解説:星野概念(精神科医)
ほしの・がいねん/1978年生まれ。精神科医など。時に音楽活動なども行いながら、雑誌やウェブメディアでの執筆、対話を重視したケアやワークショップを展開。著書に『ラブという薬』『こころをそのまま感じられたら』。
聴き手に寄り添い、肯定する強さ
Mrs. GREEN APPLEの歌詞には、2つの視点があるように思います。一つは「僕のこと」に象徴される、まさにタイトル通り、自分の内面的な思考を歌詞にしたもの。そこでは、人生は楽ではなく、基本的にキツいものだと感じながらも自問自答して思考を巡らせ、最終的に「なんて素敵な日だ」と、生きていこうとする意志へと辿り着くさまが描かれる。
その一方で、まるで現世を超越したような場所から「ダンスホール」のように「いつだって大丈夫」と“わかっている”視点で歌われる曲もたくさんあって。その両極をどう行き来しているのかは気になりますね。
歌詞って一般的に、社会的な主張や時代背景、依頼などと無関係な場合には、自分自身の内側にある景色のようなものが描写されることが多く、その人の心象風景が見え隠れしやすいものだと思います。それは、メロディがある前提で表れるものかもしれないし、歌詞だけで考えたからこそ出てくる言葉かもしれません。
でも、その人が溢れ出てしまう部分は、少なからずあるはずで。大森元貴さんがかつて体感したかもしれない歌詞に込められた言葉が聴く人の心に染み込むのは、きっと苦しみを自分事として知り、ずっとそれを忘れずにいるからではないでしょうか。
そして、抽象的な言葉に逃げずに「でも大丈夫だよ、付いてきて」と手を引いてくれる。その姿勢が伝わるからだと思います。これまでも傷ついたり、悩んだりして創作してきた人は数え切れませんが、苦しさを体感しながらも、生き抜いて寄り添える歌詞を、希望としてではなく、断定的に書ける人は稀だと思います。
現代社会で人間にとって最も辛いのは、独りぼっちになることでしょう。誰も声をかけられる人がいない、時間を潰すための何かすら思い浮かばない、趣味もなくて心を埋められない時間に居場所を作ってくれるのがミセスの音楽で、それに救われているという人もきっと多いはずです。「わかりました、もうちょっとやってみますよ」と、歌詞を聴いてそんなふうに思えるミュージシャンはなかなかいないですよね。
華やかな活動やライブの裏側でも、自身が過去に抱えていたかもしれない苦しさや傷つきの体感を忘れず、繊細な思いを丁寧に受け止めて伴走する。抽象に逃げず、意味のわかる言葉で具体的な心の寂しさを語りながら、それでも大丈夫と言えるアーティストは唯一無二だと思います。
僕のこと
がむしゃらに生きて誰が笑う?
悲しみきるには早すぎる
歌詞の随所に、生を肯定する意志へと辿り着くプロセスが。「僕は時々寂しくなる みんなもそうなら少しは楽かな」という歌詞にも、苦しいけれど独りぼっちではないと思おうとする、試行錯誤の過程が描かれています。
ケセラセラ
私を愛せるのは私だけ
生まれ変わるなら? 「また私だね。」
「私を愛せるのは私だけ」と内発的に思えることは、心理的に見ても、とても大切な地点。他人がどう思おうが、自分が自分を愛しているから大丈夫だと、心の奥にまで訴えかけてくれる、素晴らしい応援ソングだと思います。
天国
また出会えたとして 今度はちゃんと手を握るからね
Dear
いつかまた机を囲んで 懐かしい話をしよう