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120年余の歴史を誇る町中華の星。浅草橋〈水新菜館〉

家族経営で人件費がかからない、家賃が要らない、という理由で成り立っていた古き良き町中華は、後継者不足や高齢化、町の再開発などを理由に、今や絶滅の危機。さて今日は町中華、の気持ちに応えてくれる店は減る一方だ。店と味を守ろうとする、浅草橋〈水新菜館〉の、今。

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photo: Hisashi Okamoto / text: Haruka Koishihara

店の歴史を聞いて驚いた。1897年に創業した際は〈水新〉という果物店だったというのだ。

「新次郎(初代)の水菓子屋」からの命名。さらにそこからフルーツパーラー(2代目)、喫茶店(3代目)と来て、4代目の現店主・寺田規行さんが弱冠22歳で店を継いだ時に「ラーメンが好きだから」と、サクッと中華料理店にシフト。

当初は自分で作っていたが、1974年に腕利きの料理人を迎え、店を拡張し〈水新菜館(みずしんさいかん)〉の看板を掲げた。そしてその料理人が品書きに加えた、色とりどりの具材を醬油味のあんでまとめてスープ麺にのせた広東麺が評判に。やがて五目あんかけ焼きそばに派生し、さらに人気に。この町不動の名店となった。

五目あんかけ焼きそば1,100円。中国料理の技法「油通し」をしてから炒め合わせる具材は、食感良く彩り鮮やか。誕生から50年余。〈水新菜館〉きっての人気メニューだ。

規行さん、通称マスターは旅好きだ。研修旅行でたびたび訪れた香港では、その頃日本ではまだ珍しかった小籠包に出会い、いち早くメニューに加えた。家族で出かけたヨーロッパでは、一流ホテルのサービスに感動し、自分の接客や話術に磨きをかけた。いいな、と思ったモノやコトはどんどん取り入れてみる、寺田家に脈々と受け継がれていると思(おぼ)しきしなやかさが、店を発展させた。

そんなマスターの仕事ぶりを間近に見て素直に育った息子の泰行さんは飲食の世界を志し、ホテルニューオータニに就職。〈トゥールダルジャン 東京〉のソムリエとして10年にわたって活躍していた。が、ある日腰を痛めたマスターの姿を見て店の行く末を案じ、実家に戻ることに。

すると、その頃にはすっかり元気になったマスターが「裏の倉庫を改築してワインバーをやればいいじゃないか!」。かくして、2018年9月〈水新はなれ 紅(ホン)〉が誕生。

裏の〈水新はなれ 紅〉は〈水新菜館〉とは趣を異にする艶やかな雰囲気。毎月テーマを決めて選んだグラスワインは約10種が登場。

2軒は奥でつながっていて、〈水新〉の料理が〈はなれ〉に運ばれ、〈はなれ〉のワインが〈水新〉で抜かれ、と新たなシナジーが生まれた。ワインが大好きで30年以上前から店にリストを置いていたマスターにとっても、これはうれしい新展開。

昨年の4月には、さらなる変化が。ホテルニューオータニなどで腕を振るっていた北原翔悟さんが、新しい料理長に就任したのだ。

実家も町中華だという北原さんは「ここでなら自分の色が出せると思いました」。支持され続けている定番を継承しつつ、食べる喜びと「マスターがお客さんに説明しがいのある」新しい料理を、季節ごとに提案している。

実は25年春現在、店は少々落ち着かない状態にある。この界隈が少しずつ地盤沈下しており、近い将来建て替える予定なのだ。〈水新菜館〉と〈水新はなれ 紅〉、いずれも今の姿は見納めになる。でも、128年の歴史の中で柔軟に変容し、時代の変遷を超えてきた。きっとこの先も、〈水新〉の物語は新章を紡ぐ。

泰行さん(左)のワインの知識とホテル仕込みの接客、規行さん(中央)の天性のホスピタリティ、北原さん(右)の新たな料理が“三本の矢”。

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