対談後編】

現代ホラーの若いクリエイターたちが気になる漫画家の浅野いにおさんと、近年のホラーブームを牽引するテレビ東京プロデューサーの大森時生さんの対談(前編はこちらから)。後編はホラーから派生して、現代社会の停滞、そして浅野さんが直面した中年の危機について。世代の異なる二人のクリエイターが世の中に抱く、憂鬱と希望とは。大森さんの最新作『飯沼一家に謝罪します』はTverで無料配信中。

photo: Kazufumi Shimoyashiki / text: BRUTUS

「2000年代のキーワードは停滞だった」

浅野いにお

僕は1980年生まれで、幼少期は80年代の真ん中くらいでしたが、田舎出身なのでバブルの恩恵は全く受けていないんですよ。むしろニュースとかをある程度見るようになったのは、中学生だった1995年頃だから、いろいろ物事が見えるようになったときにはもう不景気で、世の中がカルト的な物に染まっていて、世紀末はどうなるんだという緊張感があったんですよね。


それが2000年を超えて21世紀に変わった瞬間、何か起きそうだったけど何も起きなかったというのが確定したときに、当時の若者は本当に急に放り出されたような状態で、迷子みたいになっちゃったんです。何を軸にして生きていいか分からなくなってしまった。2000年代の僕が編集者の方とかとよく話していた当時のキーワードは「停滞」だったんですよ。

浅野いにお

浅野

でも、それこそトー横キッズの様子とかを見ていると、センター街がトー横に移ったんだなというふうに思うし、当時は「おやじ狩り」で狩られていたおじさんがいたんですが、今は闇バイトに強盗されてしまう高齢者がいるんだなとか。どこか似ている部分は感じてしまうんですよね。

どうしてそういう世紀末的な雰囲気になったのかを考えると、まず本当に「停滞」が長く続きすぎたのと、綺麗事が増えすぎてしまって、さすがにそれだけでは満足できなくなってきているのかなと。僕は結構、その真逆のものとして90年代の汚さを求めている部分があるから、90年代末っぽい漫画を描いたりしています。

大森時生

それこそ(ドナルド・)トランプが勝つのにも、そういう雰囲気を感じますよね。綺麗事のカウンターというか。でも、それが一番世紀末っぽいじゃないですか。



浅野

そうなんですよね。それって簡単に言うとポピュリズムだから、すごく意識を変えやすくて、簡単にできてしまうからこそ、カルト化してしまう可能性があって、危険であると。今のこの世紀末感、かっこいいよねというんじゃなくて、すごく危ない状態でもあるということは、自覚しなければいけないと思うんですよね。

大森

1999年は、浅野さんや周りの人はどれくらい本当に世界が終わるという雰囲気だったんですか。


浅野

雰囲気的には誰も信じていなかったです。とはいえ、ミサイルが飛んでくるとか、隕石が落ちてくるとか、そういうことがなくても、2000年を境にしてインターネットのあるなしで明確に世の中が変わっているんですよね。それが20年くらい続いて、次のフェーズに入りつつあるなというのは多分みんな思っているから、だから世紀末だなと思うんです。本当にこの1年以内くらいの間に、その道筋が見えてくると思うんですけど。一番可能性があるのはAIだと思いますね。

「なるべくみんな冷静でいてくれ」

大森

AIが、すべてを根こそぎ変える可能性がありそうですよね。

大森時生

浅野

そう。『フィクショナル』に関しても、フェイク動画で世の中が支配されていってしまう世紀末的な状況の中で、主人公が担ぎ上げられて。ただ、担ぎ上げられている本人は狂っている可能性があるという、その終わり方にすごく説得力を感じたんです。

『フィクショナル』
自主制作の短編映画『カウンセラー』で注目を集めた酒井善三が監督を、大森時生がプロデュースを務めたドラマ作品。うだつの上がらない映像制作業者・神保のもとに、ある日、大学時代の先輩・及川から仕事の依頼が舞い込む。あこがれの先輩との共同業務に気分が沸き立つ神保だったが、その仕事は怪しいディープフェイク映像制作の下請けだった。神保はその仕事の影響で、徐々にリアルとフェイクの境目を見失っていく。2024年9月にショート動画プラットフォーム「BUMP」で配信開始、11月からは劇場でも公開され話題を集めた。現在もU-NEXTほか配信サイトで配信中。
©️テレビ東京

浅野

それこそトランプもそうだし、衆議院の解散総選挙もそう。代表というものが担ぎ上げられていく。そういう意味で、『フィクショナル』はかなり現実に肉薄した内容だなと思う。でも、やっぱりそういう世界で、今後もみんな生きていかなきゃいけないということだと思うんですよね。

大森

『フィクショナル』では、主人公が狂っているのか狂っていないのかも途中から分からなくなる。今って、その感じだよなと。トランプも自分の意思で動いている感じがもはやしなくて、撃たれて旗を掲げている姿は、大きな物語に動かされているようにも見える。でも、それは誰が望んで作っているストーリーなのかも見えない。

陰謀論の一番怖いところは、ストーリーの担い手がいないところだと思うんですよね。担い手がいないから、ウイルスと同じで変異して大きく広がって、感染した責任は誰も持たない。

浅野

自分は結局モノをずっと作っている人間だから、受け手の人たちがどういう感覚でいるのかということはずっとキャッチしなければいけないんですけど、あまりに世の中が変わってきてしまうと自分もお手上げになってしまうところがあって。「なるべくみんな冷静でいてくれ」と思いながら、生活しています。

「中年の危機しかないです」

大森

浅野さんは「中年の危機」みたいなものは、あまりないですか。

浅野

「中年の危機」しかないですよ。昨今の自分のテーマは完全にそれですね。

大森

それはどう向き合われているんですか。

浅野

かなりベタになってしまうんですけれども、要するに中年の危機を感じているクリエイターの人たちは、自分のためにものを作ってきたのが30代までで、40代以降になると自分のためには体が動かなくなるんです。だから簡単に言うと、他者のために動くという動機がないとモチベーションが上がらない。じゃあ誰のために仕事すべきなのかということを見つけられたら、乗り越えられる。

大森

今は読者のためですか。

浅野

いや、僕はもう読者のためじゃなくて、新人漫画家のため。要するに、とんでもない変な漫画を商業誌で描き続けるという僕のスタンス自体が、漫画の自由度というものを担保できると思っている。みんながみんな僕の漫画を面白いと言うわけではないんだけれども、描き手が、こういう漫画が描けたら楽しそうだと思う余地を残しておくためにも、僕は変な漫画を描かなきゃいけないと思っている。

大森

めちゃめちゃいい話ですね。

浅野

さらに言うと、結婚していない人や子供がいない人は、より誰かのためにというものが一切なくなってしまうから、便宜的に何か目標を設定した方がいいだろうなと思う。でも「中年の危機」は面白いですよ。本当に明日自殺してしまうんじゃないかという状態で生きるというのは、ある意味、すごく生きている感じがするんです。

自分はあと15年か20年くらいしか仕事ができないんだと思ったりすると、すごく死が身近になるので、じゃあ今日はちゃんと生きようというふうに思えるから、ある意味、今が一番生きていることを実感している。それはすごく面白いエキサイティングな状態だし、これからそれをエンタメに昇華できる人たちが出てくる可能性がある。ただ、今のエンタメで40代の中年が主人公になることなんてまずないじゃないですか。

大森

たしかに、フィクションとしてあまり描かれないジャンルですね。

浅野

本当に老若男女、おじさんに興味がなさすぎるんです。ちゃんと作れば「全く語られていなかった俺の話をしてくれている」みたいな感じで、共感を得られる可能性はあるんですけど。僕が今描いている漫画はそういう内容ではないですが、数年前に描いた『零落』という漫画があって、それは40代ではないけれど、30代後半の漫画家がうらぶれていくという話でした。それも中年になった自分の実感をもとに描いた漫画で、自分的にはすごく面白かった。40代になった今、また描けるものがあるかもしれないとも思っています。

僕は漫画を描くようになって25年ぐらい経っていますけど、これが描きたいというものがあるわけではなくて、結局そのときの年齢によって、描くものはどんどん変わってきてるんですよね。だから、自然にしておけば、描くものはそのときに見つかると思っているんです。僕も年を取るけど、漫画も年を取っていくということを認めたあたりから、漫画がかなり描きやすくなりました。

大森

めちゃめちゃありがたい話です。

「30の危機もある」

浅野

大森さんって、まだ20代?

大森

今年29ですね。でも、同世代と話していると、30の危機もあるなと。みんな妙に焦燥感を感じている気がする。

浅野

そうだと思いますよ。本当にまさに正念場というか。

大森

『デデデデ』を描き始めたのは何歳ぐらいですか。

浅野

あれが34歳ぐらい。

大森

34歳なんですね。

浅野

うん。あの頃はまだ頭を使って作れば、ものは売れると思っていた。それが自分の思い上がりだったということに気付いたのが30代で。僕、30代は本当にクソみたいな10年で、一つも楽しいことなんてなかった。そう考えると、今はどうせ死ぬしという気持ちで生きているからか、大分気が楽です。

浅野

30代って、プレッシャーもあるし、みんながみんなうまくいくわけじゃないと思います。やっぱり20代のときにものを作るのって、大森さんが無知だとは思わないけど、無知がゆえに勢いがあったり、周りの人も若いから評価しちゃうみたいなこともあると思うんです。30代になったらそれがなくなっていく。周りの意見も厳しくなっていくし、大森さんの場合はすでに作品も残してしまっているから。

でも、一人の作家を追いかけてくれる人は多くないから、自分の名前ではなくて作品の名前である程度認知されるものも作っていかないといけない。今の若い方は自己プロデュースもはっきりしているから、やりすぎると中年以降、なかなか受け手の人がついてきてくれないというのもあると思う。

僕も20代の頃に、若い漫画家というのを自己アピールしすぎたなという気持ちがあるので。でも、意識的にやっていたんですよね。帯に自分の年齢を書いたり。書く必要ないじゃないですか。でも「この作者、まだ22歳なんだぜ」ということで売れると思っていたんです。

大森

そこまで自分でやられていたんですね。

浅野

その頃の担当者が「ものを売るとはこういうことだ」という洗礼を僕に浴びせていたから、なるほどと思っていた。それ以降は、やっぱり漫画家も自己プロデュースが必要だなと思っていたんですけど、逆にそれが邪魔になるときが来る。「この漫画家のファンはこういう人だから私は読まない」という人が絶対に出てきてしまうんです。それに苛まれていたのが30代でした。そういう流れが作家活動をしている人には絶対にあると思う。特に、大森さんは顔も出しているから。

大森

そうですね。

浅野

大森さんの作品を観るときに、単純に作品として観たいのに、ずっと大森さんの顔が浮かんでしまってそれがノイズになるという人もいるじゃないですか。それを払拭するぐらいの作品を作らないと。

「インターネットは大きな田舎」

大森

「中年の危機」って、具体的にある日、というのがあったんですか。

浅野

いや、明確にはないです。みんなそうだと思いますけど、40代になって仕事が一段落したときに、考えるターンが回ってくる。

大森

漫画家さんだと、連載の合間がありますもんね。

浅野

そうです。だから僕の場合、2年ぐらい前がすごく久しぶりに連載していない時期で、その頃にいろいろ考えました。それこそ、大森さんと知り合ったのも、やっぱり家でネットだけ見ているのはよくないぞと思って、人と会う機会があったらなるべく会おうと思っていたから。僕、もともとあんまりインターネットは好きではなくて見ていなかったんですけど、30代になってから逆に見るようにして、ネット漬けみたいになった結果、インターネットというものが自分の中で何なのかということの結論が出たんですよ。

大森

結論が。すごい話ですね。

浅野

簡単に言うと、「大きな田舎」。

大森

「大きな田舎」。

浅野

つまり、田舎ってたとえば閉鎖的で排他的で身内びいき、みたいなことがあるじゃないですか。僕はそういうことが嫌いだから上京してきたんですけど、その特性をインターネットは持っている。なんで自分が嫌で飛び出してきたような、SNSというでっかい田舎がずっとそばにあって、それと対峙しなきゃいけないんだと思ったときに、もう自分はそれに対して興味を持たなくていいと思えたんです。

結局、インターネットやSNSの情報って、ネットに書けるところまでしかないんですよね、どんなに見ても。だから本当は大したことないんだなということがようやく分かった。それよりも人に会って直接話を聞く方が解像度が圧倒的に高いわけで、そろそろ自分はそっちに移った方がいいし。昔、「SNSの使い方が下手だね」と言われたことがあるんです。でも、SNSの使い方がうまいって、なんかカッコ悪くないかって(笑)。そこで気持ちが完全に離れた。最低限は使いますけど、ちょっと楽になったかな。