「コロナ禍の頃はどこの釣り場も混んでいたけど、今はそうでもない。釣りは景気に連動する。小遣いが少なくなれば、真っ先に趣味の金が減らされますから」と、いましろたかしさんは令和の釣りを冷静に見ている。
「一人でもできる遊び」ということから、コロナ禍に盛り上がった釣りブームも一定の落ち着きを見せている様子だ。「昔はいろんな釣りをやりましたけど、今は川の釣りばかりです。バイクで近場の渓流に入り、フライでアマゴ、ヤマメ、イワナを釣っています。フライは20年やっています。……上達しないんだけどね」
いましろさんの代表作の一つ『釣れんボーイ』は、漫画家のヒマシロタケシがアユの友釣りに熱狂していくさまを描いた釣り漫画の名作だ。
仕事中もアユのことが頭から離れず、暇さえあれば数百kmをバイクで走って釣り場に向かう。釣りに魂を捧げるヒマシロはアユ釣りに軸足を置きながらも、イカ釣り、テンカラ、フライフィッシングと釣りの幅を広げていく。
「漫画に描いたものが事実というわけではないですよ」といましろさんは言うが、月のうち半分は釣りに行き、半分は仕事をしていた38歳からの4年間の釣りへの熱狂を『釣れんボーイ』から感じ取ることができる。

1998〜2002年/いましろたかし/KADOKAWA/この漫画で「一番うまく描けたと思う絵は?」と尋ねて、挙げられたイカ釣りのシーン。竿の曲がりや糸の張りから獲物の重みが伝わる。ちなみに、かかったのはお目当てのイカではなくタコ。
©いましろたかし/KADOKAWA
「あの作品を描く前は忙しくて、ずっと仕事をしていた。漫画家は室内にずっといるのでインドアが嫌になったんですね。反動で外に出たくて仕方がなかった。それで中学を卒業する頃に離れた釣りを再開したんです。体力も情熱もあったし、割と金もあった。だから道具も買ったし、遠征にも行きましたね」
『釣れんボーイ』や新作の『つりまん』など、いましろ作品には釣り人でなければ描けない心理描写やセリフが登場する。いましろ作品は写実的なタッチではないけれど、釣りのシーンがとてもリアルだ。ラインの伸び方、竿にかかった魚の重さ、釣れないときの気だるさ、釣ったときの喜び。こうした細やかで深い描写が釣り人に支持される理由だろう。
いましろさんの釣りとの出会いは6歳の頃。故郷の高知県の家の前に川があり、竹を切って竿を自作し、見よう見まねで始めたそうだ。釣りの魅力を尋ねると「魚の美しさ」と、いましろさんは言い切る。「初めてアマゴを釣ったとき、なんて美しい魚なんだって思ったんです」。
成長とともに渓流や海へとフィールドを広げていった少年は、矢口高雄さんの『釣りキチ三平』に出会った。中学生の頃だ。当時の週刊少年誌に釣り漫画が載るのは珍しく、夢中になった。「海釣りのシーンより、川釣りの描写に心が躍った。『釣りキチ三平』の前に発表している『釣りバカたち』は、ほぼ川の話だし、矢口さんの釣り漫画のコアな部分を出せているように思いますね。釣りのシーンは完成されていると感じたし、釣り以外のシーンが多いのもいい。それに、矢口さんの経験も相当入っているんじゃないかな」

1972〜83年/矢口高雄/双葉社/作者の渓流釣りの経験が随所に生きた作品。渓流釣りを主題にしながらも、高度経済成長期以前の日本の風景や戦争の記憶がにじみ、一話ごとに良質な短編映画を観たような余韻が残る。『釣りバカたち』後に発表された『釣りキチ三平』とは、キャラクターや世界観に共通点がある。「原稿に行き詰まった矢口さんが、気晴らしにスタジオの屋上で竿を振るシーンがある。印象的だけど……竿を振っても漫画は描けないんですけどね、だけど、やっちゃうんだな(笑)」
©矢口高雄/矢口プロ
一説によると日本の釣り人口は約1000万人。そのボリュームに対して「釣り漫画」は少ない。現代は釣りが細分化されているために『釣りキチ三平』や『釣りバカ日誌』のような王道釣り漫画の参入は難しいのかもしれない。また、経験がないと描けない難しいジャンルのようだ。
「漫画家自身が釣りができなければ描けないし、ネタも尽きるしね」。糸のテンション、竿の曲がり方、投げ方など、作画に細部のリアリティが求められる。中でも魚の描写は難しい。図鑑の絵を見ても生き生きとした魚を描くことは不可能だ。

1979年〜/やまさき十三(原作)・北見けんいち(漫画)/小学館/誰もが知る国民的釣り漫画であり、単行本は100巻を超える長寿作品で今も連載中。万年ヒラ社員の浜崎伝助と社長が釣り仲間という、会社員垂涎の設定だ。「釣りはただのネタで、ファンタジーの世界を描いている。だって、この設定は会社員にとって夢のシチュエーションでしょう(笑)。みんなでワイワイいろんな釣りをやる。絶対に僕には描けない世界観ですね」
©やまさき十三・北見けんいち/小学館
「釣り漫画で魚の絵が上手なのは『俺のスーパートラウト』じゃないですかね。物語もライトで読みやすいし、作者の酒川郁子さんは魚の絵がうまい。作中のトラウトの描写を見て、本当にうまいなあと思いました。それに、ルアー釣りじゃなくてフライフィッシングというところがいい」。経験に裏打ちされた描写こそが、読者の心を掴(つか)む。

1999年/酒川郁子/笠倉出版社/釣り好きの会社員・梶俊彦と上司であり師匠の神尾千恵がフライフィッシングに挑む。社内では釣りの話がタブーで、互いに好意を抱きながらも恋は進展しないというラブコメ要素も。「魚をうまく描ける漫画家は少ないけど、『俺のスーパートラウト』の魚描写は本当に見事」。続編『俺のスーパートラウトPLUS』が『つりコミック』で連載中。作者はタナゴ釣りとフライフィッシングをこよなく愛する。
©酒川郁子
いましろさんは現在の釣り漫画についてどう思うのだろう。「今の釣り漫画は即物的というか、このルアーで釣った、このタックルで釣ったという情報が多いような気がしますね。YouTubeなんかでも同じことを感じるけど、近道をすることが楽しいとは思えない」。いましろさんは釣り自体の面白さに触れてほしいと願う。
「釣れるからと、安易にサビキ釣りに手を出さず、大人だったら勉強して、経験して、基礎からちょっとずつ覚えてほしい。まずは延べ竿を買って、リールを使わないで魚を釣ってみる。釣り具店に行って聞けば教えてくれますから。大人だったら、大人の釣りをしなければならないと思いますね」
時には釣果ゼロに大号泣、時にはブヨに刺されながらアユと駆け引き……。度重なる不運に七転八倒しながらも、何度も立ち上がり元気に釣りに出かけていくいましろ作品の主人公たち。彼らの姿から釣りの本質的な楽しみ方を感じ取ってほしい。
