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気鋭アーティスト・塚本暁宣と中村桃子はなぜ肖像画を描くのか

女性たちの肖像画は、時代を超えて多くの芸術家やアーティストたちが挑んできた。このモチーフに、それぞれ新たな目線を持って取り組む、塚本暁宣と中村桃子。10月末より渋谷・MIYASHITA PARK内の〈SAI Gallery〉にてともに展示を行う両者に、話を聞いた。

photo: Kaori Oouchi / text: Emi Fukushima

その表情が、誰かの考察を生むように

窓辺に立ち、物憂げな表情を浮かべたり、あるいは椅子に腰かけ、力強い眼差しでこちらを見つめたり。かの有名な「モナリザ」しかり、女性たちの肖像画は、時代を超えてあまたの芸術家やアーティストたちが挑んできた。このモチーフに、それぞれ新たな解釈や目線を持って向き合っているのが、塚本暁宣と中村桃子。なぜ彼らは今、肖像画に取り組むのか。10月末より渋谷・MIYASHITA PARK内の〈SAI Gallery〉にてともに展示を行うことになった両者に、話を聞いた。

塚本暁宣

今回の展示は、桃子ちゃんが声をかけてくれたんですよね。

中村桃子

もともと〈SAI Gallery〉でALPHA ET OMEGA企画の展示を予定していたんですが、ほかのアーティストの方と「2人展」のような形で一緒にやれないかなと考えていて。キュレーターの方が提案してくださったのが塚本さん。作品のタイプは全く違うけれど、女性の肖像画を描いていたり、色を大胆に使っていたりと実は共通点も多い。面白いなと思ってお声がけしました。

塚本

桃子ちゃんの作品は以前から知っていて、展示を観に行ったり、画集を買ったりもしていたので光栄でした。

中村

こちらこそ、受けていただけて嬉しかったです。ありがとうございます。

塚本

2人で一緒に展示をするにあたっても、特別なことはあまりないですよね。すでにシンクロしている部分もあるから、無理に同じ方向を向こうとはしなくても、自然と重なり合う部分があるのかなと。

中村

そうですね。ただ私は展示をやる時、全体の展示タイトルを決めてから作品を考え始めることが多くて。実は塚本さんが素敵なタイトル案を出してくれるのを待っていました(笑)。キュレーターの方に探りを入れたりして。普段、自分では考えないいい言葉が聞ければ、それに引き上げられて作品が描けるんじゃないかなって。

塚本

そこは他人任せだなあ(笑)。提案したのが、“A walk in the park”=難しくない、簡単だよ、というスラング。言葉の持つ気分はもちろん、パークの表現が、MIYASHITA PARKという立地とも合致していいかなと。パッと思いついた言葉がそのまま通った感じです。

中村

背中を押してくれる素敵な言葉でした。

塚本

そもそも、桃子ちゃんが女性の肖像画を描くようになったきっかけは?

中村

シンプルに、フォルムが好きなものを描いていたら辿り着いたという感覚です。人の顔を描こう、女性を描こうというよりは、花や植物と同じように、気になった形を描いていたら、それがたまたま女の人の顔だったというか。日常生活でも、ついつい目で追ってしまうのは女性なんですよね。目の形も、影が延びるまつ毛の連なりも、すべて目に留まって気になったものを描いてます。

塚本

なるほど。僕もフォルムや曲線はすごく気にしている部分ですね。

中村

塚本さんはどうして肖像画に辿り着いたんでしょうか?

塚本

僕自身は、ポップアートに影響を受けていることもあって、モチーフも、ポートレート、風景画、静物画などわかりやすいものが好きなんです。その中でもポートレートは特にシンプルかつポピュラーなジャンル。それをいかに既存の絵画と異なるものにできるかが腕の見せどころです。カートゥーンをサンプリングしたり、隠し味程度に情緒的なエッセンスを入れたり。色味からも試行錯誤をしています。

中村

色使いが独特ですよね。どうやって考えているんですか?

塚本

例えば背景にダークな色を使うのは、古典絵画から取り入れた要素です。ダ・ヴィンチやラファエロなどのルネサンス期に始まり、ゴヤ、レンブラントまで、学生時代は多くの古典絵画の芸術家たちに影響を受けました。絵画史の中で脈々と受け継がれてきた肖像画って、人物と背景のコントラストが強いんです。実際に昔は部屋が暗かったからという理由もあるそうですが、人物が引き立って、ドラマティックな風合いになる。キュビスムやポップアート、古典絵画、カートゥーンを全部かき混ぜて、今の僕の作品が出来上がっているのではと思います。

中村

なるほど。面白いですね。

塚本

逆に桃子ちゃんは、色の組み合わせをどうやって考えているんですか?

中村

私はものすごく気分で。靴下と洋服を組み合わせるような感覚。学生時代は色を使うことに苦手意識すらあったんですが、気軽に考えられるようになってから世界が広がったような気がします。

「Purple and Karma」2020 油彩・キャンバス
「Purple and Karma」2020 油彩・キャンバス

「内側の愛」
「内側の愛」

1㎜ずれると、印象は一変

中村

人物を描く時に、表情という要素はどう考えていらっしゃいますか?

塚本

桃子ちゃんと同じように無表情も好きだし、何かを考えている顔やちょっとセンチメンタルな感じの表情が好きなんですよね。よく取り入れるのが、片方の目は鑑賞者を見ていて、もう片方は、全く別のところを見ているという構図。見られているけれども見られていない。受け取り方に余白があって、「これってどういう表情なんだろう?」と鑑賞する人に考えさせるような力があるものにしたいなと思っています。実際の人間の表情もそうですが、顔ってパーツが1㎜ずれるだけで全然印象が変わるんですよね。だからそのへんのバランスはいつも苦戦することの一つです。

中村

すごく共感します。私も描くのは基本的には無表情で、唯一表情があるとしたら涙を流している様子だけ。涙は、悲しくて泣いているのか嬉しくて泣いているのかわからない。常に笑顔でいる人間が少し怖くて、一度描いたらフレームの中でずっと一つの表情でとどまり続ける絵画ならなおさら。この人何考えてるんだろうっていう瞬間にこそ、魅力があると思います。

塚本

それと人ってものを見間違えることがありますよね。僕も、テーブルにリンゴが2つ置いてあるピカソの静物画を美術館で眺めた時に、キャラクターの顔のように見えたことにひらめきを得て、今のシリーズを描き始めました。楽しいのはそうしたミスリーディングを含めながら、「ああ見える」「こう見える」といった考察ができるような作品。そこからいろんな議論が広がっていったら、アーティスト冥利に尽きるなと思いますね。

中村

そうですね。私も展示の場などで、お客さんから自分なりの考察を聴く時がすごく楽しいです。全然違う意味で描いていることもあるけど、「そう見えるんだ」という解釈にゾクゾクする。答えが一つじゃないものを描いていきたいです。