本城直季の写真は、実際の風景がまるでミニチュアの世界のように見える感覚を想起させる。2007年に木村伊兵衛写真賞を受賞した「small planet」シリーズ以降、作家独自のスタイルを貫き、この世界の実在と虚構を問いかけ続けている。
そこには、生まれ育ったまちや世界に不思議な違和感を覚え、この世界を知りたい、俯瞰したいという思いが原動力になっているという。
本展は、作家初の大規模個展として、未公開シリーズを含む約200点の作品を紹介している。今回の東京都写真美術館の開催にあたり、東京を被写体とした特別な撮り下ろし作品も展示。本城の目を通して見る“まち”の不思議が堪能できる。
どう見てもジオラマ!? 作家が編み出した独特の質感にも注目
会場は、独自の表現を生み出すまでの試行期の作品を紹介するintroduction、そして代表シリーズである「small planet」から始まる。今回展示されている作品の多くが東京を撮ったものだ。
写真は大判に引き延ばされていてディテールまで確認できるが、やっぱりジオラマのように見える。ピントの合わせ方だけではなく、建物や道路の質感、まちを照らす光の感じまでもがなぜか模型のように見えるのだ。
本展が初公開となるシリーズ「kenya」も面白い。都市と違い、見渡す限りランドマークになるような建物や山などがないサバンナを、同じ手法で撮影している。写り込む動物や草の感じも模型のように見える。
このほか、東日本大震災発生から3カ月、思わずヘリコプターで向かい撮り下ろした「tohoku 311」シリーズや、地上からは全容が窺いしれない工業地帯を空から覗いた「industry」シリーズも今回が初公開となる。いずれも一貫した作家のスタイルが垣間見え、見応えがある。
人工物を見慣れ過ぎた私たちの目がつくる錯覚
ラスベガスのデコラティブなビル、リゾート地のビーチやプール、山を切り拓く形で通る道など、被写体の風景は多様だ。そのどれを見ても、どこか人工のモノに見えてしまう不思議。作家の感覚や意図だけが理由ではない。鑑賞者である私たちが模倣物を見ることにあまりに慣れてしまっていることも、大きく影響しているのだろう。
かつてヴェネチアに行った際、夕暮れの風景を見た友人が、「あまりにもテーマパークに見えてしまう」と言っていたことを思い出す。
もはや現実や実物を見ても、模倣したものや世界に見えてしまうほど、私たちはアーティフィシャルな世界に慣れている。加えて最近は、模型やジオラマですらなく、多くの人が仮想空間に未来を見ている。そういった場所の架空の土地が売買されるほどだ。
現実がおざなりになっていくなか、ミニチュアのように現実を撮る本城の写真は、ある種のノスタルジーさえ感じさせる。今後、彼の写真はまた別の意味を帯びることだろう。
本城が撮る「東京」の魅力
今回は、東京都写真美術館での開催を機に新たに撮り下ろした東京の写真が並ぶ。東京五輪開催を目前に控えた2021年夏と同12月の2回にわたり撮影されたという。おびただしい数のビルやマンションが密集する「東京」は、本城の写真にぴったりのモチーフだ。
ただし、彼の写真に、現実より仮想世界が先行してしまうことへの悲哀やアイロニーは感じられない。むしろ、被写体であるリアルな「まち」や「ひと」に対する、作家のあたたかく愛おしげなまなざしがある。
そして、作品に写る“まち”には実際に多くの人が暮らしている。つまりこれらは、私たちの現在のポートレートとも言える。そう捉えると、虚構の景色のように見えるこの写真が「東京もそれほど悪くない」と語っているように思えた。本城の写真を通して、東京の愛らしさをぜひ感じ、新たな魅力を発見してほしい。