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「韓国文化通信」Vol.15 ポンチャック歌手・Lee Park Sa

今、最も“要注意”すべき韓国カルチャーを牽引するキーパーソンにインタビューし、その変化を定点観測する本連載。第15回は“ポンチャック(韓国の音楽ジャンルの一つ)の帝王”として知られる、歌手のイ・パクサさん。

photo: Kazufumi Shimoyashiki / text&edit: Keiko Kamijo / translation: Kangwon Seo / special thanks: Meiwa Denki

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“ポンチャックの帝王”現る

——音楽の記憶についてお聞きしたいです。もともとは、どういう音楽を聞いていらしたのでしょうか?

父はヘグムという、日本の三味線のような韓国伝統楽器を演奏していて、母は京畿という地方の民謡歌手でした。兄はサムルノリという伝統芸能をやっていて、私も幼い頃から伝統音楽パンソリを学んでいて、いわゆる芸能一家の中で育ちました。伝統音楽や民謡が生活の中に流れていました。

——歌手になったきっかけは?

1978年から11年間観光バスのガイドをしていたんですが、当時の韓国の道路というのはあまり舗装されていなくて、すごく揺れました。また、一度出発したら長い場合20時間くらいかかっていたんです。その時に、お客さんが飽きないように、歌を歌ったりして盛り上げたのがポンチャックの始まりです。

お客さんに喜んでもらえるように、かけ声を入れたり、アドリブを入れたりして、いろいろなアイデアを出して歌謡曲のメドレーを歌っていたのが話題になりました。それで89年に『신바람 이박사 1(シンパラム イパクサ 第1集)』でデビューしました。

そのカセットテープは爆発的な大ヒットで、人気が出てテレビにも出演して、営業も多忙を極めました。でも、当時ポンチャックは中高年が聴く音楽というイメージだった。そんな中、偶然日本のレコード会社の方の目に留まって、日本デビューが決まったんです。

——詳しく聞かせてください。

もちろん当時も様々な歌手がいたし、歌謡曲メドレーを歌う歌手もいました。でも、前奏や伴奏もビートに乗せて口で表現するビートボックスをやったり、歌謡曲のフレーズを反復しリズムに乗せて歌ったりするのは私だけだったようです。私の曲は耳に残って覚えてしまうって、観光客の方にもよく言われていました。

日本から旅行で来ていたソニーミュージックのキューンミュージックのプロデューサーが、南大門で偶然私のカセットテープを手にして、日本デビューの話をくださったんです。最初、日本の曲をメドレーにするのは難しいかと思ったんですが、150曲ほど送ってもらい、96年に『李博士のポンチャックディスコ PART1 & PART2』を出しました。

——その後、電気グルーヴとのコラボなどがあり、テレビ出演なども果たされたんですよね。当時の日本の活動で印象的だったことはありますか?

日本デビューが成功したこともあって、同じスタッフの方と『李博士の八十日間世界一周ポンチャック』というビデオを制作しました。それは、本当に世界1周しながら撮影したミュージックビデオで、面白い活動でした。

ポンチャックは時代を超える!近年のライブ客は若者が中心

——当時の爆発的な人気から20年以上経っていますが、また最近活動が増えていると聞きます。韓国のファンクラブの方も学生が多いと聞きました。なぜ若い方から人気があるのだと思いますか?

一つにビートの速さがあると思う。私の曲はほかのポンチャックの曲よりもBPMが速くて踊りやすい。もう一つはアドリブの演出が面白いと思われているのかな。

あと、私は練習が苦手で(笑)、普通はリハーサルをきっちりとやって準備をして本番に挑むと思います。でも、私はその日の体調や気分そのまま、ありのままでステージに立つんです。練習しすぎると、何かこう、面白くないんですよね。だから、何度もライブに来ている方は、今日の私の調子がわかる(笑)。そういう姿が、若者の心をつかんだのだと思う。

私は、歌もそこまで上手な歌手ではありません。でも、声やアドリブ、パフォーマンスを面白がって、たくさんの若い人が観に来てくれる。それは、とてもありがたいことだと思っています。

——音楽活動をするうえで、大事にされていることはありますか?

「文字」と「水石」です。私は若い頃は書家になりたかったんですが、文字は一度書いたら変わらない。自然の様々な形をした水石を集めるのが趣味で、これも周囲には動じない、変わらない心を表すものだと思っています。

今回、明和電機の方がライブに呼んでくれて、28年ぶりにコラボレーションすることができました。明和電機も最初に会った時から面白くて、独自の楽器を製作して演奏されていて、それを今でも続けている。彼らが発明する楽器は、世界中どこに行っても見たことがない。発明家ですよね。

今回一緒にやろうと言われた時に、お互い出会ってから28年も経っているので、ファンの方が年をとってしまったんじゃないかと正直不安だったんです。でも、フタを開けてみたら若い方ばかりで、すごく楽しい公演をすることができました。時代はものすごいスピードで変化していきますが、変わらない心を持つのは重要だと思います。

——今後、やりたいことは何ですか?

できる限り歌を歌っていきたい。それだけですね。でも、あんまり頑張りすぎることなく、若い方たちが一生懸命応援してくれるのを信じて、自然体でいられたらと思います。

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