デジタル化時代の工芸品──。『ワン・バトル・アフター・アナザー』で再評価の機運が高まる、カーチェイスの魅力:映画選びの教科書 2026年版 Vol.01

映画を取り巻く環境が大きく変わる今、観るべき一本をどうやって選べばいいのか?アルゴリズムや評価点の束縛から逃れて、本当に大切な作品と出会うための新たな基準や価値観を探る、連載「映画選びの教科書 2026年版」。第1回は「カーチェイス」について。

text: Yusuke Monma

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CGやVFXとは異なる、プリミティブな緊迫感

デジタル化時代の手仕事による工芸品。

これがカーチェイスに与えられた、2026年現在の評価だ。

第98回アカデミー賞において、『ワン・バトル・アフター・アナザー』が作品賞、監督賞を含む最多6部門を受賞した要因のひとつは、そこに今日の映画から失われつつあるものの数々を、大勢のアカデミー会員が見出したからだったかもしれない。なかでも終盤の大きな見どころとなるカーチェイスは、きわめてプリミティブで、なおかつダイナミックな、もはや職人技と言っていい傑出したシーンだった。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』(2025年)デジタル配信中。権利元:ワーナー ブラザース ジャパン、販売元:ハピネット・メディアマーケティング/5,390円(Blu-ray&DVD)。 © 2025 Warner Bros. Entertainment Inc. and Domain Pictures, LLC. All Rights Reserved.

起伏の多い丘陵地帯でくり広げられる、2台の車両による追跡劇。急勾配の坂を越えると、丘の向こうに一方が消え、しばらくするとまた現れる、息をのむようなチェイスシーンは、ロケ地の地形を最大限に活かす発想から生まれている。それはCGやVFXを土台にしたものではない。

撮影には、35mmフィルムの2コマ分の面積を用いて1コマを撮影する、ビスタビジョンのフォーマット――主に1950年代に利用され、効率の悪さから今では廃れてしまった――が採用されたが、本来は三脚にしっかり固定して使用するそのヴィンテージカメラを、この作品では高速で動くカメラカーに直接取り付けた。しかも地面すれすれのところに。そして『フォードvsフェラーリ』などにも参加したカースタントのスペシャリストが、これらの特殊な撮影システムに対応するカメラカーを製造した。

ロケ地であるサンディエゴ近郊の道路は交通量の多い場所だったため、道路を封鎖しなければならず、撮影時間は一回につきわずか10分と限られた。しかしそのように制約のある状況だからこそ、むしろその道のプロたちによる技術の粋が集められ、結果として緊迫感に満ちた映画史に残るほどのシーンが誕生した。

撮影監督のマイケル・バウマンによれば、ポール・トーマス・アンダーソン監督が目指したのは1970年代の映画のようなルックで、粒子がざらつく映像の質感は、史上屈指のカーチェイスシーンで有名な『フレンチ・コネクション』を参照したと言う。ともあれ、『ワン・バトル・アフター・アナザー』が多くの人に思い起こさせたのは、古典的なカーチェイスの今なお色褪せない輝きだった。

1968年の『ブリット』まで遡る、カーチェイスの源流

こうしたカーチェイスの源流には、1968年の『ブリット』がある。レーシングドライバーでもあった主演のスティーブ・マックイーンと、プロレーサーのキャリアを持つピーター・イェーツ監督は、それまでカーアクションが撮影されていたスタジオを飛び出し、本物の道路を用いるロケーション撮影にこだわった。そうでなければ迫力のある、高速のカーチェイスを実現できないからだ。

『ブリット』(1968年)デジタル配信中。権利元:ワーナー ブラザース ジャパン。 ©1968 Warner Bros. and Solar Productions Inc. All rights reserved.

実際に撮影では、刑事役のマックイーン自身が運転する車両が時速160キロ超で走行し、サンフランシスコの起伏に富んだ道路で殺し屋との死闘を展開した。そう、このロケーションの類似が、『ワン・バトル・アフター・アナザー』をして『ブリット』にオマージュを捧げたと言わしめる所以だ。

『ブリット』以降、カーチェイスは一気に脚光を浴び、人や車の密集する市街地を高速で走り、他の車両に激突して炎上するなど、さらなる過激さを追求していったが、その究極形に到達したのが2004年の『ボーン・スプレマシー』だった。記憶を失った男が暗殺者に次々と命を狙われる、シリーズ2作目のハイライトは、モスクワの市街地を舞台とする壮絶なカーチェイスだ。いや、これが壮絶なんてものじゃない。

逃げる主人公とそれを追う暗殺者や警察が、交通量の多い街中を並外れたスピードで疾走し、周囲を走る車両と衝突をくり返す。公開当時、撮影中に死者が出なかったのはおかしい、と言われたほどの迫力ある、真に迫った映像だ。そして手持ちカメラが近距離から捉えるブレたカットは、小刻みに、高速で繋がれ、観る人を追跡劇の只中に巻き込んでいく。過去にドキュメンタリーを手がけてきたポール・グリーングラス監督の狙いは、圧倒的な臨場感をそこに生み出すことにあった。

『ボーン・スプレマシー』(2004年)。ハピネット・メディアマーケティング/6,589円(4K Ultra HD+ブルーレイ)。© 2004 Motion Picture THETA Produktionsgesellschaft mbH & Co. KG and Universal Studios. All Rights Reserved.

ちなみに『ボーン・スプレマシー』の革新的なカーチェイスは、以降のハリウッド作品のアクション演出すら変えた。カメラが被写体に接近し、アクションの全容がほとんどわからぬほど、短いカットを目まぐるしく繋ぐスタイルは、臨場感を重視する傾向が映画界でますます強まる中、主流となっていった。

臨場感は、普及するストリーミング視聴に対抗し、劇場で映画体験をする際の大きなキーワードだ。デジタル技術が進歩し、AIが動画すら生成する時代に、熟練の職人たちでなければ作り出せない、物質的な説得力を持つカーチェイスの価値は、おそらく今後さらに高まるだろう。

「カーチェイス」で選ぶ10作品

『ブリット』(1968年)
『フレンチ・コネクション』(1971年)
『バニシング IN 60"』(1974年)
『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)
『RONIN』(1998年)
『ボーン・スプレマシー』(2004年)
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)
『ベイビー・ドライバー』(2017年)
『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』(2023年)
『ワン・バトル・アフター・アナザー』(2025年)

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