30年以上のベテランと若き才能が、個性を競う
東京・吉祥寺にショップ兼工房を構え、アンティーク時計の販売と修理・修復を手がける〈マサズパスタイム〉は、マニアな時計ファンにはよく知られた存在である。
ショップは完全予約制。鍵を開けてもらい中に入ると、そこにはスイスの時計ブランドのプロトタイプ製作工房に比肩するほどの設備が整えられていた。汎用の旋盤やフライス盤、小型のCNCマシニングセンターといった工作機械に加え、20世紀初頭まで使われていたギヨシェ専用の旋盤と直線彫り機が並んでいる。これら2つのギヨシェマシンを持っているのは、おそらく日本ではここだけだ。
「1990年からアンティーク時計の販売とレストアに携わってきました。そしてレストアに必要な工具や機械を買い揃えていったら、いつの間にかこうなってしまった」と、代表取締役の中島正晴は振り返る。工房で働くのは、中島を含め8人。
それぞれパーツ製造や仕上げ、組み立て、彫金といった職能に特化する。「これだけの設備と人材があれば、オリジナルウォッチが作れる」との考えに至った中島は2013年、開発に着手。しかしさまざまな事情でプロジェクトは、遅々として進まなかった。それがコロナ禍をきっかけに本格始動した。販売や修理・修復依頼が止まったことで、開発の時間ができたからだ。

チームで創り上げた2つのオリジナル腕時計
時を同じくして〈ヒコ・みづのジュエリーカレッジ〉の学生が、就職活動で〈マサズパスタイム〉を訪れた。その人物が篠原那由他である。彼は、前出の菊野昌宏が教える研究室で時計製作の経験を積んでいた。
さらに20年には、〈A.ランゲ&ゾーネ〉が主催するコンテストで、最優秀賞を射止めた才能の持ち主であった。そんな彼が〈マサズパスタイム〉の門戸を叩いたのは、「ずっと自分で時計を作りたいと思っていて、修復はそのためのいい勉強になる」と考えたからだという。
かくして21年、篠原は〈マサズパスタイム〉の一員となった。そして彼の「時計を作りたい」という思いを中島は受け止め、進行していたオリジナルウォッチ・プロジェクトとは別に、時計開発を許した。


「篠原は、すでに学校で時計を作っていたし、我々のプロジェクトと混ぜると彼の個性が発揮できないと考え、全権を彼に委ねたのです」また中島は、開発に取りかかる前の半年間、篠原を修復に携わらせ、開発がスタートしてからも専従させず、修復作業を並行させた。
「レストアの経験を重ねていくと、パーツの摩耗具合などからどんな設計や構造だと壊れやすいのか、また逆に壊れにくいのかが、自然と理解できるようになるからです」
2つのプロジェクトは、パーツ製造や仕上げなどの担当者がそれぞれ異なる2チーム体制で進められた。そして工房に一人しかいない彫金師の辻本啓だけが、両方に参画した。

23年、後発だった「那由他モデル」が先に完成。名機と称賛される歴史ある汎用の手巻きムーブメントをベースとしたからだ。とはいえ、全パーツが手作業で仕上げ直され、サイズ変更までされているから、まったくの別物と言っていい。さらに上位モデル「A」のテンプには、アルミとセラミックの複合材アルボロンを業界で初めて採用した。
「軽いアルボロンを使ってテンプ本体を軽量化し、外周に比重が高いプラチナ製のマスロット(偏心錘(おもり))を設置して慣性モーメントを高めることで高精度化を図りました」
それから遅れること半年、中島が主導するオリジナルウォッチが完成した。搭載するキャリバーMP1は、受石とゼンマイ類以外は、すべて自社製造。それも懐中時計の高級機にならい歯車は14金製とした。そして「那由他モデル」を含めダイヤルは、彫金やギヨシェが施され、工芸的な美しさをかなえている。
これら仕上げも装飾も極めて上質なオリジナルウォッチは、中島がインスタグラムで発信した途端、目ざとい時計ファンに見つかり、世界中に拡散された。そして次々と注文が舞い込んだ。24年に納品したのは「那由他モデル」7本、キャリバーMP1モデル11本。大半がネットを通じた海外からのオーダーだ。
「2026年には、実機に触れてもらえる受注会を開催しようと思っています」またトゥールビヨンが備わる新たな自社製ムーブメントの開発も、進行中。修復の学びから生まれた〈マサズパスタイム〉のオリジナルウォッチは、さらなる高みを目指す。

