春、新しい環境や慣れない仕事に揉まれる時期が始まった。慌ただしい季節を健やかに過ごすには、春分(2025年は3月20日)から夏至(同6月21日)までの星模様が助けになるはず。新生活に携えたいツールや、ぜひ実行したいアクション、心に置いておきたいフレーズ、そして、一読したい本。それぞれ得意分野の異なる4人の占星術師から、4通りのメッセージが届いた。
新生活のラッキーツール(深井香織)
ちょっといいお茶碗&箸

新時代の波にスムーズに乗るために
2025年の春分(3月20日)から夏至(6月21日)までは、星の動きが活発になり、環境や状況が変わりやすい3カ月間。新しい環境になじみ、活動的になれる人ほどチャンスをつかめる時期です。だからこそ、変化の中でも自分の軸を失わず、土台をしっかりさせることがカギに。
オンオフを切り替えてエネルギーを上手に発揮できるように、毎日使うものに開運アイテムを使うことで、変化の波に上手に乗れるはずです。
春分から夏至にかけては、占星術的にはスタートの期間でもあります。
特に今年は、牡羊座で日食が起こり(3月29日)、海王星が牡羊座へ移動(3月30日)、土星もまた牡羊座に移動し(5月26日)、さらに木星が蟹座へ移動する(6月10日)など、重要な星の移動が続くのでライフスタイルや価値観の変化が加速し、個人レベルでも社会全体でも、新たな方向性が形作られる新時代への転換期となります。
この3カ月間は、例年以上に空気や環境の変化、人間関係の入れ替わりも激しくなり、大きな選択や決断を迫られることもあるでしょう。
特に海王星と土星の2つの惑星が集中する牡羊座は「スタート」のパワーが強い星座なので、「何かを始めたい!」という衝動も強まり、日常生活でもちょっとした挑戦をすることも増えるでしょう。一方で、エネルギーが分散しやすく、周りに流されやすい傾向もあります。
始めたことややるべきことが定着しにくく、迷いが生じて、知らないうちに疲れがたまることも増えそうです。
新しい流れに乗るためには、地に足を着け、日々の生活や基盤を整え、自分の軸をしっかり持つことが重要になります。
新しい環境や挑戦が続く時期こそ、「食べること」を大切に。忙しい日々でも、お気に入りの器や箸を使うことで、生活のリズムを整え、地に足を着ける感覚が生まれます。
土や木からつくられた茶碗やお箸は、土星のパワーを補強してくれるアイテム。土星は「安定、継続、実現」を司る星です。周りの落ち着かない状況にのみ込まれないように、グラウンディング力(現実をしっかり見つめ、自分の軸を保つ力)を強めてくれます。
「ちょっといい」道具が、日々の小さな豊かさをもたらし、変化の中でも自分軸を保つ助けに。
新生活のラッキーフレーズ(nico)
「自分にはこれがある!このカードで人生の大勝負に打って出る!」

夏までの間に、自分の強みを振り返る
2025年2月28日、トランプ大統領がゼレンスキー大統領に向かって「あなたはカードを持っていない」という衝撃的な発言をしたちょうどそのとき、天空上では金星が逆行を開始しようとしていた。
金星の逆行運動は2年に一度起こるものだが、今回はその重みが違う。この現象をどう乗り越えるかは、2025年の春以降の運気、もっと言えば、この一年の運気を左右しかねないほどの意味があるのだ。
占星術において金星とはいわゆる『手持ちのカード』のこと。国にとって、企業にとって、そしてもちろん個人にとって、自らに特別な価値を与えるものである。有益な資源や競争を生き延びるための武器とも言える。
金星が逆行している時期とは、「お前はどんなカード(資源、価値、武器)で勝負するつもりなのか」と問われるような体験、また「これではダメだ」と自前の手札に信頼が揺らぐような体験を通し、自分のカードと再び出会い直すときなのだ。
ここで「自分にはこれがある!」そう即答できないのなら、夏までの3カ月、自分の手札を見直し、勝負に挑む準備をしてほしい。
なぜ、これほどまでに金星=カードが大事なのか。ここで春分図を紐解いてみよう。春分図とは、春分を迎えたときの星の配置図のこと。古くから占星術では、春分図から一年間の世相、社会情勢を読むというのが習わしとなっている。
2025年の春分図は、逆行している金星が地平線にピタリと重なるユニークな配置になっている。周囲を見回せば皆が「持つ者」に見え、自分のチンケな存在に打ちのめされそうになる。「オレのカードはすごいだろう。お前のはどうなんだ」という強いプレッシャーを受けているような状態だ。気づくと、強者(に見える人)のパワーに引き込まれ、自分のリソースを差し出す始末だ。たとえそれがブラフだったとしても。
実際、厳しい時代ではある。だから外からの刺激に右往左往しないよう、まずは自身の金星力―独自の存在の価値を高めておくこと。「自分にはこれがある!」そう言えるものを再発見し、勝負札となるまでガッツリ鍛え上げること。あなたには間違いなく、「これ!」というカードがあるはずだ。
人の魅力に圧倒されそうになったとき、多数の声に自分の声が消されそうになったとき、人の期待に応えるためだけに走っていると感じたときは、ぜひ以下の言葉を口にしてほしい。
「自分にはこれがある!このカードで人生の大勝負に打って出る!」
この先、何があろうと「自分にはこれがある!」を手放さなければ、道に迷うことなく、確実に自分の行く道をハンドリングすることができるはずだ。
自分らしい春の季節を過ごしていただきたい。
新生活のラッキーアクション(Daiki)
朝日を浴びることが開運のきっかけに

新生活のスタートをよりスムーズに!
2025年、春の新生活を良い流れにしていくためのラッキーアクションは「朝日を浴びる」ことです。あまり意識していないという人もいると思いますが、朝起きたとき、出社するとき、通学するときに朝日を感じてみてください。私たちは、ついついスマホを見ながら、下を向いて歩きがちです。太陽が輝いていることが当たり前になっていて、その光に意識を向けることも少なくなってきています。
占星術の中でも、太陽というのは唯一自ら光を生み出し続ける天体(恒星)として重要視されています。2025年3月20日に、その太陽は牡羊座に移動しています。牡羊座は12星座の最初の星座であり、ものごとの始まりを表しています。まさしく、新年度は占星術から見てもスタートを切るのに適しているタイミングです。
また、太陽は自分自身で光を発することから「私(自己)」を表している天体とされています。朝日を眺めてみることで、「私」にフォーカスが当たり、新生活で「心からやりたいこと」が自然と浮かび上がってくるはずです。
さらに、3月30日には、海王星も牡羊座に入ります。海王星は「夢」や「理想」を司っています。この星の動きは、あなたの未来に描いていること、夢見ていることを新しく創り変えていくことを象徴しています。ただし、夢が強調されるあまり、現実が遠く感じられ、ふわふわとした心地で過ごしてしまうかもしれません。そんなときも、朝日を浴びることで、地に足を着けていけそうです。
毎日、日が昇っていく姿を眺めることで、一歩一歩着実に進んでいくことが大切だということを自然と感じることができます。あなたが焦らずに積み上げてきたことは、ラッキースターである木星が蟹座に移動する6月9日以降に芽を出し始めます。
春から夏にかけて、新しい環境に順応しつつ、現実にしていくための大切な時期。毎朝、日の光を浴びることで、心と体のリズムを整え、あなたらしく一歩を踏み出し、行動し続ける力を育んでいきましょう!
新生活のための本(SUGAR)
迷い続ける勇気をくれる本

答えの出ない問いに向き合う
今年2025年は地下鉄サリン事件からちょうど30年にあたる。オウム真理教の起こした一連の出来事は、どこか現実味のない悪夢のようであった。
皮肉なことに、占星術的にも2025年の春から夏にかけては、これまでの「当たり前」が崩れ、忘れかけていた「もう一つの現実」が飛び出して、精神的に大いにぐらつきやすいタイミングとなっていく。これは3月末に「救済願望」を司る海王星が、5月下旬に「社会規範」を象徴する土星が、環境の中で自分を強く主張する「自我意識」と対応する牡羊座にそろって移動し、2天体がその後約3カ月にわたって重なり合っていくためだ。
前回この配置をとった1989年は、ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終結し、昭和が終わり平成が始まった年だった。既に日本はバブルの絶頂期を迎えていたが、今振り返ればそれこそ「終わりの始まり」であり、戦後日本で機能してきた物語や神話が虚構へとすり替わる過渡期でもあった。
『なぜ人はカルトに惹かれるのか―脱会支援の現場から』(2020/法藏館)の著者である瓜生崇は、人には誰しも「かりそめの生きがいや幸福に身を委ねるのではなく、はっきりとした真実を知りその真実に生き抜きたい」という潜在的な「真実願望」があるのだと言い、それを人の「核」と呼んで次のように述べる。
「カルトに限らず宗教というのは、(…)そういう核をあぶり出すのだと思う。一度あぶり出されてしまうと、それを無視して生きることができない。教団がインチキであっても、気付かされた人生の問題は本物であったりする。だからこそ教団をやめて脱会者となっても、少なくない人が求道を続けるのだ。私はそういう人をたくさん見てきた」
カルトは欺瞞に満ちている。しかし、複雑で矛盾に満ちた現実や、そこで生きる意味について、絶妙に分かりやすい説明や答えを与えてくれる。だからこそ、真面目な人ほどカルトに惹かれていくのだ。洗脳という言葉だけでは説明できない、こうしたカルトの根底にある問題について、瓜生は「正しさへの依存」とも表現している。
正しい答えを得てブレない自分になれば、一時的には核を鎮めることはできる。しかしそれは自分で目隠しをしているだけで、実は何の解決にもなっていない。ゆえに、核を無視することなくそのうずきに応えていくには、定期的に答えの出ない問いと向き合い、「迷い続ける自由」を手放さないことが肝要なのだ。
この節目の年に、私たちはそうした水面下での格闘に、どこまで泥まみれになって取り組んでいくことができるだろうか。