GUCCI GARDEN ARCHETYPES
IN TOKYO
アレッサンドロ・ミケーレの脳内を体感せよ!
フィレンツェ、上海、香港と話題を呼び続けてきたエキシビションが、ついに東京・天王洲に上陸した。ブランド創設100周年を祝した展示の中身は、アレッサンドロ・ミケーレ就任以降の広告キャンペーンを立体的に表現したもの。何かに取り憑かれたようなコレクター。東京の夜の光、さらに1000名が参加するパーティ。彼が思い描くユートピアは時に難解だが、丁寧に紐解いていくと、そこには知性に裏付けられた強いメッセージが読み取れるのだ。
GUCCI GARDEN ARCHETYPES
IN FLORENCE
VIRTUAL TOUR
見応えたっぷりの没入型エキシビションは、デジタル上でも体験可能。まずは手始めに、この後に登場する4人のナビゲーターがバーチャルツアーを敢行し、アレッサンドロからのメッセージを読み解きます。あなたも体験してみては?
次々に現れる、シーズンごとの広告キャンペーンに紐づいた13の部屋。
2015年、グッチは大きく変化した。それまでトム・フォードやフリーダ・ジャンニーニが作り上げてきたクラシックな世界をリセット。アレッサンドロ・ミケーレはデコラティブで多様な要素で構成された世界を作り上げた。その6年間を見事に表現した13の部屋で構成される会場の見取り図と、それぞれの部屋に紐づく広告キャンペーンの映像をお楽しみください。
EVENT
グッチ ガーデン アーキタイプ展
会期:2021年9月23日~2021年10月31日
場所:天王洲B&C HALL・E HALL
住所:東京都品川区東品川2-1-3
営業時間:11時~20時(金・土・祝前日~21時)
*最終入場は閉館時間の30分前まで。事前予約制
休み:無休
料金:無料
DIGITAL ROOM TOUR
by BRUTUS
豊富な経験と深い専門知識を持つ4人のナビゲーターを迎え、ブルータスだけのデジタルルームツアーを敢行。めくるめく空間からヒントを探し、時に独自の解釈を加えながら、想像をはるかに超えた詳細解説をしてくれました。このエキシビションをより面白く、深く理解するためのガイドとなるはずです。
Control Room
Control Room
アレッサンドロ・ミケーレがグッチのクリエイティブ・ディレクターに就任して6年。わずか数年だが、ファッション業界に大きなインパクトを与えた。その一つが広告キャンペーンだろう。毎シーズン「そう来たか!」と思わせる、ユーモラスな切り口とシャレの効かせ方。業界人を唸らせ、時に嫉妬さえも感じさせるキャンペーンを一気に見渡すことができるコントロール ルームをナビゲートするのは栗野宏文さん。20代から公私にわたりロンドンやパリ、ミラノ、そしてグッチの故郷であるフィレンツェにも幾度となく足を運び、ファッションの流れを肌で感じてきた栗野さんが語るアレッサンドロという人物像。
多くのモニターから流れる映像が物語っているように、アレッサンドロが送り出しているものは誤解を恐れず言うのであれば“ポップ”です。“ポップ”に見えるかもしれないのですが、実はものすごくインテリジェントなことをやってのけていますよね。
僕は歌舞伎が好きで、歌舞伎座へ観に行ったり『にっぽんの芸能』というテレビ番組も好きで観ています。そうして観続けて気づいたことがあるんです。それは時間が止まっていないということ。いつだってコンテンポラリーに感じる。元ネタは平安や室町、江戸時代などに起きた出来事や、人気者など……。当然古いわけですけれど、古く感じさせない。不思議ですよね。なぜかというと、歌舞伎役者はいわゆる俳優として役を演じているわけではなく、状況を演じ、ストーリー全体を創出しているから? と分析しています。だからアドリブも多いですし、流行語なんかも取り入れたりして……と。少し長くなってしまいましたが、お伝えしたかったのは、例えばアレッサンドロが手がけるキャンペーンは歌舞伎に近いのかも? と思いました。2017年秋冬コレクションのSF映画やテレビ番組をネタにしたGucci And Beyond、五月革命をネタにしたDans Les Rues。こうして彼が手がけてきたキャンペーンを俯瞰してみていると、決して難解なことをやっているわけではなく、歌舞伎のように時代をミックスし、わかりやすいモチーフを引用しつつも、きちんと現代のフィルターを通じて落とし込んでいる。それこそが、大衆へ“共感”させる力と“憧れ”を同時に発信する力の源となっているのではないか、と思うのです。
このアレッサンドロの思想は、当然洋服にも表れてきます。みなさん“イタリアファッション”と聞くとどんなイメージがありますか? 第3ボタンぐらいまで開けたシャツですか? 素足にローファーとかですかね? 間違いないです。なぜならイタリアのラグジュアリーブランドは、ずっと身体性、つまり“セクシー”をテーマとする文脈があります。アレッサンドロの先輩にあたるトム・フォードやフリーダ・ジャンニーニが手がけたデザインも魅惑的なデザインが多い印象があります。しかし、アレッサンドロは、その文脈から一歩引いています。使い古された言葉で言えば“ナード”で“インテリジェント”な感じ。それは例えばおばあちゃんから借りてきたような女性服と、お兄ちゃんから借りてきたような男性服がミックスされているような格好です。しかし、知性的に彼流のモードが成り立ってしまう。
一体彼は普段どんなことを考えているんでしょうね? 聞くところによると、彼自身も歴史書や哲学書などをよく読んでいると聞きます。それに彼のお母さんがチネチッタ(*1)で衣装制作をやっていたり、長年をともにするパートナーは大学教授だとか。そう聞くと合点がいきます。歴史や哲学に造詣が深いアレッサンドロは、「過去にこそ未来がある」と認識している人なのではないでしょうか? グッチは旅行用鞄と馬具に出自があります。この事実は、90年代以降ラグジュアリーブランドのコングロマリット化が進む中で大切なことであり、貴重なこと。アレッサンドロもブランドの歴史に敬意を払い、2020年春夏コレクションのOf Course A Horseのキャンペーンでも馬を出演させていたり。これはつまり、グッチが100年の間に培ってきた文化がアレッサンドロの最大の武器になっていることを表しているのでしょう。
だからこそマルコ・ビッザーリ(*2)がアレッサンドロをピックしたのは見事な采配だったわけです。就任当時、アレッサンドロはまだまだ無名でしたからね。しかし彼が就任してから今回のエキシビションを含めて本当に面白いことをしている。中目黒のカセットテープ屋(*3)さんに目をつけたり、インスタグラムで見つけたアダム・イーライをキャスティングして編集長に迎えた『CHIME』を発行したりなど、ほかではできないことをやっている。アレッサンドロが持つネットワークや情報網の生きの良さに感嘆します。今回も、妄想して、たくさん話し合って、楽しそうに作っている姿が思い浮かびます。
今のご時世、アートやカルチャー、サステイナブルなどと、むやみやたら口に出し、話題作りから始めるブランドを見かけます。だけどもアレッサンドロの場合は、モノやカルチャーから服作りが始まっている。“ラブ&ピース”なムードを軸にしながら。「人は純粋なものに賛同する」と私もずっと言い続けていますが、アレッサンドロはものすごくピュアに自分に向き合っている。そうじゃないとここまでやり切れないと思うのです。
PROFILE
くりの・ひろふみ/1953年生まれ。89年、ユナイテッドアローズの立ち上げに参画。昨年、社会潮流と服の関係をまとめた著書『モード後の世界』(扶桑社)を出版した。
Gucci Collectors
Gucci Collectors
数え切れないほどの動物たちのぬいぐるみや鳩時計、そして蝶の標本。しかし、この部屋に集められたものたちに一貫性は見当たらない。これらは、2018年秋冬コレクションのインスピレーション源として、アレッサンドロが空想した架空のコレクターの部屋である。自らを夢中にさせるものを収集し、鏡張りの空間に映し出す。この特異な空間について、建築家の中山英之さんが解説する。
架空のコレクターが住んでいる鏡張りの部屋から考察ができること、いろいろ思い浮かびますね。
ちょっと急に話が壮大になるかもしれませんが、今“博物館”というものが大きな転換期を迎えていることはご存じですか? みなさんが想像する博物館、この施設の本来の目的は、簡単に言ってしまうと、有形無形の人類の資産を収集、展示することで社会に貢献すること、です。しかしそんな博物館の定義が今、変わろうとしている。実は、2019年に京都で行われた『国際博物館会議』で、この博物館の定義に「“人間の多様性を後世に伝える”という文言を加えよう」という議論が起こったのです。あらゆるコレクションに等しく多様性が認められるとしたら、もしかしたらほんの個人的なコレクションとて、例外ではないかもしれない。
ここで、時間をぐーっと18世紀まで巻き戻しましょう。“世界最古の公立博物館”である大英博物館は、個人収集家の収集物がもとになって設立されたことをご存じですか?
ハンス・スローンという英国人医師が生涯かけて集めた数万点に及ぶ工芸品や剥製、植物や鉱物を寄付したことが、この博物館の起源になっているんです。では、ハンスはなぜそんな膨大なコレクションを保有していたのか…という疑問が思い浮かびます。その答えは、流行っていたから。
さらに時計の針を、中世の後半から近世の始まり頃に戻します。この時代にイタリアのお金持ちの間で、後に「驚異の部屋」と呼ばれる風変わりな趣味が生まれました。流行はヨーロッパ中に広がって、この呼び名はドイツ語の“ヴンダーカンマー”が今に定着したものです。化石や標本、古い実験器具のような謎めいたものをコレクションして部屋に飾るという魔訶不思議なカルチャーで、ハンスもこの流行りに乗っかった一人だった。つまり、何が言いたいのかというと、蝶の標本やぬいぐるみなど、人類史の形成に直接大きな意味を成すわけではないものたちが展示されているGucci Collectorsの部屋は“ヴンダーカンマー”そのものです。アレッサンドロのことですから、このイタリアで生まれた“遊び”を知っていて、2018年秋冬コレクションのテーマにした、と考えてみると面白いのではないでしょうか。このコレクションが発表されて1年後、“公に後世に資する本流を定義する”博物館という存在の使命が根本的な転換点を迎えて、“人間の多様性を考えるための新しいプラットフォーム”であることが国際的な議題に掲げられたのですから。ラグジュアリーブランドとはかくあるべき、という凝り固まった考え方に対し、アレッサンドロが就任当初から打ち出し続けてきた、多様性を受け入れたインクルーシブな考え方と共鳴しているように思えてきませんか?
この部屋を見ていると、もう一つ疑問が湧いてきますよね。アレッサンドロはなぜこの部屋を鏡張りの部屋にしたのでしょうか? 唐突ですが、ハンスをもしのぐ人類史上最強のコレクターって誰だと思いますか?
まぁ色々な意見があるでしょうけど、ルイ14世に敵う人はいないでしょう。ルイ14世といえば、ヴェルサイユ宮殿です。そしてヴェルサイユ宮殿といえば、ヴェネチアから技術を盗んだ壮大な“鏡の間”ですよね。コレクションの本質に、ある大きなジレンマがあります。それはつまり、「“持っている”ことが、膨大な“持っていない”ことを生み出す」というパラドックス。すべてを集め切ることは不可能なこと。しかしそれを最もプリミティブな方法で“無限化”するのが、鏡の反射というわけです。コレクションルームそのものを合わせ鏡の無限反射で設えればジレンマを超えられるというルイ14世の戯けた妄想が鏡の間のルーツなら、このルイ14世的な複製技術のオリジナルを使って、矛盾を超えるっていうギミックを用いてパッケージしたのが、Gucci Collectorsの部屋である。仮にそう考えてみると、なんだかスッと納得いきませんか?
この読み解きはすべて僕の妄想ですが、そういうファンタジーを掻き立てるクリエイションがファッションにはまだ存在していますよね。合理的な意味を必ずしも持ち得ないものの、社会が感受できることって、人間にとってすごく重要なこと。だからファッションは人を惹きつける。しかも、そういうところに気づけるのは、不思議とイタリア人が多かったり。ヴンダーカンマーももともとはイタリアの貴族が始めた遊びなわけですから。こうして人類史が大きな転換点を迎えると、それを乗り越えていくユーモアや遊びを思いつかずにはいられないイタリア人。アレッサンドロもそんな星の下に生まれた人なのかなって思ったりするわけです。
PROFILE
なかやま・ひでゆき/東京藝大、同大学大学院で建築を専攻。伊東豊雄に師事し独立。2014年より母校で准教授を務める。著書に『中山英之/スケッチング』(新宿書房)。
Tokyo Lights
Tokyo Lights
東京で撮影された2016年秋冬コレクションのキャンペーン。クリエイティブ・ディレクターのアレッサンドロ・ミケーレも来日し撮影部隊と一緒に都内各所を回った。この撮影時に使用したデコトラの模型を配置し、パチンコ屋で浴びた色とりどりの人工的な光に加え、鼓膜が破れそうな音が再現されている。このデコラティブな空間を哲学者の千葉雅也さんが案内。“装飾”について文化的に解説する。
このきらびやかな空間を見ていると、どこか懐かしい感じがしませんか? “Tokyo Lights”、つまり東京の光と題されたこの部屋は、2016年秋冬コレクションを表現した空間で、イメージソースとなっているものは、日本の消費文化やギャル文化、そしてヤンキー文化あたりなのでしょう。アレッサンドロ自身も何度か日本を訪れているらしいので、おそらくその時に新宿歌舞伎町を見たり、パチンコ屋に入ったりして、日本特有の装飾にときめいたのだと思います。今回私は装飾文化について解説していきたいと思います。
今回お伝えしたい大きなポイントは、日本の装飾文化がヨーロッパにフィードバックされているということです。例えば、90年代から2000年代にかけて渋谷を席捲したギャル、ギャル男たちを例に挙げます。彼らの特徴の一つに日焼けサロンで人工的に焼いた黒い肌に、厚化粧があります。これは身体を盛るカルチャーの表れです。私自身、ギャル男ファッションをしていた頃の記憶では、この時にイタリアのラグジュアリーブランドが持っている装飾性や特有のセクシーさがギャルカルチャーにも影響を与えていました。ただ日本の若者たちはヨーロッパやイタリアのラグジュアリーブランドの文脈を無視し、好き勝手にそれを装飾物として流用していた。これはつまり、新しいストリート的価値をヨーロッパのブランドに見出していたのです。その観点からいうと、その後の2010年代にはそうしてできた日本のストリートのデコレーション的文化が海外で再解釈され、むしろヨーロッパにフィードバックされたのでしょう。それを受け止めた一人がアレッサンドロだった。日本のストリートの雑多さの中にある解放感を得たのかもしれません。そこには、いわば時間を超えた贈り物の関係があるわけです。グッチをはじめとしたヨーロッパから入ってきたラグジュアリーなものが日本の装飾性をより豊かにしたという文脈があり、それが逆輸入され、2016年に“Tokyo Lights”というテーマのコレクションが誕生した。
ここで展示空間の細部についてお話ししましょうか。まずはネオンの光や電飾ですかね。“ド派手”な装飾です。しかしこの“ド派手”というのは、メインカルチャーでは疎まれるものです。日本でもヨーロッパでも権威的なものというのは、“ほどほど”な装飾が多いですよね。例えばタキシードという服は、最も格式高いフォーマルウェアとされています。ほかの洋服に比べると、デザイン性、つまり装飾性を極力排除したシンプルな服です。稀にきらびやかな着物などが権威的であるというような例外はありますけど、大抵は落ち着いているさまが権威を表すものであることが多かったりします。それに対して、派手なものにはどんなイメージがあるでしょう? 概念的に言うのであれば、不良性や逸脱であったり、外部性というものになるでしょう。“本体”というものが変化の少ない永続性を感じさせるものだとすると、周りにくっついている付随物が装飾と呼ばれるものになります。このデコトラのように、「ここまで盛る?」と思わせるほどの装飾性を帯びています。つまり付随物というのは移ろいやすく、一部で増殖する傾向がある。それはまさに、力を持つ権威が中心にあり、それを囲む群衆は、ある種、権威によって統治され、時には排除もされる周縁的な存在とも言えます。
周縁的な存在とは……。ここで、この展示空間のど真ん中にある過剰に装飾されたデコトラをちゃんと見てみましょうか。デコトラを動かすのは誰ですか? 答えは昼夜問わず、トラックを走らせる労働者です。彼らは権力を持つ者ではなく、ある種、周縁的な存在の一人です。デコトラとは、労働者たちが自らにある種のプライドを持つために毎日使うトラックをデコり、夜にまばゆい光を発しながら走っていたわけです。
では、トラックではなく、ショーケースにある派手な洋服を見てみます。テイストやクオリティは違えど、身体を盛るための衣服と考えると、ギャルやギャル男文化にリンクします。彼らもまた派手な柄や色で自身の体を彩っていました。そして彼らはまさに周縁的なストリートカルチャーの担い手です。ファッションや化粧などの身体的な装飾や過剰に盛った髪形など、規範の側から見ると否定される性質をむしろ逆転させることで、独自の自立性を与えたのがギャル、ギャル男文化でした。
デコトラドライバーのような労働者、ギャル、ギャル男のように周縁的な存在というのは、それ自体が装飾的な存在でもあると言えます。つまりメインカルチャーからすれば、“どうでもいい”ような装飾性なわけです。むしろ自分の実存を“どうでもいい”ものと一致させ、否定的であるとされる性質を、それこそが本当に格好いいものである、とする逆転を彼らはやってのけたわけです。これは“クィア”カルチャーとも類似しています。“クィア”という言葉は、そもそもは侮辱的な意味を持つ差別用語ですが、そのことを逆手にとって、性的マイノリティが自分たちの存在を主張するためのプライドを込めた言葉として利用するようになりました。結果、彼らに対する世間の見方も次第に変わりつつあります。
こうして解説をしていて感じるのは、アレッサンドロによるマイノリティへの眼差しです。このシーズンだけでなく、過去のアレッサンドロが手がけたコレクションを見ていると、2018年プレフォールコレクションには学生運動をモチーフにしたり、2020年春夏コレクションのキャンペーン映像にはヨルゴス・ランティモス監督をキャスティングしていることなどを見ていると、メインストリームとは異なる、周縁的な存在自体に美しさを見出しているように感じざるを得ません。
それにしてもすごい空間ですね。制約なしに話すと、こうした装飾性のポイントはSDGsを意識しすぎた今のファッションではなく、古き良き、ある種王族のファッションにもつながってくるような贅沢ささえも感じます。あえてそれを今やる、というようなところに現在のグッチの良さがあるのでしょう。このエキシビションは、クリーン化やジェントリフィケーションに向かう手前の時代の2016年をソースにしています。そういう意味でも、管理社会的な面や様々な振る舞いのクリーン化が強くなっていく今、ここから感じるのは、人間が持つ逸脱する力から生まれる価値の両義性を“装飾”が表し続けるということです。そういう意味で、アレッサンドロが装飾性にこだわり続けることは、現代社会に対するある種の反抗であり、歴史との向き合いを促そうとしているのかもしれません。
PROFILE
ちば・まさや/哲学、表象文化論。フランス現代思想を研究するとともに、小説の執筆も行う。主な著書に『勉強の哲学』『意味がない無意味』『オーバーヒート』など。
Dans Les Rues
Dans Les Rues
物々しく壁や天井に描かれたフランス語のメッセージ。そこには「美しき反乱」「私たちとは、ただあなたと私、そして未来だけ」などと描かれている。“Mai 68”と呼ばれるパリの学生を中心にして起こった五月革命が題材となった2018年プレフォール コレクション。バンドyahyelのメンバーであり、東京大学大学院でカルチャーと社会のつながりを研究してきた篠田ミルさんが解説する。
僕は音楽活動をしつつ、大学院でポピュラーカルチャーの研究も行っていました。ポピュラーカルチャーを紐解いていくには、当時の社会との関係性を理解することが不可欠です。そして“1968年”。この年はロックなど当時のカウンターカルチャーにとっても重要なモーメントだったと言えます。それと同時に、社会全体にとっても歴史的な転換点だったわけです。そして2018年プレフォール コレクションでグッチがこの1968年の出来事を引用している。早速ですが、この廊下を歩いて階段を上ってみましょう。まず目に留まるのは壁や天井に描かれた無数の落書きですよね。まずは、この落書きについてお話ししましょう。
2018年プレフォール コレクションのインスピレーション源にもなっているパリの学生運動ですが、シチュアシオニスト(状況派)と呼ばれる人たちがすごく重要になってきます。ちょっと聞き慣れない言葉なのかもしれませんが、今回のツアーのキーワードになります。では、どんな人たちだったのかというと、彼らは芸術運動集団であり、社会運動集団です。そして、彼らが一貫して言っていたのは、社会の構成原理を転覆させるために、例えば既存のもののあり方を“転用”し、今の社会のあり方を問いただす“状況”を作り出せ、ということでした。具体的にどのような芸術手法だったのかというと、既存の写真に吹き出しを書いて漫画にしたり、コラージュという手法で表現したりしていたんです。このシチュアシオニストの芸術手法は、後にパンクカルチャーにも脈々と流れ込んでいきます。そうですね、セックス・ピストルズのアルバムジャケットを想像してみてください。エリザベス女王の顔写真を用いたり、新聞記事のフォントを使ったコラージュをしたりしていましたよね。それに彼らは精神病患者の拘束具だったボンデージをファッションにしていました。これもまたシチュアシオニスト的発想なわけです。
これらの“落書き”も、建築物、つまり都市の一部を違う形で使っているということになります。さて、一体何が書かれているんでしょうか、いくつか言葉をピックアップしてみます。例えばここに金色のようなスプレーで、“RE(BELLE)”と書かれています。
Rebel=反抗という単語と、“Belle”=美しいを意味する女性詞をミックスした造語ですね。アレッサンドロらしいギミックが効いた美しい言葉です。そしてここには、“LIBERTÉ,
ÉGALITÉ,
SEXUALITÉと書かれています。フランスのスローガンにもなっている、Liberty(自由)、Equality(平等)、Fraternity(友愛)をもじってSexualité(セクシュアリティ)を加えている。なんともアレッサンドロらしい遊び心がありつつも、今まさに問題視されているキーワードがピックアップされているのがわかります。
実は、五月革命の時、性に対する差別も大きなトピックになっていました。例えば、「大学の女子寮に男子学生は立ち入り禁止!」というルールがあったんですね。性愛関係が抑圧されること、女性自身も抑圧されていることに気づき、反感が募った。そのような理由もあって、“愛”や“自由”といったような言葉やグラフィックが、この展示空間のように大学の壁やストリートの壁に乱暴に書かれていたんですね。
勇敢な学生たちですよね。彼らはどんな世代だったのかを少し説明すると、主には戦後のべビーブーマー世代に当たります。彼らの親たちは戦争を生き抜き、一番大事なのは家族。そして倫理的に正しく、宗教的価値観を持ちながら教育していたと思います。つまり、「働くことが一番偉いんだぞ!」といったような価値観を持つ親に育てられた子供たちです。当然、そんな一つ上の世代の考え方に反対し、「人生は自分で決めるべきだ」「自由に生きたい」となった。こうした彼らの訴えは、ファッションにも表れているんです。自由を象徴するヒッピールックであったり、ターバンやバンダナを巻いている人がいたり……。まさにこのシーズンのグッチの広告キャンペーンのような感じに近かったと思います。実際に当時学生運動に参加していた人からも、ジーパンや派手なシャツを着て、つまりみんな“オシャレ”をしてデモに参加していたという証言も残っています。「女性は肌の露出を控えめにしろ」、だから服装はこうあるべきだとか、「成人男性はスーツを着てネクタイを結ぶべきだ」とか。こうした既存のモラルへの抗いを、ファッションや、女性は髪を切って男性のように短くしたり、一方男性は女性のようにロン毛にしたりという個人の装いや体で表出していたわけです。
こうしたシチュアシオニスト的発想は、先ほどセックス・ピストルズの話を例に挙げましたが、パンクを経由して、ポストパンクにも脈々と流れています。なので、1972年に生まれ、10代の頃にポストパンクに心酔していたというアレッサンドロにもおそらくそのシチュアシオニスト的な遺伝子が流れているのかもしれないですね。ユースの時に感じていた感覚を現在に照らし合わせ、このような空間やビジュアルで表現しているのだと思います。
大雑把な言い方をすると、こうした世界的な若者による社会への反抗は、20〜30年周期ぐらいで訪れているんですね。まずはこの68年、そして80年代後半から90年代にはベルリンの壁の崩壊やレイヴカルチャーがありましたね。そしてそれから30年後の今は、Z世代といわれる人たちがいます。社会的な問題意識が高く、“ジェネレーションレフト”と呼ばれるほど、リベラルな考えを持っている。この世代を中心に、気候変動の問題や、ジェンダーに対する多種多様な考え方が開かれつつありますよね。Z世代がグッチを着る。グッチに憧れる。表層的な部分だけでなく、実は深いところでもシンパシーを感じざるを得ないプレゼンテーションのように思います。
PROFILE
しのだ・みる/2015年に結成したバンドyahyelのメンバー。バンド活動以外にも、DJやプロデューサーとして活躍する傍ら、東京大学大学院学際情報学府の修士課程を修了。
EXHIBITION TOUR in TOKYO
本誌でバーチャルツアーで解説をしてくれた4人の識者が、実際のイベント会場に足を運び、リアルツアーを敢行!そのインプレッションを語ってくれました。テキストと音声でレポートします。