00s:「悪そうな奴は大体友達」呼びかけのリリックが轟く
00年:ラッパ我リヤ『ラッパ我リヤ伝説』、妄走族『君臨』などの“クラシック”と呼ばれる名作が多数発表された。
02年:KICK THE CAN CREW「マルシェ」、RIP SLYME「楽園ベイベー」が大ヒット。漢の所属したMS CRU『帝都崩壊』発表。
04年:般若『おはよう日本』、KREVA『新人クレバ』などラップバトルの猛者がアルバムを発表。名古屋のラッパーTOKONA-X『トウカイXテイオー』発表。
05年:バトルラップイベント『UMB』開催。06年:SEEDA『花と雨』、ANARCHY『ROB THE WORLD』発表。
09年:PUNPEEとS.L.A.C.K.の兄弟が所属するPSG『David』発表。
磯部涼
踏み夫君は何年生まれですか?
韻踏み夫
1994年です。
磯部
スチャダラパー「今夜はブギー・バック」のリリース年だ。どのへんからラップを聴くようになりました?
韻
最初はKICK THE CAN CREWですね。そこからどんどん掘っていって。
磯部
僕は踏み夫君が生まれたときは高校1年。ハードコアラップブームが起こり、レコード屋やクラブにせっせと足を運ぶようになって。
韻
じゃあ、ラッパーの当たり年といわれている「78年組」ですか?
磯部
そう。般若、漢、D.O、MACCHO、TOKONA-Xなんかと同い年。「78年組」はやっぱり90年代半ばのハードコアラップの台頭に刺激を受けてラップを始めた人が多いと思うんだけど、日本でヒップホップの裾野が広がったのは、そのちょっと後。ZEEBRAがDragon Ashと「Grateful Days」でコラボしてヒットしたことが大きかった。
韻
〈俺は東京生まれ HIP HOP育ち 悪そうな奴は大体友達〉ですよね。
磯部
ZEEBRAが放ったこのパンチラインは、当時芸人も真似した一節。それまで、東京のハードコアラップは私立校系のチーマー文化から発生していたので、コミュニティが限られた仲間内で構成されていたし、それが一種の神秘化につながっていたんです。でもZEEBRAは「Grateful Days」の頃から戦略的に地方のヤンキー層にアプローチするようになり、コミュニティの規模を一気に大きくする。
韻
悪そうだったら友達になれるよ、と。
磯部
ZEEBRAはこの曲のヒット以降、テレビの歌番組にもよく出演するようになりますが、00年代の超重要ラッパーANARCHYや10年代の要注目ラッパーBAD HOPのYZERRは、それぞれ少年院のテレビでZEEBRAが歌うのを観て本格的にラッパーを志したと語っているんです。
韻
ラップが更生の手助けになる。
磯部
テレビに出れば、少年院の中にまで「ことば」は届くんです。ちなみに、ANARCHYがZEEBRAをテレビで観たのは「Mr. DYNAMITE」の頃だと思うけど、「真っ昼間」のときの精密さと違って、「~な奴ら」でどんどんライミングしていく部分が印象的。ここでも幅広い層に届くようあえて表現を簡単にしていると思う。
中でも、〈バスじゃモロ最後部な奴ら〉という一節は珠玉。クラスの悪そうな奴って、修学旅行で必ずバスの最後部に座るじゃない(笑)。そういう「ヤンキーあるある」が全国の荒んだ少年の心に響いたと思うんです。
韻
重要なことは、ZEEBRAの歌う「~な奴ら」は実はシーンにはまだいなくて、そう歌うことで彼らをシーンに引き入れようとした、というある種の倒錯ですよね。これは推測ですが、「奴ら」は向こうで言う「bro」や“Nワード”の翻訳語だと思うんです。ZEEBRAはこのワードに匹敵するちょうどいいことばとして「奴ら」を当てた。
磯部
発明だと思います。
韻
裾野が広がるといえば、この時期、地方でもヒップホップシーンが形成されるようになった。例えば札幌のTHA BLUE HERBや名古屋のTOKONA-Xなどが「地方発」として台頭してくる。横浜のOZROSAURUSは「AREA AREA」で、エリアとエリアで連帯せよと歌いました。
OZROSAURUS「AREA AREA」
磯部
一方で00年代に入ると、ラップバブルが起こり、メジャーレーベルがラップグループを次々にデビューさせていったけれど、音楽産業全体の不況と同様に、日本のヒップホップシーンも冬の時代に突入する。ただ、それはセールスの話で、音楽的にはむしろ充実していったんです。アンダーグラウンドで好き放題やっている、その去勢されていない感じも面白かった。
例えば、漢が率いるMSCは「新宿アンダーグラウンド・エリア」という曲で、ドロドロとした新宿の世界を描いていて。様々なアウトローやアウトサイダーが出てきて、本当にひどい内容だけど、生々しい。
韻
「漢流の極論」もそう。歌舞伎町は無法地帯で「裏切りは命取り」だと。
漢「漢流の極論」
磯部
いとうせいこうは「東京ブロンクス」で廃墟になった東京を妄想したけれど、それから十数年経ち、東京は本当に崩壊してしまった。
韻
これまでずっと「アメリカのリアルとは違う」ことにコンプレックスを抱え、それをどう乗り越えるのかに注力してきた結果、ここで差がなくなり、ギャングスタラップ、リアリティラップといわれるものが日本でも可能になった。MSCはそれを先駆的に証明した。歴史が変わるくらい重要な場面です。
磯部
時代の転換を感じますが、そういう流れと並行して起こっていたのが、フリースタイルラップの普及。『B-BOY PARK』のフリースタイル・バトルは予選も東京の会場で行われ、そこに全国から参加者が集まってくる形でしたが、このイベントと入れ替わるように始まった『ULTIMATE MC BATTLE』は、予選を全国でやるようになっていく。
韻
当時のMSCの所属レーベル主催で。
磯部
それによって、フリースタイルのやり方のみならず、日本語ラップの文化が全国に浸透し、地方のコミュニティに厚みがもたらされ、必ずしも東京中心ではなくなっていった。これまで話してきたような流れを象徴する一曲を挙げるとすれば、TOKONA-Xの名曲「知らざあ言って聞かせやSHOW」だと思います。
韻
同感です。〈バカヤロウたわけ おみゃあら並べ〉と名古屋弁で始まる名曲。「日本語でラップ」から「方言でラップ」というところまで来た。しかも“知らざあ言って聞かせやしょう”は歌舞伎の名台詞(せりふ)。「東京ブロンクス」の〈いつか見たチャンバラ〉とつながる感じもします。
磯部
さて00年代後半ですが、ここで注目すべきは、ANARCHYとSEEDAかなと。ANARCHYは京都の向島団地出身の団地っ子で、決して豊かではなかった少年時代を「Growth」で詩的に歌っています。
ANARCHY「Growth」
韻
〈十四、五、六、七で止まる足取り空白の十八 目の前は真っ暗 濡らす杭 あとどんだけの暮らしが〉と少年院での経験を綴る部分もつかまれます。
磯部
ニューヨークのヒップホップも団地から始まっているし、世界的に見ても、生活に困っている人々は集合住宅に住むからこそ、力強い表現が生まれてくるんですね。最近だとGREEN KIDSという静岡県の東新町団地で育った日系ブラジル人、日系ペルー人、日本人で構成されたグループがいるんですが、彼らはANARCHYを聴いて共感しラップを始めている。
ANARCHYはZEEBRAのライブを少年院のテレビで見て影響を受けましたが、それがエスニックマイノリティにまで届くようになったということなんです。
韻
アンダークラスといわれる人々にまでヒップホップが届いたからこそ、ラッパーが歌う物語、個人的なリアルは同時に社会性を持つようにもなりました。
磯部
聴き応えのある詞が多くなりましたよね。一方、当時のSEEDAの曲はハスラーラップと呼ばれていた。ハスラーはドラッグディーラーのことで、つまり麻薬売買の体験をラップするジャンル。
韻
アメリカでも、JAY-Zがドラッグディーラーから始めて、いまやアメリカを代表する億万長者になっていますね。
けどSEEDAが歌うのはもうちょっとしょっぱい話。「Son Gotta See Tomorrow」という曲は、主人公が借金を返すために細々とドラッグディールをやっていて、年末の仕事が終わったら余った金でケーキでも買おうと思っていたら、警察に車のドアをノックされるという。
SEEDA「Son Gotta See Tomorrow」
磯部
こういった歌が出てくる背景はやはり不況。08年の年末は「年越し派遣村」が話題になりましたが、派遣社員やワーキングプアが社会問題化した時代。ハスラーラップはそういった状況も反映しているんです。
韻
ストリートライフを歌うにも、スチャダラパー的な相対化が挟まれているということです。かつては、ハードコアでマッチョなものだけがホンモノとされていましたが、SEEDA以降は多様化が進み、それらすべてが対等に認められるようになった。実際SEEDAは、多くのラッパーをスタイルの隔てなくシーンに紹介する役割を果たしました。
10s:海を越える日本語ラップ。若者に夢を与えることば
10年:ラッパー同士のコラボが盛んに。ANARCHY、RINO LATINA Ⅱ、漢、MACCHOが「24 Bars to Kill」を、DABO、ANARCHY、KREVAが「I REP」を発表。
12年:『BAZOOKA!!!高校生RAP選手権』放送開始。
14年:R-指定『セカンドオピニオン』、KOHH『MONOCHROME』発表。
15年:『フリースタイルダンジョン』放送開始。BAD HOP『BAD HOP』発表。
17年:Awich『8』、唾奇×Sweet William『Jasmine』など沖縄出身のラッパーが人気に。『フリースタイルダンジョン』から「MONSTER VISION」が発表されMステ出演。
19年:MOMENT JOON「令和フリースタイル」発表。
韻
2010年代の代表といえば、まずはKOHHですよね。
磯部
KOHHの初期のミックステープは、アメリカのラップをビートジャックするという当時の日本の流行のスタイル。でも、彼は抜群に歌詞が面白かった。
韻
最初にヒットした「JUNJI TAKADA」は、タレントの高田純次をテーマに〈適当な男 ジュンジタカダ 他人は気にしない生き方〉とラップする曲でしたね。
磯部
有名人の名前をラップするのもアメリカのマナーにのっとっているし、何より、文字通り「適当な」歌詞にもかかわらず、妙に叙情性があるんです。KOHHの人気を決定的にしたのが、韓国のラッパー、キース・エイプと一緒に作った「It G Ma」。「イジマ」と発音しますが、韓国語で「忘れるな」という意味。キース・エイプは韓国語で、KOHHは日本語でラップするんだけど、でもそれが英語圏でもバズったんです。
韻
「日本語のまま」で海外でウケたというのがすごく重要ですよね。
磯部
そう。これまでは日本ならではの表現を確立しようと日本のラップは進んできたわけですが、それは当然、日本語圏以外では聴かれない。でもKOHHは日本語で世界的人気を得た。これって一つにはYouTubeが影響力を持つ時代だというのもあって。単純に、KOHHはルックスがいい。あとミュージックビデオを順に観ればわかるけど、タトゥもカメラに映りやすいところから入れていく。
韻
要は「映(ば)え」を意識している。
磯部
それもアメリカから始まった潮流だし、キース・エイプ含め韓国のラッパーはいち早く取り入れていた。これが次第に日本でも新しい常識になっていく。80年代から00年代にかけて、日本のラッパーやリスナーの平均年齢って徐々に上がっていったと思うんです。それが、フリースタイルバトルが『高校生RAP選手権』や『フリースタイルダンジョン』といったテレビコンテンツとなってから、また10代の文化に戻っているんです。
韻
最近人気のBAD HOPもイケメン集団。10代の女子人気もすごく高い。
磯部
僕はBAD HOPが面白いと思い、彼らのホームタウンである川崎区を取材し始め、『ルポ川崎』という本にまとめました。15年に起きた中1少年殺害事件もキッカケです。川崎区は工場地帯で、もともと移民が多い町。ラップと不良少年と移民と。そこから現代が描けるんじゃないかと考えた。
BAD HOPは複雑なバックグラウンドを持つメンバーが多い。T-PablowとYZERRは双子の兄弟ですが、父親の借金で子供の頃に大変な目に遭い、不良になり、少年院へ行った。
韻
「Kawasaki Drift」のパンチライン〈川崎区で有名になりたきゃ、人殺すかラッパーになるか〉ですね。
BAD HOP「Kawasaki Drift」
磯部
彼らの場合はラップをやることで更生できたし、活動開始からわずか4年ほどで武道館ライブの開催も実現させた。しかもインディーズで。今や、同じように生活環境が良くない若者たちに夢を与える存在になっている。〈泥水からchampagne カップ麺からロブスター 変わらず追われる身 少年AからSUPERSTAR次に億万長者になるラッパー誰〉と。
韻
あと、気になるラッパーといえば、韓国系移民ラッパーMOMENT JOON。磯部さんも『文藝』の連載「移民とラップ」で取材されているし、MOMENT本人も自伝的小説を発表しています。
磯部
MOMENTは韓国人留学生で、韓国語、英語、日本語をしゃべるトリリンガル。ラップは日本語がメインですが、あえて、日本の政治やラップコミュニティに対して挑発的な歌詞も書く。見た目はナイーブそうな感じなんだけど、ラップをするとめちゃめちゃ鋭くなるし、日本人としてもハッとさせられる。それは間違いなく新しい「日本語ラップ」です。
最近物議を醸した「令和フリースタイル」を最後に紹介しましょう。〈定番の質問「日本に何しに?」今の答えは「お前を殺しに」 そんなの聞かれない日本が見たいならば君だってMy people〉
MOMENT JOON 「令和フリースタイル」