自然と共生する新しい工房で、高級機械式ムーブメント技術を継承
知られじな 絶えず心に かかるとも 岩手の山の 峰の白雪(続古今和歌集)──県名の由来にもなった岩手山は、古くから和歌に詠まれてきた名峰である。別名、岩鷲山(がんじゅさん)。鷲(わし)が羽を広げたように悠然と裾野を広げる姿を、町の至るところで目にできる岩手県雫石町は、数々の名作腕時計の故郷でもある。そのパーツ製造と組み立ては、1970年創業の〈盛岡セイコー工業〉が担っている。
敷地面積は、約10万3800㎡。その4割近くを占める森林に寄り添うように、隈研吾の設計で〈グランドセイコースタジオ 雫石〉が建てられた。岩手山に向かって大きくはね上がる屋根は、ゆっくりと傾斜してその奥の森と一続きになる。自然と共生する建物は、THE NATURE OF TIMEという〈グランドセイコー〉のブランドフィロソフィを体現している。
2020年7月にグランドオープンしたこの場所は、〈グランドセイコー〉の新たな組み立て工房であり、展示スペースやラウンジを併設し、完全予約制の一般公開を前提に計画された。その工房は、世界的にも珍しい木造のクリーンルーム。ガラス張りになった北側に岩手山や森林が目に入る自然を感じる工房で、数十名の技術者がムーブメントの組み立てや調整に日々勤しんでいる。
1998年、長く途絶えていた機械式〈グランドセイコー〉の復活後、製造を担う盛岡セイコーは、高級機械式ムーブメントの製作技術を未来につなげる努力を続けてきた。2004年には、技能の習熟度に応じてブロンズ、シルバー、ゴールドに分ける独自の人材制度を導入。また若手技術者を育成し、早々に『技能五輪』に挑戦させることで、モチベーションを高めてきた。
技能五輪とは、工業や建築、食、理美容などさまざまな分野の若き技能者(原則23歳以下)が毎年全国から集い、その技術を競う大会。16年入社の加藤智也さんと20年入社の長久保優さんは、職人技に惹かれ入社するも時計の知識なしだったが、訓練を積み、いずれも2度目の挑戦で、金賞(優勝)に輝いた。
「入社したてで何もわからない状態で技能五輪の訓練を受けるのは、かなり大変でしたが、同時に楽しくもありました」と、加藤さんは当時を振り返る。長久保さんは、初挑戦で敢闘賞に輝いた逸材。「女性技能者はまだまだ少ないので、初の女性ゴールドマイスターを目指したい」と、明確なビジョンを描いている。
共に地元・盛岡出身。「世界が認めるグランドセイコーは地元の誇り」と目を輝かせる。自然に囲まれて育った技術者が、自然と共存する工房で研鑽を重ねて、機械式時計の未来、その一翼を担っていく。