パク・チャヌク×シム・ウンギョン対談。極限状態の複雑な人間の心情を描いた映画『しあわせな選択』

36日公開の映画『しあわせな選択』のために来日したパク・チャヌク監督と俳優シム・ウンギョンの対談が実現。俳優の視点から本作品はどう写ったのか。そして、監督はイ・ビョンホンをはじめとするベテラン俳優陣とどのように役を作り上げていったのかなど制作の裏側を伺った。

text: Keiko Kamijo / photo: Kenshu Shintsubo / hair & make: Toshihiko Shingu

映画『しあわせな選択』場面写真

シム・ウンギョン

私は、韓国で公開されてすぐに見たのですが、まずオープニングでモーツァルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章が聞こえてきて、そこからもう圧倒されたのを覚えています。カメラが流れるように家全体を見せていく。とても叙情的な映像で始まりますが、これからどんな物語が待ち受けているのかが全く予測できなくて、期待感でワクワクしながら始まりました。そんな静かな始まりだったのですが、その後はすごく笑える映画で、本当に楽しくて爆笑しながら見てしまいました。

パク・チャヌク

ありがとうございます。最高の感想を聞かせてもらいました。モーツァルトについて話してくれてうれしいです。みなさん「コチュジャムジャリ(赤とんぼ)」の曲についてはたくさん話してくださるのですが、モーツァルトの話が聞けなくて寂しかったんです。

実は私がこの脚本を書き始めたのは15年以上前なのですが、そのときから、最初のシーンのシナリオにはモーツァルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章が流れてカメラが下りてくる……。と書いてあって、それは15年変わることがありませんでした。とても調和的で完璧で、平和で穏やかなイメージをモーツァルトが作ってくれますが、ただ幸せなだけではない、どこか不穏な悲しい感じが、あの場面から少し感じられたと思います。

みんなが幸せそうに見える。だけど、マンス(イ・ビョンホン)がワインを妻に注ごうとする、まずマンスが匂いを嗅ぐ。そこで、あの男はアルコールについて何か問題があるのか、という感じがします。チェロを演奏する娘は無表情でマンスと目も合わせない。そうした何かしらの違和感がそこにある、というのが音楽とともに伝わっていればいいなと思いました。

また、後半のシーンで大きな仕事を終えて家に帰ってきたとき、またモーツァルトの同じ曲が流れますが、そのときは本当にもう家族は完全に壊れていて元には戻れない状態です。曲によって最初のシーンをもう一度思い出させて、観客に「あの頃は良かったけど、もう戻れない」という感情を持ってもらいたかった。なので、それを言ってくれて大変ありがたかったです。

パク・チャヌク

シム

監督特有のブラックコメディが本当に面白かったです。私が好きなユーモアのシーンを一つあげますと、冒頭、主人公のマンス(イ・ビョンホン)が人々の前で「私たちを解雇してはいけない!」と自信満々に演説のように話をしている。するとアメリカ人がやってきて、話しに行くんですが、「No other choice(仕方がない)」と一蹴されてしまう。

パク・チャヌク監督の映画の中でも、今回は本当に大笑いできるブラックコメディでしたが、初めて見るタイプのユーモアでした。ゲラゲラ笑っていながらも、ある瞬間「笑っていていいのだろうか」という判断ができなくなる瞬間がやってきました。それがまるで、マンスが物語の間じゅう抱えている「歯」の痛みとも似た気持ちになりました。

そして、物語はすごく滑稽でありながらも妙な悲しみを湛えていました。4人の家族を映す視線が、あるときは温かく見えながらもときに真逆な冷たさを感じる。殺人と温かさという、全く相容れない感情があり、その中にペーソスを感じさせる。この映画ならではの独特な映画的体験と感情だったなと思います。もし私がマンスだったらどういう選択をしただろうかと、自分自身への問いかけが生まれるような、とても素敵な体験をさせてくれた映画でした。

パク

ありがとうございます。日本公開時のポスターのコピーを「歯痛のような映画だ」と変えてもらいたいくらいですね(笑)。コメディについては、私は『JSA』(2000年)のときに初めて、イ・ビョンホンに会いました。悲しい物語ではあるんですが、ソン・ガンホとイ・ビョンホンが初めて会うシーンで、ビョンホンが地雷を踏んで「助けてくれ」と言うんですよね。あれ、すごく笑えたんです。彼はコメディアンとしての資質があると当時から考えていたので、この映画をコメディにしようと思ったときに、まず彼のことが頭に思い浮かびました。

シム

序盤のマンスの演技や動きがチャールズ・チャップリンのようにも見えて、すごく面白かったです。あれは意図したものだったんでしょうか。

パク

ビョンホンは、そういう意図もなく、ただその瞬間瞬間の状況に忠実な演技をしたのだと思います。でも、確かにいくつかのシーンはワイドアングルで撮ったので、そういう印象を与えていたのかもしれません。

俳優——特に経験豊富な俳優は本能的に、ワイドアングルやロングショットで画面のサイズが広くなると、動きが少し大きくなりますよね。例えば、ク・ボムモ(イ・ソンミン)とイ・アラ(ヨム・ヘラン)のアクションシーンの終盤で、山道をマンスが半狂乱のアラから追いかけられ、2人で悲鳴を上げて坂を駆け下りるシーンがあります。いちょうの紅葉が美しい風景の中をワイドアングルで撮ったのですが、その中を悲鳴をあげながら逃げる姿は、いかに本人がキャラクターと当時の感情に忠実で誇張せずに演じていたとしても、観客にとっては爆笑するシーンになる。

パク

また、彼とは『モダン・タイムス』の話もしました。あの映画は、資本主義を批判した映画なんですが、悲しくもありながらすごく笑える。舞踏会で一人踊りながら妻のイ・ミリ(ソン・イェジン)に近づくところもそうですね。ダンスをする群衆の中で目立たないように、自然にしているがゆえにああいう動きになったのだろうと思いますが、本当に面白くて。私が笑いすぎてNGになりかけたほどでした(笑)。

シム

私もあの舞踏会のシーンは大好きです。あのシーンを見ながら「私だったらどう演技しただろう」と考えたんですけど、あの動きは到底……あれはビョンホンさんだけができる演技だと思いました。

シム・ウンギョン

パク

ビョンホンは、本当に……以前から才能がありましたが、年齢を重ねるごとにいろんな映画やドラマ、様々なジャンルを全部経験して幅が広がったのだと思います。例えるなら、ピアニストが88の鍵盤のピアノを弾くとしたら、ビョンホンは何百もの鍵盤を弾いているようなスケールの幅がある。低い音から高い音まで細分化された音色を扱える。でもそれをうまく演奏するには、指が10本じゃ足りなくて20本くらい必要ですし、右手だけではなく左手もうまくないといけない。そんな人だと言えます。

シム・ウンギョンさんもそういう役者だと思います。『旅と日々』を拝見しましたが、とても静かな中でずっと緊張させるような。本当に実力者だけができる演技だと思いました。何かを書かなきゃいけないけど書けない、その姿を見ているだけで、「この人は何を考えているんだろう」と気になってしまうような、そういう、何ともいえない演技でした。

シム

ありがとうございます。ちょっと恥ずかしいですが、とてもうれしいです。三宅(唱)監督が撮影の前にリファレンスを見せてくれました。私が演じる李は、冒頭何をしているのかわからないし、動きもしないでじっとしている。だけど、見ている人たち(観客)は気になる。そういう意図を監督が話してくれたので、それに忠実に演じてみたつもりです。

パク

そのシーンだけではなく、全体的にそうでした。セットもとても良かったですし、ずっと緊張が途切れませんでした。ともすれば退屈な映画になりがちなんですが、すごく緊張させてくれました。

シム

ありがとうございます。


——登場人物についてお伺いしたいです。まずは主人公のマンスですが、演じられたイ・ビョンホンさんとはどのようなお話をされたのでしょうか。

パク

まず、シナリオを読んだビョンホンから電話があって、最初の質問が「これ笑わせてもいいんですか?」でした。読みながら笑ってしまったんだけど、本当に監督の意図なんですか?と。非常に悲劇的なお話ですし。重いテーマを扱っているのに「笑わせる」という意図で合っていますか?と聞かれました。俳優との話し合いはそこから始まりました。

それから本格的な話し合いになったときに、ビョンホンが一番大変そうだったのが、チェ・ソンチュル(パク・ヒスン)という最後のライバルを尾行して、屋上から植木鉢を投げようとして躊躇するシーン。ごく普通の平凡な人が、いくら失業したからといって、植木鉢を持ち上げて下にいる人を殺そうとする、そんな行動ができるんだろうか。それを観客はどう受け入れるんだろうか、とすごく悩んでいました。「失業したからといって連続殺人犯になるのか?」。それがまさに観客が問いかけるべきことだと思います。

映画を見て、マンスに同情しながらも「でも殺人までするの?」という。その疑問を常に持っていてほしい。観客がそれを忘れてしまうような映画にはしたくなかった。マンスに同情はするけれども、同時に批判もしてほしい。そういう話をビョンホンとはずっとしていました。

シム

ビョンホンさんは「僕だったら失業したからといって連続殺人犯にはなれない」と言っていました。

パク

だから「君を見せたいんじゃない、連続殺人犯になる人間を見せたいんだ」と言いました(笑)。俳優が全てのキャラクターを、全ての状況において理解できるとは限りませんよね。俳優が人間として生きていく中で、洞察力を持って多くの人を観察して、多様な人がいるということを知る。そうやって年を重ねて人間の行動に対する解釈を広げていくのだと思います。

——マンスは、自分が手に入れた幸せを守りたいと思って極限の状態に追い込まれて、勢いもあって殺人を犯してしまう。その後、一人殺すごとに幸せが手に入るのかなと思ったらそれは逆で、どんどん周りが離れていく。けれどもうやらなきゃいけない。その状況が、見ていて苦しいけど先も見たいという、変な気持ちにさせられました。

パク

マンスは、これまでの私の映画に出てきた殺人犯たちのような、暴力的な行為をすることに、復讐とか怒りのような大義名分があった人たちとは違いますよね。そして、自分に危害を加えているわけではなく、自分と同じような被害者である哀れな人たちに対して行動をする。それは本当に身勝手な形でやるので、よく考えたら残酷な人でもあります。この映画は、マンスの身勝手な面を認識しながらも、ある瞬間には同情してしまう。そのように見る人たちの気持ちも揺れ動くような作品を目指しました。

マンスは殺人に慣れているわけではないので、成功させるためには相手をよく観察しないといけません。でも観察すればするほど、相手は自分と似ている人だという認識が強まっていく。ボムモとアラの夫婦の姿を見て、自分の家庭を振り返り、自分の妻も浮気しているかもしれないと考えたりして自分を苦しめていく。コ・シジョ(チャ・スンウォン)は娘への愛情があり、チェ・ソンチュルは特殊紙への愛が深く友達のようになっていく。彼らを殺すことは、自分自身を破壊するような行為であり、非常に珍しいタイプの殺人者です。

シム

本当に全ての俳優さんが素晴らしい演技を見せてくれて、俳優として映画を見たときに、皆さんの熱演に感動しました。皆さんの独特なキャラクターの演技が羨ましくもなりました。イ・ソンミンさんとはドラマ(『マネーゲーム』)でご一緒したこともありますが、この映画ではこれまで見たことのない先輩の顔と演技を見た気がします。

ソン・イェジンさんも、ハツラツとして活気があって家族を愛する「ミリ」の役だったんですが、時々ヒヤリとさせる表情を見せる。息子が問題を起こして警察署に行って、友達のお父さんと対峙するシーンも、「笑っていいんだろうか」という気持ちで見ていました。度胸がありながらも、どこか得体の知れないミステリアスな演技。皆さん本当に唯一無二の演技で、刺激を受けました。

パク

イ・ソンミンとソン・イェジンには伝えておきますね(笑)。イ・ソンミンの演技で私が一番好きなのは、「コチュジャムジャリ(赤とんぼ)」が流れるシーンですね。マンスが彼に「妻が勧めるままに音楽カフェをやったらよかったのに!」と叫ぶと、急に目に涙を浮かべて「アラがあなたにそんなことまで話したの?」と言う、そのときの表情が、まるで泣きじゃくっている子供のようで、面白くもあり悲しくもありました。

ミリは、難しい役だったと思います。マンスはあちこちに行って行動しますが、それに対してミリはだいたい家にいて、会う人も限られている。激しい表現をすることもあまりないので、実力のある俳優さんでなければできなかった役どころです。最初のシーンでは、アルコール依存症だった夫の横でワインを飲んでしまうようなちょっと気遣いのない妻でしたが、物語が進んでいくにつれて成熟し、現実的に賢明に対処していく。そしておっしゃる通り、終始ミステリアスですよね。ちょっと何を考えているのかわからない、複雑な表情を見せてくれました。

パク

あと、パク・ヒスンも一緒に仕事をしたかった俳優の一人です。彼は二枚目の役がすごくカッコいい俳優でもあるのですが、この映画のソンチュルのように複雑でちょっと変わったキャラクターを演じるヒスンが見られてよかったです。葉巻を吸いながら酔っぱらった演技では、今まで見たことのない顔を見せてくれました。

シム

あの演技のとき、大変じゃなかったんでしょうか。顔も真っ赤になっていましたよね。

パク

私も目の前で見ていて気になりました。どうしてお酒も飲まずにあんなふうに(真っ赤に)なったのか不思議でした。後で聞いたら「息を止めていた」と言っていました(笑)。簡単なことでしたね。あとで、俳優のマシュー・マコノヒーがあのシーンをすごく面白かったと気に入ってくれて、パク・ヒスンの真似をしたと言っていました(笑)。

——この映画は、衰退しつつある製造業に携わる人々が、AIが台頭する今の時代にどう適応するかという話にも見えました。監督ご自身も古い映画やフィルムカメラに共感を持っていらっしゃると思いますが、そうした点についてはどんな考えを持っていらっしゃいますか。

パク

いろいろ考えることがありますね。私は写真家でもありますが、フィルムで写真を撮る方がいいと分かっていながら、ここ数年はデジタルでばかり撮っています。その一方で、最近またLP盤を聴き始めたんです。明日も中古レコード店を巡ろうと思っていますが、どこの都市に行っても、その町にある中古レコード店に行っていて、それが今の楽しみでもあります。

AIについては、心配もあるし怖さもあります。AIが作った映像に子供たちが慣れてしまうと、AIが作った映像を不自然だと思わない、そんな時代が来るかもしれません。美的感覚、美学、芸術的な判断、美しさへの判断。それが全て変わるかもしれないというのは、ちょっと怖いことですね。でも、俳優は最後まで生き残ることができる職業です。短い作品ならAIにできることもあるかもしれませんが、生身の人間は作品に重みを持たせることができる。大事な職業だと思います。

パク・チャヌク
『しあわせな選択』
監督・脚本:パク・チャヌク 原作:ドナルド・E・ウェストレイク著『斧』(文春文庫)
出演:イ・ビョンホン、ソン・イェジン、パク・ヒスン、イ・ソンミン、ヨム・ヘラン、チャ・スンウォン
2025年/韓国/韓国語・英語/カラー/スコープサイズ/139分/PG12/日本語字幕:根本理恵/英題:NO OTHER CHOICE/配給:キノフィルムズ/提供:木下グループ
HP:https://nootherchoice.jp/

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