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約200点が大集合!めくるめく、ヴィンテージライターの世界へ

1920年代のアールデコ調や30年代以降の"ジッポー"など、身につける工芸品でもあるヴィンテージライター。デザインの歴史が詰まった約200点を一望できる展覧会が、墨田区の「たばこと塩の博物館」で開催中です。

photo(会場風景): Shu Yamamoto / text: Masae Wako

ヴィンテージライターの世界展の展示風景

“ワンモーションで着火”への道

「美しいものを身につけていたい」「極上の楽しみを、手早く少ない力で手に入れたい」。17世紀末にヨーロッパで誕生し、20世紀に飛躍的に進化したライターの歴史は、そんな願いを叶えるためのデザインの歴史でもある。この変遷をじっくり堪能できるのが、墨田区の「たばこと塩の博物館」で開催中の「ヴィンテージライターの世界 炎と魅せるメタルワーク」展。主に1920年代から現代に至る膨大なコレクションには、精緻な工芸美とアイデアが刻まれている。

会場は4部構成で、時代順にめぐることができる。「ライターの原点は、人類が古来行ってきた“打撃法”という着火スタイルです。まず、火打ち金と火打ち石で火花を起こし、その火花を、燃料を含んだ火口に移して火を起こす。この2段階の動きを“ワンモーション”で行うための着火具がライターであり、“ワンモーション”をいかにカッコよくラクに実現するかがライターの開発の鍵だったんです」。そう教えてくれたのは本展を手がけた学芸員の青木然さん(以下同)。

第1部に展示されているのは、昔ながらの打撃法からヒューズ(火縄のようなもの)式を経て、20世紀初頭に登場したオイルライターまで。第一世界大戦時には、戦場の兵士たちが使ったハンドメイドのオイルライターも登場した。ありあわせの材料を転用したとは思えないほど美しいものも残っていて、野営にも休息にも不可欠な火を、安全かつ手軽に、しかも美しく持ち運びたいという気持ちが読み取れる。

また、先端に燃料が染みた金属棒でフリント(火打ち金)を擦って火を起こす「ストライカー」も誕生。オブジェのような卓上ストライカーも盛んに作られた。「動物をかたどったものや工芸品のようなものも多く、パッと見では、どの部分で火を起こすのかわからなかったりもします。それを想像するのも楽しいですよ」。

銘品の時代

「オイルライターの製造が本格化する1920年代から50年代までは、デザインの歴史において、アールデコの人気がおおいに盛り上がった時代。ライターのデザインにもアールデコの気分を取り入れたものが次々と生まれます。ポケットライターには装身具としての魅力が求められ、卓上ライターには調度品としての工芸美が期待されるようになったんです」

この時代はまた、第一次世界大戦で軍需産業として発達した金属加工技術が、服飾品や日用品など平和産業へ転用され始めた時期でもある。その技術はもちろんライターにも生かされた。世界を席巻するデザインや、最新の金工技術を取り入れた嗜好品として、中産階級以上の人がもつ贅沢品になったのだ。

「イギリスの〈ダンヒル〉やアメリカの〈ロンソン〉、ハンドバッグメーカーの〈エバンス〉など、さまざまな会社がライターの製作を始めます。ライターを作ることがトレンドになったんですね」。シンプルな幾何学模様、階段状の意匠、スピード化の時代を表す流線形、優美な東洋趣味などなど、アールデコを象徴するデザインを取り入れたライターのカッコいいこと!会場にはライターにまつわる当時の広告も展示。ライターのある日常やデザインの流行が読み取れるのも面白い。

広がるライター 第二次世界大戦とその後

「ライターの世界に再び大きな転換期が訪れたのは第二次世界大戦時。アメリカ軍が兵士に支給した〈ジッポー〉社のオイルライターがきっかけです」と青木さん。

ジッポーのライターで喫煙を楽しむ兵士たち
ベトナム戦争下、アメリカ軍から支給された“ジッポー”のライターで喫煙を楽しむ兵士たち。1968年。Photo by Getty Images

1932年にアメリカで誕生した“ジッポー”ライターは、片手で着火・消火できる機構とボックス型のデザインが特徴。もともとは真鍮製だったが、戦争中は真鍮が軍需物資になったため、代用品の鉄に黒い焼き付け塗装をした「ブラッククラックル」モデルが採用された。「ジッポーのライターは兵士の必需品として大きく飛躍し、アメリカの象徴にもなりました。箱型で持ち運びやすく耐性があり、シンプルだから加工や絵柄で遊ぶことができる。軍用品でありながら、個性を表現できたんです」

いっぽう、日本でライター産業がぐんと発展したのは第二次世界大戦後。1920年代からオイルライター作りは本格化していたものの、戦中は軍需以外の金属使用が制限されたからだ。戦後、GHQの占領統治下で作られた日用品の数々は復興の足掛かりになり、ライターはその中心アイテムとなった。

「廃材などを転用した日本製のライターは海外でも人気が高く、輸出産業として発展したんですね。特に、ライター製造業者が多く集まっていたのが東京の隅田川界隈。表面の加工や仕上げに欠かせない電気メッキが水を多く使うことも関係し、ライター作りが地場産業となりました。今も墨田区や葛飾区にはそれらの本社が多く残っています」

ライター珍品奇品

「これがライター?」「どこに火が点くの?」――ライターの歴史をめぐる展示は、世界の楽しいライターで締めくくられる。「ライターの中でも珍品奇品が多いのは、サイズも造形も自由が利くテーブルライター。スポーツなど娯楽をテーマにしたもの、灯台や砲台など炎をテーマにしたもの、オルゴール付きなど愉快なものも多いですね」

そして、ライターは平和の象徴でもある、と青木さん。「ライターの発展には、20世紀の二つの戦争が大きく関わっていますが、戦時下では材料も技術も不足して、思うような造形は作れていなかったと思うんです。そのことと、戦争のない時期にこういった遊びのあるテーブルライターが生まれたことは、無関係ではないような気がします。戦後のジッポーにも、市民を喜ばせる洒落たデザインシリーズや企業ノベルティがたくさん生まれましたしね」

数々のライターから伝わるのは、工芸品としての美しさと、よりよい着火機構を追求するうえで生まれたデザインの面白さ、そして往時の人たちの日常や歴史が垣間見える楽しさも。めくるめくヴィンテージライターの世界へ、ぜひ足を運んでみて。