ウォン・カーウァイはいかにして、ドラマを芸術へ昇華させたのか。超大作『繁花』に込めた思いを聞く

90年代の上海の経済成長を背景に描く『繁花』はウォン・カーウァイが挑んだ初のTVドラマ。準備期間7年、撮影期間3年を要したというこの超大作に込めた思いを監督に聞いた。

text: Keisuke Kagiwada

『繁花』は時代を超えた人間経験を描く

『繁花』の舞台は、1990年代の上海。貧しい青年だった阿宝は、“旦那”と呼ばれる師に導かれながら、ビジネス界の寵児(ちょうじ)となっていた。そんな阿宝と彼をめぐる魅力的なキャラクターたちの人間模様を通してスリリングに描かれるのは、急速な経済発展の渦中にあるこの街の近現代史。そこには5歳まで上海で暮らしていたウォン・カーウァイ監督自身の記憶も刻み込まれている。

「私は63年に上海を離れましたが、上海が私の中から消えることはありませんでした。特に70年代後半以降、断続的に訪れる中で経験したのは、変化し続ける街との連続した邂逅。それを日々生きるのではなく、時折訪れる“観察者”として見つめていました。深いところでつながりながら少し距離を置いたこの視点により、変容を単なる経済統計ではなく、光、街のリズム、人々の佇まいそのものの変化として捉えることができたのです。都市がその文法を書き換える瞬間を目撃する感覚は、このシリーズに深く刻み込まれています」

本作において、上海の中でも特に重要になるのが、阿宝たちが夜ごと繰り出す歓楽街、黄河路。ネオンに彩られたその風景は、カーウァイの過去作を彷彿とさせる。

「我々の課題は、ネオンの輝きそのものだけではなく、それが照らし出す“移り変わりの質感”をも捉えることでした。90年代上海の爆発的なエネルギーを表現するには、その鼓動する心臓部──黄河路が必要でした。我々は、新しい富裕層がネオンの星座の下で宴を開いていた中心点である、あの732mを原寸大で再現しました。そして、あの完全にライトアップされたセットを初めて歩いたとき、私を襲ったのは強烈なデジャヴ──それは上海ではなく、香港の記憶でした。私にとってこの2つの都市は“鏡映しの双子”のような存在です。発展していく上海を撮影する中で、私はどうしても香港の過去をそこに見てしまいます。ネオンは2つの都市をつなぐ色彩の懸け橋となったのです」

ウォン・カーウァイ監督『繁花』。背後にあるレストランは、マカオのカジノリゾートをモデルに設計された。
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主人公の阿宝の背後にあるのは、権謀術数が渦巻く黄河路のレストラン〈至真園〉。マカオのカジノリゾートをモデルに設計された。

ファッションが語る時代の移り変わり

カーウァイ作品といえば、『花様年華』を筆頭に、衣装のスタイリッシュさでも知られるが、それは本作でも健在。作中の衣装の役割をどう捉えているのだろう。
「衣装は単なる装飾ではなく、語られざる伝記です。『繁花』で重要だったのは、生地やシルエットを通し、上海の社会的変容の軌跡を描くこと。青い毛沢東スーツの海が、鮮やかな色彩の庭園へと移り変わっていくように。我々は2万点を超える衣服のアーカイブを構築しました。本作では衣服が都市全体の再覚醒という重みを背負う必要がありました」

衣服をめぐるシーンで忘れがたいのが、“旦那”がお膳立てする中、阿宝がスーツを仕立てる第1話。それを纏(まと)うことで阿宝は“一人前の男”に変化していく。
「あのシーンは、世代から世代へと受け継がれる規範の継承を描いています。阿宝のスーツについては、80年代の誇張されたシルエットを意図的に避けました。代わりに、40年代のピースホテル(和平飯店)のブリティッシュスイートにいた、若き日の鋭敏な“旦那”なら何を纏うだろうか、と考えました。それはエレガントでタイムレス、そして“上海カット”と呼ばれる独特の仕立て──細身のシルエットと精密なウエストの絞りを備えたものでした」

さらに言えば、ファッションは本作の骨子にも関わる。実際、株で財をなした阿宝は、ポロシャツ事業に進出することでさらなる躍進を遂げるのだ。

「90年代、ファッションが新しい経済の主要な言語となりました。フランス発の〈メゾン モンタギュ〉のポロシャツと携帯電話は、叩き上げの起業家にとっての名刺代わりであり、国営企業という後ろ盾がなくとも自らの経済力を示す象徴だったのです。国営企業の画一的な服装という“形式”からの脱却は、極めて大きな変化でした。さらに、繊維産業は上海の輸出経済の礎でした。こうした国際的なラグジュアリーブランドの流入は、ファッション産業と衣料品製造が地域全体で爆発的に成長する起爆剤となりました。阿宝のポロシャツ事業への進出は些細なプロットではありません。新しい実物経済の“織物”へとつながる、直接的な一本の糸なのです」

そんな本作を通じて、監督は何を伝えたかったのだろうか。
「このシリーズの中心にあるのは、普遍的な人間の衝動──再創造を追い求めること、チャンスに心を奪われる感覚、そして野心と愛の衝突──を探求すること。90年代の上海という社会経済的背景は特殊なものですが、最終的には“欲望”と“運命”という、普遍的な人間の真理を映し出します。私は、中国の都市発展における転換点となる瞬間への洞察であると同時に、時代を超えた人間経験の鏡となる作品を作りたかったのです」

『繁花』で映される、監督の日本への眼差し

主人公のスーツは滝沢直己によるデザイン

滝沢直己が手がけた阿宝が纏うスーツは、〈紅幇(ホンパン)〉仕立て。その創始者は、横浜でロシア人漁師などのスーツをほどいて技を学んだという。1世紀を経て、今度は日本人が、そのスタイルのスーツを再創造したわけだ。

上海に再現された“銀座”の秘密

ウォン・カーウァイ監督『繁花』の銀座での一場面。
銀座の場面では小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」が響く。
阿宝と飲食店経営者の玲子の浅からぬ関係の行方も、本作の重要な鍵を握る。そんな2人が出会うのは、東京の銀座。コロナ禍の影響でロケを断念したこのシーンは、監督の記憶を反映しつつ上海でセットを作ることで行われた。

あの頃の空気を『BRUTUS』からサンプリング

ウォン・カーウァイ監督『繁花』では、『BRUTUS』のような80~90年代の日本雑誌を研究
参考にした『BRUTUS』の中には、1982年の中国特集も含まれる。
玲子が身に着けているヴィンテージの〈イッセイミヤケ〉や〈カルティエ〉の時計について監督は語る。「『BRUTUS』のような80~90年代の日本雑誌を研究して選び抜いたもので、彼女が銀座で過ごしていた歴史を表現しているのです」

ウォン・カーウァイが歩いた銀座

コロナ禍によって断念されたものの、当初銀座のシーンは現地でロケ撮影を計画しており、監督たちは名だたるクラブもいくつか視察していた。「結果、上海に銀座の一角を再現することになりましたが、100%正確とはいかないまでも、私が記憶しているエッセンスは捉えられたと思っています」と監督。写真はそのロケハン時に撮られたもの。

『繁花』
中国文学界を代表する金宇澄の同名小説が原作。高度経済成長期の上海でビジネスマンとして成り上がる主人公の阿宝は、映画『鵞鳥湖の夜』などで知られるフー・ゴーが演じる。WOWOWで3月20日から日本初放送・配信。

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