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「アイデアって必ず枯渇するんです」浅野いにおと大森時生が語る、ホラーブームの行く末【対談前編】

「最近、ホラーを観る機会が増えた」。そう話すのは漫画家の浅野いにおさん。近年のホラーブームで活躍する若いクリエイターたちに興味を持ち、出会ったのがテレビ東京プロデューサーの大森時生さんだった。『このテープもってないですか?』『イシナガキクエを探しています』などの番組を手がけ、1223日から放送された『飯沼一家に謝罪します』(Tverで無料配信中)も大きな話題を呼んだ。9月に発表された大森さんの初のドラマ作品『フィクショナル』を入り口に、話は様々な方向へ……

photo: Kazufumi Shimoyashiki / text: BRUTUS

「アイデアって必ず枯渇するんです」

浅野

僕はもともとホラーが好きなんですが、ここ数年はメディアでも自然と目につくようになってきた。その中で今活躍されているのが僕よりも1世代、2世代若い人たちなので、話を聞いてみたいなと思っていたところ、先日大森さんにお会いする機会があったんです。

大森

僕が人生でみたコンテンツの中で最も衝撃だったもののひとつに、浅野さんの『おやすみプンプン』で、ある登場人物が自殺するシーンがあります。そして、そのとき得た感覚と衝撃には大きな影響を受けています。

それが本当の意味での不可逆な絶望というものとの出合いでしたし、フィクションを通じてそうした感覚が味わえるところも、素晴らしいと思ったんです。

浅野

僕が普段作っているのは漫画で、漫画は結局絵なので、フィクションの中でもさらに非現実的なものに見えてしまう。だから、リアリティを持たせることに注力しなければいけないんですね。キャラクターが死んで、それに衝撃を受けてもらうためには、その漫画の世界では絶対に生き返ることはないというリアリティを事前に説明しておかないといけない。

大森さんが作るモキュメンタリーというジャンルも、リアリティをどこに設定してあげるのかにすごく気を使わないといけないものですよね。その点、大森さんの作品はこの数年ですごく変化しているんですよ。

浅野いにお

大森

ありがとうございます。かなり細かく、鋭い視点で見てくださって、めちゃめちゃ嬉しいです。


浅野

アイデア勝負のところもあると思うから。アイデアって必ず枯渇するんです。

大森

すごい、重みがありすぎますね。

浅野

どこまでやれるんだろうという気がしていて。

大森

『フィクショナル』で完全にフィクション作品を制作したのは、それもありますね。

『フィクショナル』
自主制作の短編映画『カウンセラー』で注目を集めた酒井善三が監督を、大森時生がプロデュースを務めたドラマ作品。うだつの上がらない映像制作業者・神保のもとに、ある日、大学時代の先輩・及川から仕事の依頼が舞い込む。あこがれの先輩との共同業務に気分が沸き立つ神保だったが、その仕事は怪しいディープフェイク映像制作の下請けだった。神保はその仕事の影響で、徐々にリアルとフェイクの境目を見失っていく。2024年9月にショート動画プラットフォーム「BUMP」で配信開始、11月からは劇場でも公開され話題を集めた。現在もU-NEXTほか配信サイトで配信中。
©️テレビ東京

大森

“仕掛け”の面白さをメインに据えた作品を続けた先のオチとして、最終的に本当に僕が自殺するしかないっていうフェーズがいつか来ちゃうと思ったんです。フィクション内だけで完結することは飽き足らず、現実世界の僕に接続させることで面白さを作らざるを得ないということもあるので。

浅野

そうなりますね。危ないですね。


大森

そうなると、フィクションを作ることにも早めに向き合いたいと思いました。フェイクドキュメンタリーブームの担い手の一人で、『近畿地方のある場所について』の著者である背筋さんも、2作目ではがらっと変わってフィクション作品を出されたんですよね。

同じようにホラー作家の梨さんも、皆さんやっぱり「仕掛け」という手法一本では無理があると考えられているのではないかと思います。僕が語るのも烏滸がましいですが(笑)。

浅野

モキュメンタリーがネタ切れしそうと言ったのは、僕がど新人の1、2年目くらいで陥った、本当にアイデアがないという状態がすごく恐怖で。その頃の僕は短編漫画ばかり読んでいたせいで、長編が描けなかった。でも、短編漫画って結局一話一話のアイデアだから、あっという間にアイデアがなくなるんです。

だから自分は漫画家として活動していくために、長編が描けるようにならないと仕事にならないと判断して、描くようになった。年を取っていくとそういう感じで仕事を楽に続けられる方法を作っていくんですけど、大森さんはすでにその段階にきている。

「世の中に世紀末的な雰囲気が流れている」

大森

フィクション作品を作るにあたっては、大きなストーリーのダイナミズムのようなものが圧倒的に大切だと思いました。フェイクドキュメンタリーなら妙に怪しげなおばあちゃんや何も言わない人が出てきても、実際のドキュメンタリーもそうだからと言えた。でも映画でそれをやってしまうと、単純にストーリーの強度を下げる存在になってしまう。

大森時生

浅野

着地点がはっきりしないと、映像作品として何を見たのかよく分からないという気持ちにさせてしまうし、何かメッセージやテーマがないと作れないじゃないですか。それは今回ありましたか。


大森

僕の中で2000年代や2010年代は、虚無とかやるせなさといったことがキーワードになっている時代で。でも最近は「虚無とか言っているのも違くない?」という時代に入ってきているというか。現実と虚構の境目がよく分からない混沌とした時代を、俯瞰で見るのではなく、そこにちゃんと向き合う時代になっているという感覚が、僕と酒井監督の中にありました。ラストでは、主人公は何か分からないけどとにかく進み続ける。悪の方に加担していたとしても、それをやめるわけではない。

浅野

確かに、次の一歩に進もうとしている感じを受けました。

大森

僕は『MUJINA』(『MUJINA INTO THE DEEP』)を読んだときにも、それをすごく感じたんです。

『MUJINA INTO THE DEEP』
浅野いにおの最新作。ビッグコミックスペリオールで連載中。何気ない日常の中、刀を背にビルの屋上から屋上を飛び回る人権なき存在「ムジナ」を描いたバトルアクション作品。人間とは、社会とは、人権とは、そして幸せとは。気づけば己に問われる全く新たな衝撃作。


大森

『デデデデ』(『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』)は、脅威と共存して、見ないふりをするわけではないんだけど何となく見えなくなっていく、それでもう世界が終わってしまうんだろうなといううっすらした虚無を抱えながらも、まあみんな生きていくよねというムードをすごく感じて。それはめちゃめちゃ面白かったんですけど、『MUJINA』ではその時代も終わって、フィジカルの時代というムードを感じました。


浅野

『デデデデ』を描き始めたのは2014年で、やっぱり3.11以降の日本のムードというものをすくった漫画だったと思います。

具体的には、僕の中では「虚無」というワードではなかったんですけど、諦めというか。巨大な宇宙船が浮いているという設定は不穏と言われることもあるんですが、僕は不穏というよりはそれが本当に当たり前になってしまったというだけで、それ自体には意味もなく。むしろそれを見て見ぬふりをして空騒ぎをしている感じに尊さみたいなものを感じていて、それを描いていた。

でも10年経って、ずっとそういうわけにはいかなくて、明らかに次のフェーズに入らなければいけないとは思っていた。2010年代は世の中がSNSブームで、その中で過剰に露悪的に振る舞う人もいれば、過剰に無菌状態の人たちの謎の正義感もあり、めちゃめちゃ品のいい漫画みたいなものを求められていたから、『デデデデ』はあまり下品なことを描かない作品になった。

でも、結局それは僕はすごく嘘っぽく感じちゃうんですよね。身体性とか、下品な表現とか、性的な表現をあえて入れていく方向に舵を切ったのは、そんな綺麗事だけでは無理でしょうとみんな分かっている中で、そろそろ切り替えた方が健全であるという気持ちなんです。もしかしたら、10代くらいの人はむしろそっちにリアリティを感じてくれるんじゃないかという期待もあって、『MUJINA』という漫画が出来上がっています。

「ここではないどこかへ」

浅野

僕は最近いろんなメディアで、今は90年代末期の世紀末的な雰囲気が流れているということをよく話すんです。全くイコールではないんですけど。今の世の中の状況に若い人たちが過敏に反応して、それによったエンタメに何が求められるかということも決まっていくと思うんですよね。

その中で、ホラーやモキュメンタリーが流行っているのはなぜだろうとも思うし。やっぱり僕が学生時代だった90年代にも、Jホラーブームがあったわけで。そういう意味でも、今ホラーに興味があるんですよね。

大森

その頃よりも、フィクション度合いが強すぎないホラー=受け手が自分ごととして感じることができるホラーが求められているというのはありますね。たとえばホラーでも、オーセンティックなホラー小説の売り上げはあまり上がっていないという話を聞くことがあって。現実に接続する不気味さを世の中の人が求めているというのは、90年代以上に世紀末感が強いんじゃないかなと思うこともあります。

浅野

どホラーはみんなそんなに求めていなくて。ヤバい裏社会のドキュメンタリーを観ればいいじゃん、ということではない。あくまで作られた、安心感を担保されたモキュメンタリー。だけどなんかありそうだよね、場合によってはあるよね、というところ。すごくニッチだとも思うんですよね。みんな難しい要求をしてくるなと。

大森

本当に怖い思いはしたくないというのが、ベースとしてあるんでしょうね。

浅野

多分、そこなんですよね。

大森

逆にフィクションだって、ホラー映画やホラー小説はちゃんとその世界に自分が入った上で怖い思いをするものですが、フェイクドキュメンタリーとかの1シーンを「本当っぽい・リアルだ」という感想を持つのは、ある種一番俯瞰で見ている、その世界の中に入らない言葉だと思うんです。そこに不気味さを感じるというのが、今っぽいのかもしれません。

浅野

大森さんが企画されていた『行方不明展』も行ったんですけど、本当にお客さんの世代が真っ二つに分かれていた。9割くらいはカップルとか友達同士の若い子たちで、残りの1割が僕みたいな一人で来ているおじさんなんですよ(笑)。見えてるものが違うんだろうなと思って。僕からするとあの展示って、昔リアルにあったものだから、ノスタルジックな気持ちで見られた。

でも今の若い人たちは実物を目にしていないことが多い。もしかしたら人によっては、田舎に住んだことはないけど、『となりのトトロ』の景色ってなんか懐かしいよねと言っちゃうような感覚に近いのかなと思うんです。昔のVHSテープのようなエフェクトの映像が流行るのも、みんなリアルでそれ見てないでしょうと。じゃあ何で今それを求めているのかなと。

大森

架空のノスタルジーというのは、ここ数年のキーワードですよね。僕はヴェイパーウェイヴという、過去の音源をサンプリングして、歪ませたりした音楽をよく聴くんですが、アメリカで特に使われるモチーフは、ペプシとか、フォードとか、9.11の直前のニュースの音声とか。

それって僕も全く知らないもので。大量生産、大量消費の時代のアメリカって、僕の世代も全然知らないけど、そこに何かよさを感じる。いま日本の若者がY2KとかVHSまで遡るのも、そういう感覚なのかなと。

浅野

なるほどね。そうやってノスタルジーを欲してしまうのは、やっぱりその時代が今と比べて盛り上がっていたからというのはあるんですかね。

大森

閉塞感がなかったのかなと。僕は1995年生まれなので、もう基本的に世の中で嫌なことが起こり続けているような雰囲気ですけど。それより前の時代は、テレビの映像も異様に豪華で、余裕があって洒脱で。あの頃ってよかったなと思っちゃうというか。

その感覚が『行方不明展』でもテーマとして掲げていた「ここではないどこかへ」という感覚と接続して、あの時代に行きたいと。「ここではないどこか」はあの時代、という感覚になっているのかもしれないですね。