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“仮想を忘れて現実に戻るため”の空間。コンテンポラリーダンサー・ハラサオリが自身初のソロ公演を開催

2023年の夏、コンテンポラリーダンサー・振付家として活動するハラサオリが、およそ10年を過ごしたベルリンから日本へと拠点を移した。地震の“揺れ”と共生する身体や社会を表現した『P wave』(2024年/ゲーテインスティトュート東京、渋谷PARCO)に続き、自身初のソロ作品となる『プレイ・モデュロール』の上演が決定。なぜ今「モデュロール」なのか?いま劇場に行く意味とは?その公演作品を軸に、ハラサオリの頭の中をのぞいてみる。

photo: Tomoyo Yamazaki / text: Taichi Abe

ストレッチをするハラサオリ
静かにストレッチをスタートしていく。広い稽古場には、大きなスピーカーが2台と彼女の姿のみ。

東京藝術大学でデザインを学んだ後、単身ベルリンへと渡り、コンテンポラリーダンサー・振付家としての道を歩んできたハラ。

「日本でダンスを学ぶとなると、体育大学の舞踊科がメインになるのですが、私がやりたかったことはプレイヤーより作家としてダンスを扱うことでした。ベルリンには同じような思いでコンテンポラリーダンスを学ぶ層が、隙間ではなくてメインストリームとしてたくさんいました。ダンサーと言っても、そのスタイルや考え方はさまざまで、そんな多種多様な表現者たちに囲まれていたからこそ、長い間ベルリンで暮らし、コンテンポラリーダンスを続けられたのだと思います」

稽古中のハラサオリ
流れているのは、意外にも芸人トム・ブラウンのラジオ番組。「音とダンスは切り離すことを意識しています」

そう語るハラが、日本に帰国したのはなぜなのか。

「ふたつの国を行ったり来たりしていると、どちらにも属していない自分がいることに気がつきました。ドイツではアジア人アーティストとして扱われる一方、東京で公演すると『ドイツで活動されている』なんて枕詞がつきがちで(笑)。どっちつかずの立場に一度区切りをつけたくて、日本に拠点を移すことにしたんです。ただ、ベルリンでの生活を通じて、広い視点で自分を俯瞰することができるようになったおかげなのか、日本に戻るというよりは“アジアに拠点を定める”という気持ちに近いですね」

そして東京に戻った矢先、今回の公演の話が舞い込んだ。場所は三軒茶屋の〈シアタートラム〉。世田谷区が運営する公共劇場だ。

「私のようなインディペンデントに活動している振付家にとっては、簡単に発表できる場所ではありません。タイミングとしてもとても嬉しいお声がけでしたし、遅くにダンスを始めた自分としてはようやく国内シーンの登場人物になれたかな、と思いました」

稽古中のハラサオリ

次第に動きは激しさを増していくが、闇雲に身体を動かすのではなく、自らと対話するかのように稽古は続く。

その公演作品のタイトルは『プレイ・モデュロール』。モデュロールとは、建築家であるル・コルビュジエがつくり出した建築設計の基準寸法のこと。身体の尺度と黄金比を掛け合わせて建物や家具を設計するというもので、合理性と人間の理想的な調和を目指した概念だ。

「今回はソロ公演ということが決まっていたので、私がひとりの時間にしていることを考えました。すると、子供の頃に“理想の間取りを考える”というひとり遊びが好きだったことを思い出して(笑)。ベルリンでも10回くらい引っ越して、そのたびに過ごしやすい間取りとかインテリアについていつも考えていた気もします。その経験から構想の段階では『家』を糸口にしてみました」

ハラサオリがリサーチに使った本
ハラにとってリサーチは重要な作業。言葉から作品をブラッシュアップしていくことも多いとのこと。

「私の作品には『環境を知覚する身体』というテーマがあって、デザインの勉強を通して、空間、色、形などの環境についてよく思考していたためかそういった身体を取り囲むものを振付のヒントにすることが多いです。

まず『家』のリサーチを始めたところで、エマヌエーレ・コッチャという哲学者の『家の哲学』という一冊に出合った。そこに出てきたのがコルビュジエのモデュロールでした。ヒトの身体の寸法に黄金比(規格)と掛け合わせて設計していくという考え方なんですが、『身体尺度』や『規格や合理性との付き合い方』を考え直すことが今の世の中には必要な気がして、今回の公演のタイトルとテーマを決めました。

私の実感では、身体を含めた現実の尺度よりも、インターネットという仮想空間の尺度が世の中を動かしているのが現状です。親指一本で何でもできてしまう社会で、実際の親指の長さを測り直すことが大事だし面白いと思ったんです」

稽古中のハラサオリ
この日稽古が行われていたのは公益財団法人セゾン文化財団が運営する〈森下スタジオ〉。使用できるのは同財団の助成対象者のみで、ハラは今年度からセゾン・フェローに選出されている。

「劇場に来てもらうことも、今回の作品テーマに通じるところがあります。だって、携帯電話の電源を切らないといけないですから。スマートフォンが登場する前、劇場は非現実や仮想を観に行く場所だったと思います。少しの間だけ現実を忘れられる空間でした。

でも、今は違います。非現実にはベッドの上からでもアクセスできてしまうし、アバターを使って仮想の空間でなりたい自分になれる。もちろん便利ですし、それを否定するつもりはありませんが、どこかで現実に戻る方法を忘れてしまっているような気がして。劇場には、戻るための鍵がある。少しの間だけ仮想を忘れて、現実に戻ってもらえれば」

今秋には前作『P wave』の台湾でのリサーチも控えているハラサオリ。自らの視点で、静かに快進撃を続ける彼女の姿を、劇場という“特別な場所”で観てほしい。もちろん、携帯電話は切って、だ。