みんなが生きやすい社会と、
演劇や物語にできること。
安藤玉恵
『命〜』の初演は、まず、お客さんの笑いの多さに驚きました。深刻な内容なのに、ちゃんと伝わっているのかな?と一瞬不安になるくらい(笑)、笑いのリアクションがそれほど大きかったんです。
荻上チキ
僕は映像で拝見しましたが、面白かったです。8050問題の深刻さを伝えるというよりは、たくさん笑わせながらも「こういうことあるなあ」と共感できる風景をいくつも見せられた感覚。貧困のなかでも人とのつながりを求める人間の「業」のようなものにフォーカスされていて、切り口が見事でしたね。冒頭の安藤さんの独白も説得力があってすごいなと思いました。
安藤
あそこはもっと笑わせられたのかもと心配だったんですけど大丈夫でしたか?
荻上
はい (笑)。安藤さんが去年出演されたドラマ、『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』は商店街の人々と地縁を作りながら、他人が姉妹のように暮らすお話。『命〜』の方は母と息子の血縁が唯一の縁で、女子大生にドキュメンタリーを撮られることで世の中とつながりを持とうとする、対照的な物語でしたね。
安藤
『阿佐ヶ谷〜』では、演じながら「嫌なことはできるだけしないで、好きなことで満ちる」という姿勢を私は受け取っていたんですね。『命〜』では、血縁への執着やつながりの怖さを感じていました。この2つは、嫌なことから逃げられる人と逃げられない人の差なのかもしれないなと。
荻上
今は、社会のなかに血縁以外のつながりを増やすことが重要な時代なんだと思います。自殺対策に「病、市(市場=外)に出せ」という言葉がありますが、困ったことがあったらそれを表に出せば誰かしら解決してくれる人につながる。
でも、困っていると言わない限りそこに困り事があると誰も気づかない。当事者たちは人に助けてもらうという成功体験がないから外に出せない。だから家に籠もるという悪循環が起きてしまいます。
安藤
8050問題も最近では年齢が上がって9060といわれていますよね?高齢化は深刻で、私は俳優の仕事を続けていきたいですが、年金もあてにならないし、「老後2,000万円必要」なんて話まで出てきて、将来、病気になったり、働けなくなったりしたら生きていけなくなるのかなと不安になります。
荻上
昭和の時代に考えられていた「老後」とは事情が変わってきていますよね。ほとんどの人が80歳くらいまで生きるでしょうから、政治の世界でも、新たな福祉をどう整備するのかが課題になっています。働ける人しか存在を認めないような「自己責任」「衡平原理」を続けているとシビアになりますから。
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持続できる働き方を。
安藤
映像の仕事などでは特に、役者もスタッフも撮影が早朝から深夜まで及ぶ重労働だったりするんですね。私にも中学生の子供がいますが、働きたくても、育児との両立が難しくて続けられない人もたくさんいます。
私もワーキングマザーの一人として、皆が両立できるように、少しでも変えていけたらと、なるべくその大変さをプロデューサーさんなどに話すようにしているんですけど。既存のルールのままでは少子化も改善しないし、女性も活躍できないと思います。
荻上
社会に対して、何かを変えたいと思ったとき、例えばツイート一つでも、困り事を表に出すというのは有効です。
最初は煙たがられますが、ニーズがあることを繰り返し伝えることで、同じ思いを持つ人が続いて大きな声になり、解決に向かうということはあります。あと、幸福のモデルを見せるというのも一つの方法ですね。「こういう幸せってあるよね?」と、物語のなかで見せていくことにより、欲望に言葉が与えられる。
文学や演劇など、物語を通して理想の社会を共有して、その実現を目指すというのも大事なコミットメントになります。
安藤
なるほど!『阿佐ヶ谷〜』をやっているとき、結婚や家族という形に縛られない幸せの求め方って、すごくいいなと思っていました。
荻上
日本では、同性愛や同性同士の連帯などがなかなか描かれてきませんでしたが、ここ数年スピードアップして、多様な社会が表現されてきて、大変ウェルカムですね。
安藤
その表現の一端を担えているなら、嬉しいです。
荻上
物語の力は大きいですし、同じ物語に触れることで、描かれた世界や人物たちの心象について対話ができます。物語を人と共有することって、とても大事だと思いますね。