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いま世界で最も成功している、日本発のコーヒーブランド。〈%ARABICA〉を知っていますか?

2014年オープンの京都・東山から始まりアジア、中東、北米、ヨーロッパ……その数、24年夏で、23の国と地域に200軒以上。それが〈% ARABICA〉(アラビカ)だ。手がけるのはある日本人ビジネスパーソン。そのユニークなブランド戦略を聞く。

photo: Atsushi Kondo / text: Michiko Watanabe

“コーヒーを通して世界で見聞を広げよう”創業時の思いは何も変わらない

初めから世界は彼の照準にあった。〈アラビカ〉代表・東海林克範(しょうじかつのり)さんのコーヒー業界参入は、2011年の東日本大震災がきっかけだった。

東京・下町にある印刷資材商社の3代目として世界を駆け巡り、週末は福島のビーチハウスで、子育てをしながらサーフィンを楽しむ日々。ところが、そこに津波が押し寄せてきた。すべてが流され、その年の秋に香港に引っ越す。本社のアジア展開を見据えてのことでもあった。

香港で驚いたのが、おいしいコーヒーがなかったこと。学生時代にスターバックスが瞬く間に全米を席捲するのを目の当たりにし、また、本誌2012年のコーヒー特集を見て「スペシャルティコーヒーの可能性に魅了された」。

印刷業界はネットの発展とともに縮小していくだろう。ならば、何か新規事業を持たなければという矢先でもあった。コーヒーは原油などと並んで世界屈指の貿易商品である。東海林さんの“貿易心”をくすぐらないわけがない。

「これからはコーヒーだ」

両親は世界語・エスペラントの活動家だった。その両親に連れられて、小さなときから世界中を飛び回った。訪ねた国々のいいところも悪いところも見てきた。長じてからは厳しい印刷業界で数多(あまた)の経験を積み、ビジネスマインドを鍛えられた。海外との折衝を臆することなくできるのも、このベースがあればこそだ。

世界に星の数ほどあるカフェの中で勝ち抜くには、ユニークでなくてはならない。まずは、店名とロゴだ。誰が見てもすぐに覚えられる「%」をロゴに、店名を呼びやすい「アラビカ」とした。コーヒー業界ではまったく無名の自分。

ロゴと店名にインパクトがあるだけではまだ足りない。そこで、ハワイのコナに農園を購入する。パンデミック中に手放すが、それまでのブランディングの助けにも名刺代わりにもなった。

香港出店の準備中に、コーヒーにまつわるビジネスを精力的に手がけていく。「一番いいのは、生豆をコンテナでガンガン回すようなビジネス」ということで、当時、スペシャルティコーヒーで評価の高かった生豆会社の代理店になった。

また、アメリカ・シアトルのエスプレッソマシン〈スレイヤー〉を見るや、すぐに社長に連絡をとり、「世界で一番売ります」とアピールして代理店契約を勝ち取った。「はったり&フォローなんです。はったりをガチッと決めたら、あとは必ず実現する」。

麻布台ヒルズ〈% ARABICA〉店内
標準のエスプレッソマシンは〈スレイヤー〉。

さらに、我が家の味として昔から親しんできた〈やなか珈琲〉の国産電機焙煎機《トルネードキング》に目をつけた。「1kgの生豆が10分足らずでパパッと焼ける」。しかも、特殊な技術は不要である。これなら世界中どこへでも持っていける。メーカーの社長を「僕が海外でめちゃくちゃ売りますから」と説得、輸出元になった。これで、焙煎してすぐ、最高の状態でコーヒーが出せる。

こうして、お膳立てが整ったところで、2013年に香港でまず1号店、さらに、日本人なんだからやっぱり日本だろう、と京都へ。

2014年、京都・東山は八坂の塔を望む、これぞ京都という通りに“グローバルフラッグシップストア”〈アラビカ・キョウト・ヒガシヤマ〉を出店。世界展開のための、いわばモデルルームである。狙い通り、外国人客が詰めかけた。「%」のロゴが、SNSで拡散していく。

オープンして1ヵ月もせずに、それを見たクウェートの大実業家(現在のビジネスパートナーでもある)がコンタクトしてきた。中東各国でこのブランドをやらせてほしい、と。「あ、来たなと思いました。以来、ノンストップで毎月100〜150件、話が来ます」。翌年、嵐山へ出店。

今度は料亭〈吉兆〉に食事に来ていた中国のミリオネアが行列を見つけて、コンタクトをとってきた。その中国が、今や一番多い出店先に。次から次へと広がり続け、たった10年で世界200店舗以上に。24年内にはパリ、イスタンブール、サンセバスチャン、ブダペスト、カトマンズ。エジプトはギザ、大ピラミッド前にも出店予定である。

直営店は京都の3軒のみ。あとはすべてフランチャイズだ。〈アラビカ〉の信条は“See the World through Coffee”。コーヒーを通して世界で見聞を広げよう、だ。そして、「嵐山のような素晴らしい場所にこだわり、シンプルでタイムレスなコーヒーを提供する」がコンセプトだ。それをひたすら世界でやろうというのである。

THAILAND/Bangkok Iconsiam

THAILAND/Bangkok EmQuartier Roastery

THAILAND/Bangkok One City Centre

CAMBODIA/Phnom Penh VCLP Roastery

INDONESIA/Jakarta Roastery

INDONESIA/Bali Kuta Beachwalk

INDONESIA/Bali Uluwatu

VIETNAM/Ho Chi Minh City Cafe Apartment

PHILIPPINES/Manila Mitsukoshi BGC

MALAYSIA/Kuala Lumpur Pavilion DH

では、店作りはどうしているのか。ハコを造ったら任せてあとはよろしく、ではなく、一から十までコミットする。場所選びも自らロケハンする。場所が決まったらデザイナーを決めて一緒にデザインする。マシンや生豆、焙煎機、消耗品など、おいしいコーヒーを淹(い)れる環境はすべて本部が整える。さまざまな代理店機能を持っているから、すんなり整う。抜かりはない。そして運営は各国のフランチャイズパートナーが行う。

自分はコーヒーとデザインが好きで、ビジネスが得意で、おまけに尋常ならざる情熱がある。「1日24時間365日仕事ができる。ライバルたちが週末休んでも、僕は働いている。そこらへんで差が出てくる」

「北米の、いわゆるサードウェーブの創業者たちが次々バイアウトしていったけれど、僕はこのビジネスを次代につなげたい。何代も続けられるのは日本人の武器ですから。弊社は今期61年目。100年企業を目指して日々の改善を積み重ねています」

スタッフ教育も怠らず。2〜3年で卒業して、カフェを開きたいと希望するバリスタが多いのだが、「コーヒーを淹れられるだけでは店を開いても続けられない。バリスタも売ることを学ばないと」と、ビジネスのノウハウを伝える。ただ、“秘伝のタレ”的なところは、必ず自分でやる。2代目の父からも「秘伝のタレは誰にも見せちゃいけないよ」と言われている。

「印刷業界の厳しさに比べたら、コーヒーは簡単なんですよ」と、最後に、スーパービジネスマンはこともなげにそう言った。